常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

キリマンジャロの雪

2020年10月12日 | 日記
秋が深まってくると、アメリカでは4年に1度の大統領選挙がやってくる。コロナの流行のなかでの選挙は、歴史に残るものになるだろう。現時点でのアメリカでの感染者数は776万人、死亡者数は21万人である。ホワイトハウスにクラスターが起き、大統領夫妻も感染したなかで、11月3日の投票日へ向けて選挙戦を進めている。テレビではニュースで選挙の様子が流されるが、実際の病院や患者、その家族や市民の様子がどうなっているかほとんど知ることができない。

へミングウェイの小説が読みたくなる。彼の父は3歳で釣り竿を与え、10歳で猟銃を持たせた。狩猟好きになったヘミングウェイが、書き上げた『キリマンジャロの雪』は、自らの体験から創作したものだ。夫婦で狩猟旅行にアフリカにやってきたハリーは、キリマンジャロの見える高原で怪我がもとで壊疽を患い、その死までの1日を綴っている。

壊疽の痛みが頂点を越え、意識の底に去来するのは、自身の回想である。パリ、コンスタンティノープル、そして釣りへ行く懐かしい道。フラッシュバックのように回想シーンが現れる。ハリーはこれらをもとにして小説を書くつもりだった。意識が戻ると、傍に妻がいる。いらついて、暴言を吐く。酒を飲ませろとせがむ。そして死が一歩ずつ近づいて来る。

無意識のなかでハリーが乗っているのは飛行機だった。「機は上昇をはじめた。東方に向うらしい。まもなく急に暗くなって、嵐のなかに入った。雨がはげしくたたきつけ、まるで滝のなかを飛んでいるようだった。やがて、嵐をくぐりぬけた。前方に、視野いっぱいに巨大で高くて広いキリマンジャロの四角い頂が、陽光をうけて信じられないくらい純白にかがやいていた。その時彼は、自分が行こうとしているのはあそこなのだと知った。」

こんな無意識なかにいたハリーに声をかけたのは妻であった。もう返事はなく息づかいも聞こえない。キリマンジャロの頂はマサイ語で「神の家」と呼ばれ、一頭の豹がひからび凍りついて雪の上に横たわっている、とヘミングウェイは小説の書き出しに記している。

ヘミングウェイの長編、『日はまた上る』『武器よさらば』も、また再読してみたい気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボタンヅル

2020年10月11日 | 
散歩道の垣根に珍しい蔓の白い花。あまりの美しさに、撮影してネット検索をしてみると、出て来た答えはボタンヅル。似たものにセンニンソウというのものあるらしい。秋が深まっているのに、こんな花をみられるのはうれしい。垣根の内の家では、どんな家族の団らんがあるのだろうか。花を見ながらふと想像をたくましくする。昔の家では、子どもたちの音読が聞こえてきたものだ。

声高く読本よめり露の宿 松本たかし

務めていたころ会社の重役が、昼休みに新聞を音読する習慣が話題になった。その頃、新聞を音読するような人は、この重役氏のほかには誰もいなかった。本も新聞も静かに読むべきもの、というが常識であった。重役氏の習慣は、その常識から外れたものとして笑いの対象になったのだ。だが昔は、学校で家で、本を読むのは音読であった。いつしか、本を読むという行為は、人に知らせたくない人間の内面的なものになっていった。最近になってこの音読というものが見なおされている。声に出して読むと、意味をかみしめるうえで、また脳を活性化するうえで効果があるらしい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金木犀

2020年10月10日 | 日記
今年ほど金木犀の花をたくさん見た年もない。この花が咲き出したのはほんの10日ほど前。その香りが開花を知らせてくれた。香りが来る方を見上げて、小さな花が、葉にかくれるように少し開いて、そこからあの香りを発散させていた。昨日の散歩で、いつもと違うコースを取って散歩したところ、家という家に競うように金木犀が咲いている。しかも満開だ。香りは咲き始めの方が強い気がする。もうこんなに全開すると、香りが少なくなって、ひと風くると散って行くのかも知れない。

中庭地白うして樹に烏棲み
冷露声無く桂花を湿す

以前にもこの季節に書いたと思うが、中唐の詩人王建の詩である。桂花とは、丹桂、金木犀のことである。木犀が中国の原産であることは、桂林という地名でも分かる。桂花ラーメンというがあって、この花を焼酎漬けにした桂花酒というものがある、というのをどなたかのブログで教わった。この花の咲くころ、名月になる。金木犀の香を楽しみながら、見上げた月で思い出すのは、遠くに住む友人である。

西洋に木犀がないかと探したのは、フランス文学の杉本秀太郎である。懐かしい日本の秋の七草は、ヨーロッパにはほとんどないという。見つけ出したのは詩人ヴェルレーヌの詩の一篇。モクセイソウが出てくる。

薔薇もまたあの日のように身を震わせ、あの日のように
背の高く気位の高い百合が風にかしぐ。
行ったり来たりの雲雀はみな、私の古馴染。
女占師の像まで昔のまま、ところどころ欠け朽ちて、
庭なかの道の行き当りに立っている。
ひょろりとおぼつかなげに、木犀草の残り香に包まれて。

本家中国の金木犀は、この地で小さいながら、あちこちから秋の香を運んでくる。この花が散ると、庭の木々も紅葉になる。今日は、紅葉を愛でる山行も中止。畑と裏庭の雑草を片付けて、冬が来る準備。台風14号は、静岡沖の辺りで北上から南下へと珍しいコースを辿る。秋晴れが待ち遠しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムラサキシキブ

2020年10月09日 | 日記

秋になって紅い実はよく見かけるが、この紫の実は妙に気になる。これほど房状になる実も珍しいし、色が奥ゆかしい。名が源氏物語の作者を連想するからであろうか。この実が秋の初めから、晩秋にかけて次第に色を深めていく。実が生る前は、どれがムラサキシキブの木か花か、まったく識別することはできない。実が生り出して、こんなところに、と思うことがしばしばだ。

うち綴り紫式部こぼれける 後藤夜半

台風14号の影響で明日は雨。予定していた栗駒山への山行も中止となる。ぼつぼつ一年の活動の締めくくりの時期である。2月から始めたヘルスケアも、トータルの歩数が280万歩を越えた。メダル獲得まで、もう20日程度かかる。借りていた野菜畑も雪の来る前に整理して返す準備。同時に始まるのが、自分にとっての新しい生活様式。趣味の生活でもいままで気がつかなかった歓びを見つけられるような質を求める。身近で気づかなかった新しい分野の楽しみ。残された時間をいかに心地よいものにするか。これからその探求が始まる
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会津駒ヶ岳、紅葉

2020年10月08日 | 登山
一夜明けたが、雨が残った。ゆっくりと、朝食をとって小屋を出る。雨はようやく上がった。靴に滑り止めを着けて、木道の上を頂上に向かう。やや急な勾配ではあるが、一晩経っても筋肉にはなっていない。木道を20分ほど歩いて頂上に立つ。木彫りの山並み図が建ててある。この地点から見えるはずの山の名前が記してある。連山といっていい、富士山の名もある。残念ながら霧のために眺望は全くない。中門岳を降ってきた人、この時間に頂上に着いた人、少しずつ登山客と会うようになった。一様に雨と霧への嘆き節が聞こえて来る。標高2133m。天井の楽園と呼ばれる名山だ。
予定では中門岳まで行く予定であったが、リーダーの決断で中門岳を中止、ここから降りる。出発が遅かったこと、行っても眺望が得られないことが理由だ。
小屋のすぐ下にある駒の池。霧につつまれた草紅葉と湖面は、じつに幻想的だ。こんな光景をみることは多分この先ないであろう。この一瞬を脳裏に刻む。それが、年を重ねて登山をするものの責務だ。桧枝岐の奥に佇む、会津駒ケ岳を思い起こすよすがである。8時30分、駒の池を出発。雨に濡れた木道は滑る。着装した滑り止めは、予想以上に効果がある。案内書によれば、この付近の雪解けころの花はみごとだとある。しかし残雪のころの急登は可能だろうか。春の花にあこがれつつ不安がよぎる。

イギリス公使アーネスト・サトウを父に持つ武田久吉は植物研究者となって大学で教鞭をとるかたわら、登山を趣味とし、尾瀬を巡り、会津駒ヶ岳の登頂も果たしている。その紀行で、春の池の下の様子が書かれている。

「1700mに至れば、下層植物群落が、少し高みに来た感じをかなり鮮明にする。オオカメノキも花盛りになれば、ミツバオウレンも満開である。ミドリユキザサ、マイヅルソウ多く、タケシマラン、ヤマソテツ、サンカヨウも相当目にする。(略)歩を運べばシラネアオイの残花に、春の夢なお醒め難く、イワカガミの笑み、山路の旅の楽しさを誘うてやまない」

もう50年も前の文章だ。今、眼前にオオカメノキの葉、ナナカマド、ヤマウルシの紅葉を見ている。
天候はゆっくりと回復している。霧が晴れて上がっていく下に、目のさめるような紅葉が現れる。一幅の絵のような風景である。一行からどっと歓声があがる。朝の気温が6度ほどに下がって3週間が経つと木の葉は色づき始める。高度が100m上がれば、気温は0.6℃下がる。平地が20℃なら、1500m地点では11℃である。紅葉前線は北から南へ、高度では高い山から麓へと下りて来る。
見える紅葉は始まりの色だ。しかし、昨日登る時よりも、紅葉の色は濃くなっているような気がする。紅葉も花と同じだ。全山を錦に染めるのは、ほんの数日、嵐がくればもう葉のない山へと変わっていく。どんどんと季節は移ろっていく。

恋しくは見てしのばんもみぢばを
 吹きなちらしそ山おろしの風(古今和歌集秋歌)
肉眼で見る紅葉の遠景は写真には捉えがたい。近景から遠景へと連なる絶景は忘れ難い。もう少し進めばさらに紅葉の美しさが増すが、始まりにも捨てがたい魅力がある。それは、これから期待感をもつからだ。ピークに達すれば、風もなく散り始める。その先には、冬の始まりまりの淋しい秋の光景を想像させる。テレビでは月山、栗駒山の紅葉風景の映像が出ている。今週予定している栗駒山はどうだろうか。台風14号の接近で、広い範囲で雨が予想されている。それにしても、この秋は登山日和に恵まれない日々が続いている。

下りコースは登った道をそのまま降りているがゆっくりだ。水場着が10時45分。転倒して腕を痛めた人が一人いて、無理をしないスピードである。そのため、体力の消耗は少ない。高度を下げるにしたがって日がさしてくる。着ていた雨具を脱ぎ、ジャンバーを脱ぐ。気温は少し低いが、山歩きには丁度よく、快適な下りになった。登山口着13時。靴を履き替えて一路帰宅は。帰路田島駅のレストランでラーメン。醤油ラーメンが美味。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする