常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

年の瀬

2021年12月24日 | 日記
年の瀬になって消防車のサイレンが急に増えたような気がする。テレビのニュースは毎日どこかの街の火災が報じられる。なかには放火のようないやな事件も混じるが、とのかく火災が多い。気温が下がってどこの家でも暖房を使うためか、年の瀬の慌ただしさのせいであろうか。寒空で自宅を失った人が、この冬どう過ごすのか。気になるところだ。恐いものとして「地震、雷、火事、親父」という諺があるように、火事は江戸の昔から日本人に恐れられていた。

明治のはじめに来日したイギリスの言語学者チェンバレンは、著書『日本事物誌』で日本の印象を述べている。日本には火事が多く、日本語に火事に関する語彙が多いことに注目している。「ぼや」「丸焼け」「飛び火」「貰い火」に
「火事場」「火事ドロ」「火事見舞い」などを上げ、fireの一語でことたりる英語との違いに驚いたようだ。その頃の日本家屋は木材中心で、風の吹く日には大火が出た。因みにこの学者は、日本の「古事記」に興味を覚えその英語訳を行った。その研究の間に、本居宣長の「古事記伝」を高く評価し、言語学のレベルの高さをも指摘している。東大で最初の講義を行った学者である。


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江戸歩き

2021年12月23日 | 日記
クリスマス前に曇りがちだった空が晴れて、青い空のキャンバスに白い雲がひと刷毛、ふた刷毛。こんな日は少し遠くまで歩きたくなる。12月になって歩きが増えている。マイルズの記録を見ると、車での移動より、足での移動がはるかに多い。そう言えば、車のない時代は、日本人の移動手段は足であった。亡くなった漫画家の杉浦日向子に『江戸アルキ帖』という冊子がある。折にふれて開く愛読書でもある。生身の日向子が、タイムスリップして、江戸の町を歩く。見開き2pの1ページが歩いた町の絵、もう1ページには、歩いた場所が日記風に綴られる。

文化12年11月8日 〈晴れ〉 関口

日本橋から神田まで、大股でずんずん歩く。なんだか機嫌がいいようだ。足は軽いし、いつもの倍くらいの歩幅で、裾をシュッシュと機関車のように音をたてて闊歩する。湿度は低いし天気はいいし、冬の日の午前11時、気分は上出来、かと言って、口笛吹いて、スキップしたらここが江戸じゃなくってもバカみたいだ。ただ歩くしかない。神田川を西へ江戸川の合流点へ、そこから江戸川をさかのぼり、上流〈神田上水〉までペースを落とさず、歩きづめに歩く。(杉浦日向子『江戸アルキ帖』)

タイムスリップした日向子さんはなかなかの健脚だ。街が途切れ、南には広々とした田畑、北側には緑の台地、西に目を転ずると遠く富士山が見える。台地で一休みした日向子さんの目にしたのは、芭蕉庵。その後、ここから深川に移っていくことをお見通しだ。タイムスリップすればそうなる。当時の庶民の旅も移動も、もっぱら徒歩。日に20㌔、30㌔は珍しくない。自分の場合は、頑張って歩いてせいぜい5、6㌔。この秋、穂高山荘からザイデングラードを通って涸沢を抜け、横尾、徳沢から上高地まで21㌔を歩いたのが、今年の最長だが、上高地ではもう足が前に出なくなっていた。江戸も明治も、人々は20㌔、30㌔を歩き通すのが日常であった。戦後の日本で弱くなったものの筆頭は、庶民の脚力であろう。車がそれを補っているのだが、その分環境への負荷は大きい。巨大竜巻、台風、洪水など支払う代償は大きい。
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冬至

2021年12月22日 | 日記
今日は二十四節季の冬至。一年で昼の時間が一番短い日だ。この日を境に、少しずつ日が長くなる。一陽来復というのはここからきている。ただ、この間聞いた話だが、新年の7日までに延びる時間はわずか4分だそうだ。感じというのは不思議なもので、日が落ちるのも、日が昇るののもたしかに長くなっていくような気がする。しかし、反対に気温の方は低くなっていく。寒さはこれからが本番である。柚子湯に浸かって身体を温めるのもこれからの日を過ごす方策でもある。

冬至から畳の目ほど日が延びる

冬至カボチャを早起きした女房が煮てくれた。冬至に食べると縁起がいいと言われている。なぜか、カボチャは江戸の頃は南京(なんきん)と呼ばれていた。このように「ん」が二つつく野菜は運盛りで縁起がよいとされた。ニンジン、レンコン、ギンナン、キンカン、ウドン、カンテンなどで無病息災を願って食べられた。しかしこれらの野菜には健康によい栄養が豊富であることも事実のようだ。南天の赤い実が玄関ん飾られるのは、運盛りの縁起が担がれているのかも知れない。

冬至とて南瓜嫌いも食はさるる 下村ひろし
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ワクチン接種証明書

2021年12月21日 | 日記
昨日、デジタル庁が接種証明アプリを公開した。このアプリをマイナンバーカードで開くと、コロナワクチンの接種証明書をスマホアプリでゲットできる。先月、健康保険証をマイナンバーカードに紐づけしてから、2例目である。操作は簡単、カードを読み取らせてログインすると、間もなく証明書をゲットできた。赤丸のなかに白いバインダーのような形で接種と名付けられてアイコンがスマホの表紙に出てきた。開くとやや長い「新型コロナウィルス感染症予防接種証明書」二行の題字に、簡潔に接種回数2回と最終接種日、2021年12月20日発行、山形県山形市市長と記載されている。

マイナポータルにログインすると、「わたしの情報」が表示される。ここには
〇健康・医療 〇税・所得 〇年金関係 〇世帯情報 〇雇用保険などの項目に分れて個人情報が記載されている。健康・医療を開くと健康保険情報、後期高齢者健診情報、薬剤情報などを見ることができる。健康保険証を持参しないで医院に行った場合など、このサイトを提示すれば、健康保険証として使用できる。

デジタル時代を迎えて、この一年急ピッチで、スマホやカードを使ったキャッシュレスにシフトしている。買い物もネットショッピングが増えてきた。新鮮野菜や果物など店に出向いて重い荷物を持たずに買い物できる時代だ。それもネットのなかには、さまざまな選択肢がある。これに馴れていくことで、車のない高齢の生活が快適なものになっていく。dヘルスのアプリには、健康相談というものがあって、有料だが医師に科目別に相談できるコーナーもある。高齢になっての買い物難民、医療難民などの声も聞こえてくるが、こうしたデジタル環境を整えていくことが第一歩と考える。
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雪女

2021年12月20日 | 日記
『遠野物語』に雪女の話がある。寒い冬の満月に雪女が出るという。小正月の日には、子どもたちは橇遊びに夢中になって、夜になるのも忘れて遊び呆ける。家では、そんな子どもたちへの戒めとして、夜には雪女が出るから早く帰ろと教えた。雪女はたくさんの童子を連れて来て遊ばせるに来るというが、実際に雪女を見た人はいない。

小泉八雲の『怪談』にも「雪女」の話がある。二人の木こりが林に入って仕事をしていたが、夕方になって吹雪いてきた。川の渡しは、渡守の姿も見えず、二人はその番小屋で、一晩寒さをしのぐことにした。一人は初老の木こりで、もう一人は18歳の若者であった。小屋にあった筵をひき被って二人は寝た。初老の木こりは、そんな寒いなかでも直ぐに寝入ってしまった。若者の方は、寒さと、川のごうごうと流れる音や風が気になって寝付かれない。それでも、疲れが出てたまらず寝入った。

若者は顔のあたりさらさらと雪がかかる気がして目覚めた。締めたはずの小屋の戸が開いて、なかに女がいた。女は寝ている老人に被さるようにして息を吹きかけている。老人は息が絶えて死んだように見えた。若者が恐ろしさのあまり、声をあげると、気づいた女が若者の方へ近づき、顔を見た。するとちょっと微笑んで、若くかわいいから助けてあげる。このことは他言無用だよ。と言って女は小屋を出ていった。このことがあってからも、若者は木こりの仕事で林に通い続けた。そして若者と、この雪女が結婚して、10人の子どもを産んだ。美人で申し分のない嫁であったが、話は木こりが番小屋のでの思い出を語ることで正体を現す。

雪国には、雪女のお化けの話が語り伝えられている。現代風に変えられて、仙台への街道で車を運転していると、女が歩けなくなったから乗せて欲しいと頼んでくる。可哀そうに思って乗せていくと、いつの間にか乗せた筈の女がいなくなっている。座席には、べったりと濡れたあとがあり、乗せた女が雪女であったことに気づく。こんな体験話がまことしやかに語り伝えられている。
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