夕べの宴会はホントに楽しかったぁ
たくさんの人とお話ができて、美味しい料理を食べて、お酒をたらふく飲んで。
ホントに幸福でした。。。。
しかし、、、映画『探偵はBARにいる』でも引用されてました。
萩原朔太郎が私の生まれる前に今の私のために詠んだ詩
泥醉の翌朝に於けるしらじらしい悔恨は、病んで舌をたれた犬のやうで、魂の最も痛痛しいところに噛みついてくる。
夜に於ての恥かしいこと、醜態を極めたこと、みさげはてたること、野卑と愚劣との外の何物でもないやうな記憶の再現は、砒毒のやうな激烈さで骨の髓まで紫色に變色する。
げに宿醉の朝に於ては、どんな酒にも嘔吐を催すばかりである。
ふたたびもはや、我等は酒場を訪はないであらう。我等の生涯に於て、あれらの忌忌しい悔恨を繰返さないやうに、斷じて私自身を警戒するであらう。と彼等は腹立たしく決心する。
けれどもその日の夕刻がきて、薄暮のわびしい光線がちらばふ頃には、ある故しらぬ孤獨の寂しさが、彼等を場末の巷に徘徊させ、また新しい別の酒場の中に、醉つた幸福を眺めさせる。
思へ、そこでの電燈がどんなに明るく、そこでの世界がどんなに輝やいて見えることぞ。
そこでこそ彼は眞に生甲斐のある、ただそればかりが眞理であるところの、唯一の新しい生活を知つたと感ずるであらう。
しかもまたその翌朝に於ての悔恨が、いかに苦苦しく腹立たしいものであるかを忘れて。げにかくの如きは、あの幸福な飲んだくれの生活でヘない。
それこそは我等「詩人」の不幸な生活である。
ああ泥醉と悔恨と、悔恨と泥醉と。いかに惱ましき人生の雨景を蹌踉することよ。