北海道の中で歴史的景観が人気の観光地は「函館」と「小樽」です。他に鰊番屋関係などで江差や増毛などにも古い建物もあり挙げられますが、何といってもダントツの人気は、前者のニ都市です。
小樽の人気は夏の観光ばかりでなく、「冬の雪あかり」の時も結構観光客が来ています。
小樽運河は1923年に完成し、運河沿いにレンガ・石造りの大きな倉庫が隙間なく建てられました。樺太との貿易の地中心地として栄え、多くの港湾労働者が過酷な労働を強いられていました。プロレタリア作家として知られる小林多喜二が社会主義に目覚めた時期と重なります。
樺太との貿易がすたれ運河の活気が亡くなり、小樽の不要物として埋め立てがすすめられるようになり、議会で1979年埋め立ての強行採決が行われました。その時、地元の有志が一丸となり、運河保存運動が地元から全国へと広がりました。連日小樽運河の存続ににつて掲載され、道民の関心は小樽運河に集まりました。
存続運動が効をそうし、運河の幅半分が埋め立てられて、運河の一部を残し、今の姿になりました。今では小樽になくてはならない景観の場所となっております。カムイラピットも運河が残されて良かったとつくづく思っています。
今では四季を通じて、運河には観光客で賑わっています。
漁船が停泊している「北運河」には静寂あり、味わい深い風情が残っています。昨年の「小樽運河雪あかり」を見に行った際の写真を紹介します。夜のひと時を楽しむことができます。
小樽の人気は夏の観光ばかりでなく、「冬の雪あかり」の時も結構観光客が来ています。
小樽運河は1923年に完成し、運河沿いにレンガ・石造りの大きな倉庫が隙間なく建てられました。樺太との貿易の地中心地として栄え、多くの港湾労働者が過酷な労働を強いられていました。プロレタリア作家として知られる小林多喜二が社会主義に目覚めた時期と重なります。
樺太との貿易がすたれ運河の活気が亡くなり、小樽の不要物として埋め立てがすすめられるようになり、議会で1979年埋め立ての強行採決が行われました。その時、地元の有志が一丸となり、運河保存運動が地元から全国へと広がりました。連日小樽運河の存続ににつて掲載され、道民の関心は小樽運河に集まりました。
存続運動が効をそうし、運河の幅半分が埋め立てられて、運河の一部を残し、今の姿になりました。今では小樽になくてはならない景観の場所となっております。カムイラピットも運河が残されて良かったとつくづく思っています。
今では四季を通じて、運河には観光客で賑わっています。
漁船が停泊している「北運河」には静寂あり、味わい深い風情が残っています。昨年の「小樽運河雪あかり」を見に行った際の写真を紹介します。夜のひと時を楽しむことができます。