雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

金言 オ・ア・シ・ス 

2013-02-25 17:01:39 | 教訓
青年に与える言葉に「オ・ア・シ・ス」という言葉があります。オアシスを忘れなければ、社会の中で信用を得る事が出来ることでしょう。ここに紹介します。

  「オ」 おはようございます。

  「ア」 有難うございます。

  「シ」 失礼します。

  「ス」 すみません。

オアシスを忘れなければ、近所の人から、あの家の子供は礼儀正しいと言われること間違いありません。

滝の上出身の小説家小檜山博さんのエッセー集「自分に出会う日」に、こんな言葉がある。<人間は「はい」「ありがとう」「ごめんなさい」の三つの言葉をちゃんと使えば、一生を生きられると思う>。広げるならば、<三つの言葉>を身につければ
どこの国でも生きられるということだろう。(北海道新聞2013・1・12 卓上四季)


道央ドカ雪 石狩積雪量168㌢

2013-02-25 16:17:33 | 自然
先にも紹介しましたが、20日~21日(2月)の昼にかけて道央は大雪に見舞われました。
今まだは札幌では10区の中で「西区」が最高の積雪量でしたが、この日降った雪で2位ランクであった東区が一位にのし上がりました。東区はカムイラビットの住んでいる区です。またもや除雪に追われる一日となりました。40~50㌢は一度に雪が降ったことになります。この量は半端ではありません。
札幌市の北側にある「石狩市」や「当別町」、「新篠津町」はさらに多くの量が降りました。石狩では積雪量は168㌢とテレビで報じておりました。
21日の道新(北海道新聞)の夕刊では一面、11面が大雪の記事で大半を占めました。
夕刊の大見出しをここで紹介して置きます。
   ○ 道 央 ド カ 雪 (大見出し)
   ○局地的 札幌・拓北53㌢ 石狩40㌢
   ○JR11本停止 車内に2000人

   ○「 あ ぁ 」痛 勤・痛 学 (大見出し)
   ○道央ドカ雪
   ○JR運休相次ぐ 600人が車内で一夜
   ○朝の駅あふれる人

   ○写真は4枚 通勤時間帯に激しい吹雪となった札幌市中心街
   ○特急が停まった中、一夜を明かした乗客が代行バスに乗り替えている写真
   ○暴雪風の影響で、渋滞する札幌市北区の国道231号。ヘッドライトを付けて渋滞する車の写真。
   ○暴風雪で、ダイヤが大きく乱れた運行状況を説明する駅員
 

オホーツク 懐かし 昭和初期

2013-02-25 07:42:04 | 地理
NHKの番組で「懐かしのオホーツク」という放送が先日ありました。白黒画面の昭和10~30年代のむかしの映像で、カムイラビットにとっても懐かしいものでした。、
大正10年の「網走」の映像では木材の集散地となり港に集められている姿が、また大クジラの解体現場が映し出されていました。子供の時、昭和25年頃網走につれていってもらい、クジラの解体の現場を見たことのある私は、当時のことを懐かしく思い出しました。貴重なフィルムです。
また、昭和10年代の「津別町」の木材運搬が映し出され、バチバチに積まれて運び出される運搬の姿は、当時馬が最大の動力であるのがわかります。解説していた講談師の神田山陽さんもバチバチのことには触れておらず、今の若い人たちには分からない馬橇になっていたのだと思いました。
他に「常呂町」の帆立の水揚げの風景や、「知床半島」の姿、昭和10年代の「美幌町」のデパート(全道でも草分け)の大賑わいの姿。「紋別市」のスケソウダラ、ニシン漁の様子にも目を見張りました。紋別でも昭和初期にはニシンが当時群来(くき)ていたのだと確認できました。紋別市に2年ほど住んで居たことがあるので、文献では紋別市のニシン漁の群来については知っていたのですが、記録映画として見たのは初めてです。
次に、カムイラビットが長年先輩の横平氏と調査に入っていた「鴻ノ舞金山」の様子の映像もあり、よく残っていた画像で、調査に入っていた当時のことを思いだしました。隆盛当時、鴻ノ舞(こうのまい)には1万3千余人もの人が住んでいましたが、今では町はなくなりました。住む人もいなくなりました。
上藻別駅逓保存に力を注いでおり、鴻ノ舞金山資料保存に仲間と取り組んでおられる小玉さんの姿も出ていましたので、懐かしかったので、早速お電話しました。
今回の放送は30分ほどの番組でしたが、むかしを思い出させる良い内容の番組であったと思います。もう一度放送されることを望んでいます。