「美瑛の丘の苦悩」哲学の木伐採 悲しい結末。
哲学とはどう生きるべきかの学問です。
「美瑛」と云えば、パッチワークの景色、畑の丘の町、写真の町、観光の町なのですが、この頃、考えさせられる事(事件)が起こりました。
美瑛には、畑の中に立つ木や、農作業の為の小屋などがあり、写真の良い題材で素晴らしい風景となり、カメラ愛好家たちを引き付けています。
一本立ちする木は、それは魅力的で全ての省略の中に誇示する木の姿が人を引き付けるのです。
さあて、事件と云うのは、パッチワークの丘に立つポプラの木を撮影しようと、農家の持ち主が、畑にまで入って写真を撮らないでとお願いしているにもかかわらず入り込むので、とうとう持ち主は頭にきて、この木を切り倒してしまったのです。木を切り倒す行為は、美瑛を愛する人たちを拒否するものとなりました。
もう哲学の木は見られない。
生憎、この木は「哲学の木」となずけられていたものなのですが、パッチワークの丘の一つの風景のポイントとなっていて、美瑛町ではこの事件からかんがみ、他の木のある風景の危機を感じ、風景保護の哲学をさせられることになったのです。
他の畑などにある木の保護に乗り出し、町から木名所の保護として一件につき毎年3万円の援助(助成金)を打ち出しました。哲学の木の伐採で、美瑛の生き方に哲学が生まれたのです。
上のものは 道新の記事から写したものです
哲学の木の伐採は、持ち主のかってでしょうとは言えず、美瑛の町の大きな財産を無くしたと同じであったのです。
哲学の木は観光客のあり方にも大きな問題提議をしたものなのでした。