震災4年12月9日
連日、マスコミは総選挙のことでいっぱいです。自民(公明)対野党という図式ですが、野党が多くてどこを選んでいいのか分からないのが本音ではないでしょうか。与党の中でも北海道では原発を反対している人もいるようです。3.11の東北大震災やエボラ出血熱はどこへ行ってしまったのでしょうか。ネットがこんなに発達してきているのに今だネットで選挙ができないのも困りものです。不思議な気もいたします。
また、不在投票率が毎年増加傾向にあるようです。この意味も色々ありそうです。確かに、投票所に行くとたくさんの監視員の目があります。あれがいやでいかない人もあるようです。投票所のやりかたも検討する必要もあるでしょう。それにしても、投票率の低さも問題になります。自民党が政権党といっても、ノンポリがあんなに多くては民意は何だろうかと考えてしまいます。
現在日本では国民投票というと憲法改正しかないようですが、国民投票法が日本にもあってみいいのではとおもいます。そのことを公約にいう候補者もいないようですね。民主主義が民意を代表する政治なら国民投票をもっと、取り入れてもいいのだろうと思いますが、いかがでしょう。
日本国憲法においては、憲法改正の際の国民投票のみが予定されており、かかる国民投票については、日本国憲法の改正手続に関する法律が規定している。また地方自治制度においては、自治体の住民を対象として一定の住民投票の制度が設けられている。
現代の民主主義国家においては、間接民主制が原則とされているが、議会と一般国民との間に意見の乖離が見られる。ノンポリが増えれば増えるほどその乖離は増えていく。どこかで、是正をしていく法的制度を作っていかないと大変なことになってくるのではないかと思う。
民主政治は衆愚政治だという批判もあるが、歴史の中で練られてきたいい制度だと思う。全体主義の時代に逆戻りさせてはならない。これを守っていくためにも、自分の考えを投票する選挙はできるだけ棄権しないようにしよう。ノンポリも一つの政治理念だというのなら、その理念の中身を政治は明らかにして、それに取り組む勇気も必要ではないか。
現代の世の中は複雑過ぎて、本当は若者こそ、もっと政治に関心をむけなければならないのに、暇をもてあました高齢者のみの政治になっていないだろうか。心配な向きもある。
高齢者は自分の事ばかりでなく、世代をつなげていくリーダーという視点から投票に行く必要がある。いったん過去の全体主義に逆戻りしたら大変なことになる。
「左警戒、右見張り」が重要である。この言葉は私が過去に防衛庁で事務官をやっていたときに確か気になっていた言葉である。私は当時、政治的に左翼右翼に注意しなさいと捉えていた。自衛隊もこの言葉が生きている限り安泰だなと思っていた。何でも極端になってしまうと、とんでもない方にいってしまう。自衛隊というと右翼の固まりの様に思ってしまうが、現実は右から左まで色々な人が玉石混合なのだ。入って見ないと分からない。予算もその多くが人件費と防衛装備費である。
勤労学生として自衛隊では4年間色々な事を学んだ。まだ、当時は20歳だった。そんなとき、憂国の情に駆られた三島由紀夫が市ヶ谷で起こした乱は今でもはっきり覚えている。ちょうど、通信大学の学生だった私は新幹線の中だったと記憶している。スクーリングがあり、休暇を取って実家から職場に帰っている途中の新幹線の中で聞いた話だった。当時、入間基地に勤めていたその隣の市ヶ谷基地で起こった事件であった。幸いに追従するものもなく三島の自決で決着した。
さて、特定防衛秘密法が今月10日施行されるようだが、、この辺もよく国民は注視していく必要があるだろう。全体主義になってはとんでもないことになってしまう。今の民主主義をしっかり守り育てていかなくてはいけない。その為には公共の福祉と基本的人権の意味をよく考えて責任ある行動を取る必要がある。何でも極端になったら大変なことになる。
今後は昭和は遙か遠くにいってしまい、平成生まれの世代になっていく。若者にバトンをつないでいく前期高齢者がしっかりしていかなくてはならない。いつの時代もどんな世の中も一番難しいのが後継者を育てることとバトンタッチである。前期高齢者はこの重要な鍵を握っている。
※人は毎朝生まれ変わる。
※何事も、つかず離れず、さりげなくさらっと、繰り返し繰り返し愛情を持って!(これは小学校教師生活36年間を支えてきた言葉です。)