震災6年2月13日
一般に人は何かを為そうとしたとき、目的そのものを狙って行動をしてしまいますが、結果的に、これは、かなり、無理なことがあるなと思います。たとえば、卑近な例として、幸せになりたいと思う人がいたとします。幸せという目的は誰もが望むことですが、なかなか、それを目的とすると、ハードルを高くしてしまい、結果、そうならないことが結構多いような気がします。
こんな時、肩の力を抜いて、ほっとほほえんでみる。十の説教より1つの笑顔という言葉があるではありませんか。軽い気持ちで毎日楽しく過ごしていると、結果気づいてみると、毎日が幸せな気分になっていました。なんて、いうことがおこるような気がします。そうして、過ごす毎日の方がストレスもなく、幸せでは無いでしょうか。
よかれと思って、いくら子どもをがみがみ叱っても、子どもはいやがるだけで、そこから、目を背けてしまいます。そんなとき、ふと、笑顔を見せ、子どもを見つめるだけで、子どもは素直に親の言うことを受け入れるでしょう。受け容れてもらいたい、もらいたいと思うほど、人はそれを避けてしまいます。目的は最終の到達点ではありますが、もっと、おうようにに考えると、結果うまくいくことが多かったように思います。
健康になろうと思って、色々、スポーツに挑戦しますが、あまり、がんばりすぎるとけがをしたり、ストレスにさいなまれることがあります。そんなとき、ふと肩の力を抜いて、息抜きの積もりで体を動かしてみる。もともと、体を適度に運動するように出来ているのです。そのことを忘れ、鍛えることが目的となると、楽しんでできなくなります。楽しんでいる連続が結果的に、体の鍛練になっているという考え方が一番自然でいいように思います。
富士山の頂上を目指すのも同じでしょう。今8合目、今9合目といつも頂上と比べて登るより、周りの景色を楽しんだり、友との会話を楽しんで歩いたり、きれいな高原植物に感動しながら、いつの間にか、頂上についていたというほうが、ストレス無く、結果的に目標を達成することになるでしょう。
このように、◯◯すると、結果、こうなる式に、毎日を過ごす術を身につけることが、急がば回れでうまくいくように思います。
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