世の中頭のいい人はたくさんいるが、それにプラスして周りの情緒までも感ずることの出来る温かい心を持った人にはめったにお目にかかれない。でも、実際にいることは確かだ。現にその人となりに触れてみて、ほんとに幸せな気分を感じた。最近では久しぶりのことである。いわゆる尊敬できる人徳のある人である。
人間の目指す究極の目的は幸せ感である。幸せはどの人にも平等にチャンスが与えられている。幸せは心の問題だから。ただ、それに気づき、つかむ人とそうでない人がいるだけだ。人生はその幸せをつかむ側に回ることだ。打算でいっているのではない。うまく物事を進めようと思ったら、相手から善を引き出すことだ。善を引き出すことに成功すれば世の中はいい方向へ進む。相手の悪を引き出してしまうから、悪いほうへ悪いほうへいってしまう。
何でも明るいものの見方をする人がいる。その人はいつもいつもその明るさに目がいき明るいものの見方だ出来る人だ。確かに、人間くらい面も持ってはいる。しかし、明るい面も持っている。どうせ着目するなら、明るいほうへ着目したほうが、その後の人生明るくなる。
その人はいつも人の話を論理ばかりでなく、その人の息遣いや微妙な雰囲気まで感じ取ってしまう、まれにみる能力に秀でた温かい人柄の人。そして、その論理の組み立てを人の幸せのために用いることの出来る倫理観が身についた人、的確に相手をさりげなく気遣いながら話を進めることの出来る人。その人の話そのものに思いやりの心があふれているのだ。
その人が政治家になればもっとすばらしい仕事ができることだろう。その人と接するとき、私もその幸せ感を与えられる。その人の目指すべく方向は邪心のない温かい心を持った人の進むべき方向であるからである。その人についていけば多分大きな間違いはないだろう。そういう人が数は少ないが世の中にまだ、いるという感触を得た。日本もまだまだすてたものではないなと思う。