JRで坂出駅から瀬戸内海を渡り、倉敷駅に着きました。倉敷市内のホテルで一泊しました。翌朝、水島臨海鉄道で、常磐(水島)駅で降りました。水島臨海鉄道㈱は、昭和18年、旧三菱重工業水島飛行機製作所が開業し、倉敷市営を経て、昭和45年からJR貨物、岡山県、倉敷市が出資する第3セクターで運営されているそうです。
常磐駅から歩いて、倉敷亀島二郵便局に向かい、郵便局訪問を開始しました。
訪問したのは、次の局です。
倉敷亀島二、水島、倉敷青葉町、倉敷中畝、倉敷東塚、倉敷北畝、倉敷連島中央、連島、倉敷網の浦、玉島乙島、玉島新前田、玉島新町、玉島、玉島通町、玉島上成、長尾
16局です。予定よりも3局少なかったです。理由は暑さです。気温が30℃を超え、強烈な日の光を浴びながら、西に向かうのはたいへんつらかったです。顔が焼けるのがわかります。
トップの写真は、5450局目となった、倉敷玉島乙島郵便局です。歩いていると、近くに旧庁舎が残っているのを発見しました。下の写真です。
何だか、建物が中華的で、沖縄っぽいと感じました。
花屋さんの前に野菜の苗が売られていました。
白菜、キャベツ、レタス、サンチュは苗で植えることを初めて知りました。私は、種を播いて育てるのだと思っていました。
水島から玉島へは、水島大橋を渡りました。1164mの橋梁です。歩いて渡っていたのは、私、一人です。自転車が2台すれ違いました。かつては、県公社の有料道路の一部だったそうです。歩行者は無料だったかは不明です。自転車は有料だったようです。水島大橋からは、水島臨海工業地域が見えます。
橋の上からは釣りを禁止するために、鉄線が貼られていました。
倉敷のこの地域には、「島」のつく地名が多いです。水島、玉島、乙島、亀島、連島等です。元々は、海に広がる島々だったそうです。干拓により陸続きになったそうです。だからでしょうか、古い建物が残っているのは一部の地域です。そこは元々の島だった部分なのでしょう。
下の写真は、連島郵便局へ向かう途中の街並です。
倉敷を象徴する白壁の建物があったのは、玉島です。
干拓の歴史は戦国時代から始まり、江戸時代も続けられたそうです。広いと感じるのは、干拓により造られた土地だったからのようです。