1月10日(火)は、3回目となる三重県の郵便局訪問でした。今回は、津市栗真から、旧河芸町、初めて行く鈴鹿市を抜け、四日市市の楠までの行程です。

栗真簡易、白塚、津小川、河芸、河芸千里ヶ丘(以上津市)、鈴鹿磯山、鈴鹿寺家、鈴鹿白子本町、鈴鹿江島、白子、鈴鹿旭が丘、鈴鹿暁、鈴鹿玉垣、鈴鹿若松、鈴鹿箕田、鈴鹿長太(以上、鈴鹿市)、楠(四日市市)
17局の訪問でした。トップの写真は、7187局目となった鈴鹿旭が丘郵便局です。
今回、歩いていた大部分が旧伊勢街道です。伊勢神宮への参拝道として造られた街道です。国道23号線はこれを元に新たに造られたようです。歩いていてとても楽しかったです。




古いままでなく、造作等がされていても、昔の面影が有れば十分、楽しく、見て歩けます。

そして、歴史を知れるものです。道路元標が有りました。

道路元標は、上野村からの隣の市町村への距離が書かれていました。元は木製だったそうですが、損傷が激しいので、中央公民館に保存し、現在は石製のものとなっています。1913年(大正2年)3月に三重県が設置したものです。
そして、伊勢神宮への参拝道の案内として、下のような道標も建てられました。

和田さんの先祖が、この辺りは曲がり角が多いので建てたそうです。現在のものは、1937年(昭和12年)の和田甚一郎さんが建てたものだそうです。
上野城址が有りました。


織田信長の弟、信包が津城の仮城として、1570年(永禄13年)に築城したそうです。浅井長政が自害した後、織田信長の配慮で、お市と三姉妹が住んだ城だったそうです。3女の江は、7年間をここで過ごしたそうです。
その後、津藩主となった藤堂高虎が取り壊し、現在は展望台が天守閣跡にあるそうです。
旧街道なので、道幅は狭いです。なので、電柱が立つと人の通る部分が無くなります。でも、白線をそうまでして、引かなくてもと思いました。



水仙の花が咲いていました。雪に覆われた札幌市から来ると、ものすごく嬉しかったです。

鈴鹿市では、とんでもない交差点が有りました。人は横断できない交差点です。



国道と幅員の有る塘路とでT字の交差点になっています。しかし、横断歩道も、歩行者用信号も有りません。おまけに中央分離帯にフェンスまで設置しています。人の渡れない交差点なんて初めてです。どういう了見なのでしょう。私は、怒りを覚え、信号に従って、横断しました。

あの水門の向こうは伊勢湾だなと思ったところの風景が素敵で写真を撮りました。


煙突と煙が見えてきました。四日市市が近づいたと思いました。

四日市市に着きました。

四日市市と鈴鹿市の境はこの水路のようです。

