1月17日(水)は、名古屋市南区の残っている局を訪問し、名古屋市緑区から豊明市までの郵便局を訪問しました。訪問したのは、次の20局です。
名古屋大同、名古屋柴田、名古屋要町、名古屋鳴尾(以上、名古屋市南区)、名古屋大高、名古屋鳴海、名古屋下中、名古屋左京山、緑、名古屋薬師山、名古屋花井、名古屋浦里、名古屋滝ノ水、名古屋鳴海団地内、名古屋有松、名古屋桶狭間(以上、名古屋市緑区)、豊明新栄(豊明市)、名古屋植松(名古屋市緑区)、豊明前後、豊明(以上、豊明市)
この日は朝から雨でした。地図を見ながら歩くことができない(パソコンのプリンターで印刷した地図なので、雨が当ると滲んで読めなくなります)ので、豊明市は全て訪問できませんでした。名古屋市南区だけが完訪でした。
トップの写真は、7767局目となった名古屋鳴海団地内郵便局です。
大同町の町名の由来が掲示されていました。
1937年(昭和12年)に現、大同特殊鋼㈱の星崎工場ができたことにより、鳴尾町と星崎町の一部が合併し、大同町ができたそうです。
名古屋市南区から緑区へは天白川を渡らなければなりません。大星橋という人道橋を渡りました。
この位置に橋がなければ、大きく迂回しなければなりません。扇川は天白川の支流で、ここでは並行して流れています。もう少し下流で合流するようです。
昨日に続き、今日も東海道を歩きました。平部町常夜燈が有りました。
平安時代初期の宮中の年中行事や制度などを記した「延喜式」に載っている「愛智郡鳴海神社」にあたるという、鳴海神社が有りました。
686年(朱鳥元年)の創建だそうです。
日本初のプロ野球が開催された、鳴海球場があった場所を示す表示がありました。
鳴海球場は1927年(昭和2年)に愛知電気鉄道(今の名古屋鉄道です)により建設されたそうです。1936年(昭和11年)2月9日に、この球場で日本初のプロ野球が開催され、東京巨人軍と名古屋金鯱軍が対戦しました。10対3で名古屋金鯱軍が勝利しています。1958年(昭和33年)に閉鎖され、名鉄自動車学校になっています。
桶狭間に着きました。
1560年(永禄3年)に織田信長が今川義元を破った合戦場として有名です。
その桶狭間の合戦で、今川義元が戦死した場所を示す七石表が有りました。
ここは豊明市になります。1771年(明和8年)に建てられたものだそうです。そして、今川義元の墓も有りました。
「春が近い」と思ったのが、下の写真です。紅梅の蕾が膨らみ、水仙が咲いていました。
名古屋植松郵便局は、中京競馬場の傍に有ります。なので、下の写真のようなモニュメントが有ります。
豊明市では名鉄線を横断しなければなりません。ちゃんと渡れる場所が有りますが、下の写真のとおりのトンネルです。
「これ、水が横断するためのものだろう。腰をかがめて横断するのは初めてだ。」すごい横断施設です。「もっとすごいな!」と思ったのが、下の横断施設です。
電車が通っているときは、怖くて下を抜ける気にはなりません。でも、横断施設だから、頭上注意と書かれているのでしょう。
雨が降り続けなければ、もっと様々な発見があったかもしれません。もう少し、訪問局数も増えたことでしょう。でも、歴史を知り、すごい名鉄線の横断施設も知りましたので、満足です。