今年の7月24日(金・祝)、私たち夫婦は、30年ぶりぐらいに、積丹半島の神威岬を訪れました。
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下の写真の風景のところで、妻が、「ねぇ、昔、この辺りから下に降りて、トンネル抜けたよね。」と言いました。
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確かにこの辺りから、階段を降り、海に出て、崖の当たりにある念仏トンネルを抜ける「海の道」が有りました。その当時も危険、注意と書かれていた記憶が有る道です。
トップの写真のいちばん右側の穴が念仏トンネルだと思います。
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神威岬灯台のところの案内板には、そのトンネルのことも記載されています。
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1912年(大正元年)10月の天皇誕生日、灯台長婦人と三歳の次男、補助員の奥さんがお祝いの食料品を買いに余別まで買い出しに出ます。その途中で大波に呑まれ、行方不明になったそうです。村人たちはこのことに心を痛め、タガネとハンマーで少しづつトンネルを掘ったそうです。それから、7年かけ、トンネルを掘り続けます。1919年(大正7年)、トンネルが貫通し、念仏トンネルと呼ばれるようになりました。そのトンネルができたおかげで、灯台職員や家族、訪問者の安全が確保されることとなりました。1960年(昭和35年)、灯台が無人化されますが、それまで職員90人と家族が神威岬灯台を守ったそうです。
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