創業が天保元年という飴の俵屋さんでお土産を買った後、私は少し道に迷いました。
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本当は東町茶屋街に行き、次にここの主計町茶屋街に寄るつもりでしたが、順序変更です。浅野川沿いは「鏡花のみち」となっています。
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なかなか風情のある道です。
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「金沢城惣構」が発掘された所も有りました。土塁、堀等です。
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泉鏡花の「化鳥」の一節が紹介された表示が有りました。
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「アッ!通行料を取っていたのは、あの中の橋か。」と気がつきました。
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「鏡花のみち」から、「この辺りから左に曲がり、路地を進めば、くらがりの坂かな。」と思い、一本奥の狭い路地を進みます。
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「やはり日本人は路地の文化は落ち着くな。」と思いました。
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そして、「くらがり坂」です。
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「くらがり坂」を上がると、下新町になります。泉鏡花の生誕の地です。
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「泉鏡花記念館」が有りましたが、まだ、営業時間前でした。
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また、「くらがり坂」を降り、狭い路地を進みます。
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今度は「あかり坂」です。
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命名したのは、作家の五木寛之氏だそうです。
また、浅野川沿いの「鏡花の道」を進み国道に出ました。そこで、「乃木将軍と孝子辻占売少年」の碑が有りました。
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「4月に行った、東京、乃木坂の旧乃木邸に有った銅像の話だな。」と気が付きました。「金沢だったんだ。」とも思いました。「辻占売」とは何か分かりませんでした。調べたところ、遊郭等で辻占いの入った辻占菓子を売り歩く商売のようです。当時、8歳だった少年が一家の生計をそれで立てていたようです。なお、私が見た銅像は、旧乃木邸に移される前は六本木ヒルズの毛利庭園の池の所にあったようです。偶然ですが、関係が分かりやすくなりました。
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