10月10日(月、祝)、福井県敦賀市に行った私は、気比の松原、気比神社を見た後、港の方にも行ってみました。
赤レンガ倉庫が有りました。
1905年(明治38年)にアメリカの石油会社、紐育(ニューヨーク)スタンダードカンバニーが建築したものだそうです。修復工事がなされ、2015年(平成27年)にジオラマ館、レストラン館、オープンガーデンからなる観光施設になりました。
そして、ベンチには、奴がいました。
一瞬、「ギョッと」します。
時計塔が有り、港が綺麗に見えます。
そして、敦賀港駅が有ります。トップの写真です。残念ながら、戦災で無くなり、資料も戦災で無いことから、イメージで建てたそうです。現在は敦賀鉄道資料館です。
蒸気機関車が飛び出して見せるトリックアートや改札の鋏等が展示されています。この鋏、懐かしいです。改札で駅員さんが良く、カチャカチャさせていました。
この敦賀港駅、とても戦前は重要でした。「欧亜国際連絡列車」が有り、新橋~敦賀港駅~ウラジオストク~(シベリア鉄道)~ヨーロッパと繋がっていたのです。敦賀とウラジオストクには定期船が運航されていました。
初めて、オリンピックに派遣された金栗四三、三島彌彦両選手は、この敦賀港駅を出て、客船「鳳山丸」でウラジオストクに渡り、シベリア鉄道で開催地のスウェーデン、ストックホルムに向かったそうです。
1916年(大正6年)、ロシア革命が始まると、作曲家のプロコフィエフ等が、亡命のため、この敦賀港に降り立ったそうです。
そして、下の写真です。
リトアニアのカウナス領事代理だった杉原千畝氏が発行したビザを手に、ナチスドイツの迫害を逃れるため、多くのユダヤ人がここに到着しています。