9月23日(金・祝)、私は先祖の出身地だという、兵庫県赤穂市にいました。まずは赤穂城に行き、播州赤穂駅に向かいました。
トップの写真のように、松が植えられ、城下町らしい通りになっています。

「旧赤穂水道 給水路と配水路」と書かれたものが有りました。

良い飲料水を得るため、約7km上流の千種川から取水し、城内、城下町に水を配水していたそうです。侍屋敷だけでなく、庶民にも汲出し桝を設け、利用できるようにしていたそうです。生活をする上で水は欠かせません。昔から、こういう取組があったことを知りました。

息継ぎ井戸も有りました。

1701年(元禄14年)3月14日、江戸城松の廊下での浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央を切りつけるという刃傷沙汰が起こります。その報を伝える使者であった早見藤左衛門と菅野三平が、4日半かけ早駕籠で赤穂に19日早朝に到着します。そして、この井戸で水を飲み、一息継いで、城内に向かったと伝えられているそうです。


「大星由良之助」と書かれたものが有りました。浄瑠璃の「仮名手本忠臣蔵」の登場人物です。モデルは大石内蔵助です。

こちらは、播州赤穂駅前の大石内蔵助の像です。
