2月19日(日)、私は糸満バスターミナルからバスに乗り、「ひめゆりの塔」に行きました。
こちらは、「沖縄戦歿職医療人之碑」と「陸軍病院第三外科職員之碑」です。


陸軍第三外科病院は、この穴の奥の壕に有ったそうです。

1945年(昭和20年)6月19日、黄燐手榴弾などの攻撃で、多くの方が戦死しています。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一女学校の生徒は、従軍する看護師なっており、やはり多くの方がここで亡くなっています。

戦争の悲惨さを残しておきたいと、1946年(昭和21年)に碑が建てられました。トップの写真の下にある小さな碑です。戦没者名を記した碑も有ります。「ひめゆりの塔」と名付けられました。両校の交友誌が「姫百合」だったことから名付けられたそうです。


奥に有る白い碑、ひめゆりが描かれています。1957年(昭和32年)に建てられました。沖縄師範学校女子部115名と沖縄第一女学校の112名の名が刻まれています。
その奥に「ひめゆり平和記念資料館」が有りました。見学しましたが、写真撮影は禁止なので、館だけです。

多くの千羽鶴が皆の平和への願いとなっています。戦争ほど悲惨なものは無いと思います。G7サミットが開催されますが、核兵器の問題、ウクライナとロシアの戦争について各国のリーダーが解決策を導き出して欲しいと願っています。

