(1)からの続きです。様々建物が復元されています。下の写真は、「掘立柱建物」です。



食料や道具の保存庫として使われたのでしょうか。イエネコは元は穀物倉庫の番人(ネズミを捕る)として、飼われたようです。
そして、「大型立穴建物」です。


その中は、本当に広いです。


共同の作業場だったのでしょうか。
24年前に来た時は、できたばかりだった「大型掘立柱建物」です。トップと下の写真です。


トップの写真のように木の枝分かれ部分に載せる形で、造られています。

復元された「大型掘立柱建物」の位置は、発掘された場所では有りません。発掘場所はちゃんと保存されています。



柱の木がちゃんと残っています。
縄文人の姿で歩いている人がいました。衣装を貸してくれるようです。当時の人の気分になれるのでしょうか。


広い土地に多くの建物が復元されています。また、遺跡も保護されています。

こちらは、発掘された縄文式土器です。全て重要文化財だそうです。



板状土偶です。

下の写真は、クリを植えている所だそうです。

私が歴史で習ったのは、「縄文時代は狩猟・採取の時代であった。」というものです。しかし、縄文人はちゃんと作物を植え、育てる農業をしていました。

そして、下の写真です。北海道の黒曜石、北陸のヒスイ等が、この遺跡から発掘されました。


縄文人は、想像以上に活発に移動し、交易等を行っていたようです。
建築家の黒川紀章さんが、ホモ・モーベンスということを本で述べていました。「動く」ということは、縄文人も持っていた人間の本質なのではと、私は思いました。なので、私は郵便局を求めて歩いているのでしょうか。
