しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

東武日光駅前に路面電車が展示されていました。「5年前に来た時、あったかな?」と思いました。有りません。今年の3月20日からの展示です

2020-08-13 20:17:54 | Weblog

 7月5日(日)、栃木県日光市の東武駅前を通った私は、路面電車が展示されていることに気が付きました。

 

 


 日光には5年前にも来ています。「昔からあったのかな?俺、これに気が付か奈たのかな?」と思いました。調べたところ、5年前には有りませんでした。今年の3月30日から展示されています。

 かつて、JR日光駅からいろは坂の馬返まで、東武鉄道日光軌道線が運行されていました。その時に使用されていた車両だそうです。1953年(昭和28年)から1968年(昭和43年)まで、使われていました。その後、岡山電気軌道で岡山市内も走ったようです。

 

 終点の馬返からは、東部日光鋼索鉄道線というケーブルカーが、1970年(昭和45年)まで、明智平へ通じていました。5年前に行った明智平のレストハウスで、その跡を見ました。
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栃木県日光市のコンビニで、栃木県内にしかないというレモン牛乳を見つけたので、買って飲んでみました

2020-08-11 19:27:00 | Weblog

 7月5日(日)、私は日光東照宮の陽明門を見るために栃木県日光市に行きました。陽明門を見た後、飲み物を買おうとコンビニに寄りました。そこで、見つけたのが、栃木県内でしか販売されていないという、レモン牛乳です。

 

 正式名は、パッケージにも書いてありますが、「関東・栃木レモン」です。でも、「レモン牛乳」と呼ばれているようです。元々は、戦後、まもなく宇都宮市の関東乳業さんが販売を開始したものだそうです。しかし、2004年(平成16年)に関東乳業さんは廃業され、生産されなくなりました。かなりの人気商品であったことから、2005年(平成17年)に栃木乳業が製造法を受け継ぎ、現在の名前で製造販売しているそうです。

 飲んでみました。「なんだ、この甘ったるさは。」が最初の感想です。でも、飲み続けていると慣れてきます。最後は「なかなか面白い味」となりました。この飲み物、当然ですが、レモン果汁は入っていません。香料だけです。でないと、フルーチェになってしまいます。
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栃木県栃木市「蔵の街 とちぎ」は、古い建物が多く、歩いていて飽きません。2時間ぐらい歩いてしまいました

2020-08-09 16:03:14 | Weblog
 7月5日(日)、日光東照宮で陽明門を見た後、私は東武線で栃木県栃木市に向かいました。そして、新栃木駅で降りました。



 「蔵の街 とちぎ」は、日光例幣使街道の宿場町であり、江戸との巴波川を使った水運で栄えた問屋町だったそうです。だから、商うものを保管する蔵が多いのでしょう。
 新栃木駅前を歩いていくと、花火店が有りました。花火だけを扱うのは珍しいと思います。

 

 
 「嘉右衛門町 伝統的建造物群保存地区」と書かれた看板が有りました。楽しみです。

 

 まず、有ったのが油伝味噌㈱です。

 

 

 創業は天明年間(1781~1789年)だそうです。明治時代の土蔵ほか5棟が国の登録有形文化財になっています。

 その先に町名の由来となった、岡田記念館が有りました。

 

 古くは武士でしたが、この地に移住して開墾し、嘉右衛門新田を開きました。代々の当主が嘉右衛門を名乗っているそうです。


 この曲がりくねり方は、旧街道だと思います。

 

 洋風の建物も登録有形文化財になっています。

 


 とちぎ蔵美術館に着きました。トップの写真です。「善野家土蔵 通称お助け蔵」を改修した美術館です。

 


 この洋館は大正時代のもののようです。カフェになっています。

 

 


 川のある風景は素敵です。

 

 その川沿いに塚田歴史伝説館が有りました。

 

 塚田家は弘化年間(1844~1848年)から木材廻船問屋を営んでいたそうです。

 川から蔵の街を眺めることもできるようです。

 

 川沿いには、煉瓦の重厚な建物が有ります。片岡写真館です。明治2年(1869年)の創業だそうです。

 


 今度は県道11号の方を歩いて、ホテルの有るところまで行くことにしました。古い街並みが続きます。

 

 


 あだち好古館が有りました。

 

 呉服問屋を営んでいた安達幸七市が収集した浮世絵、書画、古美術等を展示しているそうです。


 喜多川歌麿は、栃木市で多くの作品を制作したと考えられいるようです。かなり栃木市とは縁が深かったようです。最近になって、分かってきたようです。古久磯提灯店の見世蔵は、とちぎ歌麿館になっています。

 

 最後に石造の建物を見て、ホテルに入りました。

 
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7月24日、私たちが積丹半島に行った目的は、「生うに丼」を食べるためでした。「お食事処みさき」さんでいただきました

2020-08-07 19:11:02 | Weblog

 今年は7月23日(木)から26日(日)まで、4連休でした。病気療養中の妻が、「4連休全て、スティホームは嫌だ。」と言うので、「じゃ、積丹に生うに丼を食べに行くか?」に大賛成してくれました。

 札幌から余市まで高速道路を行き(初めて通りました)、国道を走り、積丹町にある「お食事処 みさき」さんに午前11時、到着です。すごい人が並んでいるのが目に入ります。幸い、店の前の駐車場が1台分空いており、ラッキーです。車を止め、最後尾に並びました。

 

 100人ぐらい並んでいるでしょうか。「1時間はかかるな。」と思いました。また、「まさか、売り切れ、営業終了にならないよな。」とも考えました。1時間経つと、列がやっと店の前に来ました。

 

 「もう少しで食べれる。生うに丼の幟が、目につくな。」と思いました。

 

 列に並んでから1時間20分、店の中で、注文した「生うに丼」が出されました。

 

 私は、トップの写真のようにわさびを溶いた醤油をかけて食べます。明礬に漬けられていない、「うに」は本当に美味しいです。次から次へと、私の箸は止まりません。

 私たち夫婦は、30代前半まで、毎年のように積丹にこの「生うに丼」を食べに来ていました。ここ、25年くらい積丹にも来ていません。暫くぶりの「生うに丼」のためのドライブになりました。
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猫との出会い その158 昨年の7月25日、北海道の焼尻島で出迎えてくれたのも猫ちゃんなら、見送ってくれたのも猫ちゃんでした

2020-08-05 22:43:16 | Weblog

 昨年の7月25日のことです。焼尻郵便局訪問のため、私は焼尻島を訪れました。そして、島についてすぐ、7匹の猫ちゃんが私を迎えてくれました。157で報告のとおりです。

 港に戻ってきたところで見送りしてくれたのは、トップと下の写真の猫ちゃんです。

 

 


 首輪をしているので、どこかのお宅の飼い猫でしょう。

 しばらくして、私の乗る船が来ました。今度は、天売郵便局訪問のため、天売島に向かいます。

 


 船は猫との出会いの有った焼尻島を離れていきます。

 
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30年ぶりぐらいに積丹の神威岬に行ってみました。海に突き出た岬は変わらず、美しかったです

2020-08-01 13:13:28 | Weblog

 今から30年ぐらい前には、毎年、夏になると私は北海道積丹半島に、海水浴や生ウニ丼を食べに行っていました。しかし、しばらく行っていませんでした。7月の4連休、妻が「全部、ステイホームは嫌だ。」というので、生ウニ丼と神威岬を見に積丹に行くことにしました。

 「あれ、こんな整備されてしまった。」と思いました。私が30年ぐらい前に来たときは、砂利道の駐車場と道があるだけだったと思います。

 

 

 綺麗なトイレに売店等が有ります。


 下の写真の奥に有る、突端の神威岬灯台を目指します。20分ぐらい歩くでしょうか。

 

 美し花々や景色が楽しめます。

 

 

 


 

 

 神威岬灯台に近づくと、面白い小さな山が見えてきます。

 


 神威岬灯台に到着です。

 

 以前はこの手前までしか、来れなかったように思います。今は、この先に進めます。突端からの眺めは、トップと下の写真です。

 


 海に岩が点々と続いています。美しい眺めだと思います。
 でも、なぜ小銭がこんなにたくさん落ちているのでしょう。何のためでしょうか。


 帰りに、ここは海に突き出た部分だと分かる写真が撮れました。両側に海が広がっています。

 
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