しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

東京都青梅市は映画看板と猫で街おこしを行っているそうです。今は、猫を題材にした映画看板が多いです。青梅駅にも映画看板が設置されていました

2023-12-06 17:35:20 | Weblog

 6月14日(水)、私は郵便局訪問で、東京都青梅市に行きました。東京都青梅市にはかつて3館の映画館が有ったそうです。その映画館の看板を製作される方もいました。看板氏の久保板観さんです。

 その方の協力で、街の中に多くの映画看板が設置されていました。しかし、製作者の久保板観さんが逝去されたこと、2019年の台風で甚大な被害を受けたことから、設置されていた看板が安全の為、取り外され、少なくなったそうです。私は2枚、見つけました。

 

 


 その代わり、芽だったのは、「ネコ」を題材にしたパロディの映画看板です。

 

 「お熱いのは苦手」、ニヤリリンモンロー、トニーニヤーティス、ニヤックレモン。思わず笑ってしまいます。


 その他にもたくさん見つけました。

 

 

 

 


 「猫をたたえる名作最高峰 ニャーン」も笑ってしまいました。

 


 青梅駅にも映画看板が有りました。駅い相応しいタイトルの映画3つです。トップと下の写真です。

 

 

 青梅駅には、他にも3枚の合計6枚の映画看板が有るそうです。製作者は先ほどご紹介した、久保板観さんです。2005年(平成17年)に設置されたそうです。かなり傷んでいましたが、今年1月に修復され、改札近くに移設されたそうです。

 北海道の夕張市でも、「ファンタスティック映画祭」を開催していることも有り、「夕張キネマ街道」として、多くの映画看板が設置されています。私が若い頃(50年くらい前)、こうした映画看板が掲げられた映画館は普通の存在でした。
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9月17日(土)、私は新青森駅から歩いて、北海道東北の縄文遺跡群で世界遺産になった、三内丸山遺跡に行きました。古代史を新たにした遺跡です(2)

2023-12-04 19:43:50 | Weblog

 (1)からの続きです。様々建物が復元されています。下の写真は、「掘立柱建物」です。

 

 

 食料や道具の保存庫として使われたのでしょうか。イエネコは元は穀物倉庫の番人(ネズミを捕る)として、飼われたようです。


 そして、「大型立穴建物」です。

 

 その中は、本当に広いです。

 

 共同の作業場だったのでしょうか。


 24年前に来た時は、できたばかりだった「大型掘立柱建物」です。トップと下の写真です。

 

 

 トップの写真のように木の枝分かれ部分に載せる形で、造られています。祭祀に用いられる建物だったのでしょうか。
 復元された「大型掘立柱建物」の位置は、発掘された場所では有りません。発掘場所はちゃんと保存されています。

 

 

 柱の木がちゃんと残っています。


 縄文人の姿で歩いている人がいました。衣装を貸してくれるようです。当時の人の気分になれるのでしょうか。

 


 広い土地に多くの建物が復元されています。また、遺跡も保護されています。

 


 こちらは、発掘された縄文式土器です。全て重要文化財だそうです。

 

 

 
 板状土偶です。

 


 下の写真は、クリを植えている所だそうです。

 

 私が歴史で習ったのは、「縄文時代は狩猟・採取の時代であった。」というものです。しかし、縄文人はちゃんと作物を植え、育てる農業をしていました。

 そして、下の写真です。北海道の黒曜石、北陸のヒスイ等が、この遺跡から発掘されました。

 

 縄文人は、想像以上に活発に移動し、交易等を行っていたようです。
 建築家の黒川紀章さんが、ホモ・モーベンスということを本で述べていました。「動く」ということは、縄文人も持っていた人間の本質なのではと、私は思いました。なので、私は郵便局を求めて歩いているのでしょうか。
 
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9月17日(土)、私は新青森駅から歩いて、北海道東北の縄文遺跡群で世界遺産になった、三内丸山遺跡に行きました。古代史を新たにした遺跡です(1)

2023-12-02 20:35:13 | Weblog

 お昼に美味しい「本マグロ丼」を食べた、私は、2021年(令和3年)に「北海道・東北の縄文文化遺跡群」で「世界遺産」となった「三内丸山遺跡に向けて歩き出しました。」

 三内霊園の中を通ります。

 


 エクストラドースト橋が見えてきました。東北新幹線の橋です。

 


 橋を潜り、三内丸山遺跡に近づきました。左折します。

 


 実は、私は今から24年前に三内丸山遺跡に行ったことが有ります。今は無き、父と車で札幌から新潟までに行った時、父の希望で立ち寄りました。当時は、掘立柱の構造物が復元された直後でした。下の写真のような建物は有りませんでした。

 

 


 この日は、「さんまるJOMONの日」で入場が無料になっていました。ラッキーです。

 


 大きな公園になっているのに驚きました。24年前は何も無く、土の道を駐車場から歩いた記憶が有ります。

 


 「環状配意識墓と道路跡」が有りました。園路は道路跡の上に造られているそうです。道路は掘って造られ、幅7~12m、東に約420m、南に約370m延びていたそうです。


 

 


 縄文の集落が見えてきました。トップの写真です。縄文時代にこのような大集落が有ったことを私たちが知ることができたのは、この三内丸山遺跡の発掘だったと思います。


 「南盛土」が有りました。
 
 

 

 竪穴建物を掘った時の土や炭、壊れた石器・土器等を長年に渡り、同じ場所に捨て続けた結果、小高く盛り上がったのが「盛土」だそうです。北盛土、南盛土、西盛土の3つが確認sあれているそうです。北盛土や南盛土では土偶が多く出土するそうです。


 多くの建物が復元されています。まずは、当時の人々が住居をして使ったと思われる竪穴建物とその中です。

 

 

 中での生活はどうだったのでしょうか。筵かなにかを敷かないと寝れないように思います。


 今回は、ここまでとします。(2)い続けます。
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