ここ数日、母の手術や孫の幼稚園の入園申し込みを徹夜で並んだりして、落ち着かない日々が続いていました。
気がついたら11月に入っていて、今年も残すところ2ヶ月しかありません
こうしてあっと言う間に歳を取っていくのですね。唖然、愕然です・・・
お陰様で母も一段落しました。
10針縫った傷口を消毒してもらい病院から戻ってくると、母の居る施設の入り口近くに大きなピンクの鮮やかなダリアが咲いていました。
白い花弁の混じったこの種類は、ブログ仲間のsiawasekunさんの所で覚えた「浮気心」でしょうか
そして母の車椅子を押しながら玄関を入ると、カボチャが飾ってありました。
施設内の畑で採れたものだそうです。
ハロウィンの日だったようです。
キリスト教の「万聖節」(11月1日)の前夜に行われるお祭りの事をハロウィンと言うようで、最近は随分日本でも盛んになってきましたね。
古代ケルト人の「秋の収穫感謝祭」に起源があるそうで、作物を荒らす悪霊退治の焚き火から始ったそうです。
日本の秋祭りも、五穀豊穣を感謝する収穫祭のようなものと聞いています。
この半月は母のことで頭がいっぱいで、毎日のように見ていたこれらのカボチャも意味を考える事なく通り過ぎていた私ですが・・・
「ハイ傷口も綺麗で心配はないようですね」と主治医に言われた日に、初めてユックリ見せてもらいました。
そして、友人のtomokoさんと歩いた丸の内にも、同じような「秋の収穫感謝祭」を表した一角があったことを思い出しました。
こちらが今年の4月に新しくオープンした「新丸ビル」の一角にあったコーナーです。
「ハロウィン祭り」とも「日本の収穫祭り」とも思われる造りです。
11月に入ったとたん、ここはクリスマスバージョンに替わっている事でしょうね
この日、日比谷公園の「松本楼」でランチを楽しんでから、tomokoさんと私は柳並木の美しい皇居のお堀端を歩き、途中から丸の内仲通りに入りました。
丸の内というと典型的なビジネス街と思われがちですが、どうしてどうして
この「仲通り」は、六本木や表参道にもひけを取らないくらいの「ブランド通り」として有名なんですよ。
お洒落でしょう・・・
私は銀座通りよりも好きな通りです。
tomokoさんと「今の我々の生活には縁がないけど、見るだけでも楽しいわね」と言いながら、丸ビル方面に歩いていきました。
右側のビルが今年の4月にオープンなった「新丸ビル」です。
東京駅丸の内口にあり、地下4階地上38階、高さ198メートルの建物。
ファッションや雑貨、レストランなど合計153の店舗が地下1階から7階に出店しています。
そして左側が数年前にオープンした「丸ビル」・・・
この二つが東京丸の内の新名所になりました。
ここのコンセプトは「大人の男と女の空間」とか、シックな感じの落ち着いた内装でした。
私たちはまだ話し足りなくて、5,6,7階のレストラン街を覗きましたが、もっと気楽な所で甘いものが食べたいねと・・・
案内嬢さんに聞いて地下に降りました。
フルーツパーラーの「万惣」もありましたが、中学時代に戻った二人はもっとカジュアルな「町村農場」の小豆と抹茶のパフエーに飛びつきました。
札幌では有名な、今の町村官房長官のお父さんがやっていた町村牛乳のお店です。
「高校の帰りに、よく新潟の古町の三日月で甘いものを食べたよね」
新潟時代の幼馴染同士・・・
同じ思い出を持っているのが嬉しいですね。
こうしてtomokoさんとの楽しい一日が終わりましたが・・・
その後は怒涛の一週間が控えていました。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆
「ハー君の幼稚園は大丈夫だったの?」と友人にも聞かれますので、その報告を致します。
ハロウィンの日の31日の晩、私たち夫婦は幼稚園の門が開く12時前から並ぶ気で、山用のキルティングの上着に折りたたみの椅子、山用のヘッドランプに本、そして熱いお茶にホカロンと抱えて早めに息子の家に出かけました。
しかし息子は12時前に並んでも追い返されるだけだからと(そう案内されていたそうです)、ノンビリしたもの・・・
それでも気になって、11時過ぎに様子を見に行ったら、もうたくさんの人であふれていました
ノーテンキな息子、まだまだ考えが甘いですね。
もう少しで、ハー君は幼稚園浪人する所でした。
私が12時まで並び、息子が3時、交替で主人が朝の7時半まで並びました。
12時からは幼稚園側がホールを開放してくれたので、横にはなれたようですが・・・
結局、60人の定員のうちの49番目だったそうです。
毎年これが繰り返されるなんて、この少子化の時代に信じられません
若い家庭の多い港北ニュータウンはそれだけ幼稚園の数が不足しているそうです。
こうして怒涛の一週間が終わり、気がついたら早くも11月に入っていました。
長期出張で新潟滞在の時、駅近くの宿から万代橋を渡って古町までよく歩きました。
美味しいお酒と地魚のお店、帰り道の万代橋で風に吹かれて寒かったこと、懐かしい思い出です。
幼稚園入園の受付待ちの徹夜、今もあるのですね。
お孫さんのための頑張り、お疲れ様でした。
私も、娘と息子のために並んだことを思い出しました。
もっと寒い季節だったように記憶していましたが、今時分だったのでしょうか?
いつも楽しい記事の読み逃げで申し訳ありません。
お身体ご自愛下さって、これからもお励み願います。
22歳で結婚して初めての転勤が新潟市だったのです。まだ二人きりでよく古町へは遊びに出かけていました。
ハー君の幼稚園決まってよかったですね。徹夜で並ぶなんて驚きました。若い人達の集まる地域と言うのはまだまだ大変なんですね。私のところは引越しをしてきた23・4年前の頃は学校のクラスも5クラス?位ありましたが今は一クラスが30人くらいしかいないそうです。
最初のダリア、皇帝ダリヤかと間違えました。家の近くにある
土手?の部分に沢山の皇帝ダリアが植えてあってつぼみがいっぱいついています。よく散歩するコースなので花が咲くのが楽しみです。
ハロインの飾りつけも綺麗ですね。
taeさんとお友達になっていただきました。素敵な女性で、共通する話題もあって楽しみが増えました。どうもありがとう。
嵐が過ぎましたね。お疲れさまでした。
いつもいろいろ解説して書いてくださり、勉強になります。
本当に知識が豊富ですね。
新丸ビルは知りません。感性を維持するために、ブラブラするのもいいのかもしれませんね。でも最近とんと、腰が重くなりました。
ところで、新潟でお育ちですか。私はよく知りませんが、
親戚、知人に新潟の方が結構いますので、不思議なご縁を感じました。
お母様の経過が良ければオーストラリアにいけますね。
暑さが去り、jisamaさんもお元気になられたようで何よりです。
私は父が転勤族だったので、新潟市には昭和32年から5年間住みました。
当地でちゃんと入学して卒業したのは中学校のみ・・・
ですから中学時代の友人とは今でも時々会って旧交を温めています。
当時の一番の繁華街は大和デパートのある古町近辺で、新潟駅はまだ田んぼが残る中にありました。
新潟はお米はモチロンの事、お酒もお魚も美味しい所ですね
私はまだ少女だったので、ラーメンが美味しかったのが印象に残っています。
柳並木の東掘りなど、夜の風情のある場所も多く、粋な新潟芸者も有名で・・・
jisamaさんも新潟での長期出張を楽しまれた事でしょう
その後も何度か新潟市には訪れていますが、近代的な街に変貌してビックリさせられました。
私は思春期の頃に過ごした街なでの、第二の故郷だと思っています。
おみさんの所のお子様達も同じ思いかと・・・
当時はジュンサ池の近くに住んでいましたが、何かというとバスで「古町」まで出ました。
高校は当時の県庁近くにあったので、古町でバスを乗り換えて行ったものですから、時間があると友人とブラブラと・・・
忘れられない繁華街です
徹夜で並んだ幼稚園の入園申し込み
なんともクレージーな一晩を過ごしました。
もっかお嫁ちゃんが第二子を妊娠中なので、ここはジジババの出番でした。
我が家近くの幼稚園や小中学校も、どこも少子化でどんどん人が減り、中学校などは一学級と聞いていましたが、最近マンションの建設ラッシュで、子供たちが増えてきたと聞きました。
大規模開発が進み、学校などが追いつかないと本当に困ります。
taeさんは短大時代の友人で、見かけも趣味も私とは全然違いますが、何故か気があって、仲間同士4人で付き合ってもう40年以上になります。
息子さんの住んでいる山形の情報がたくさん得られる楽しみが増えましたね。
特に情報通と言うわけではないのですが、父が転勤族で、日本各地を廻りました。
生まれたのは北海道の「滝川」と言う所ですが、新潟市には11歳から16歳まで過ごしました。
一番多感な頃でしたから、思い出も友人もたくさん居て、この時の友人たちとは、今でも時々中間の水上や湯沢などで落ち合って、温泉で一晩語り明かしたりしています
tomokoさんは唯一東京に出てきている新潟時代の友人なんですよ。
お互い少女の頃からの姿を知っていますから、気心も通じているし・・・話すことで癒されました。
私も都心に出るのは年に何回もありませんが、今回は続きましたね。
流石に東京は、行くたびにその姿を変えている様に感じました。
オーストラリア行きは、7日の母の抜糸の様子を見て決断するつもりです
お孫さんの入園が決まっておめでとうございます。並んだ甲斐がありましたね。
正確には今の官房長官のお爺さんが農場を始めたのかな?
お父さんは知事をしていたようですから・・・
辛党の私でも、お喋りの後にはこの甘いパフェーが美味しかったです
徹夜で頑張った甲斐あって、ハー君も無事に幼稚園に入れるようですが、人生始ったばかりでこの騒ぎ・・・
先が思いやられますね。
お母さんの具合もよろしいようでよかったですね。
東京駅にもまた新しい名所ができたようです。
地下街だそうですが、まだ行ってみていません。
出る機会があったら寄ってみたいと思います。
一人、二人、と仲間が増えていく喜びを感じています。
月めくりのカレンダーも、残すところ一枚となりましたね。
月日の立つのは早いもの、と何時も感じます。
「町村農場」は私の町にあるんですよ。
子供が小さい頃は、牧場に遊びにいったものでした。
これからもお邪魔に来ますのでよろしくです。