『ウイルスという見えない敵とは長期戦になる』。
そんな様相が、ハッキリしてきた。
どうやら、私たち1人1人が、
この戦いに対し、覚悟を固めなければならない。
「そのうちに、何とかなるのでは・・」。
そんなばく然とした期待感は、もう捨てるしかない。
全国民、いや全世界が総力戦だ。
みんな、頑張ろう。
それにしても、2月末しかり、4月しかりだが、
事態が悪化すると、真っ先に手を付けるのが、
学校の休校措置である。
急転直下、なんの予告もなく、
「明日から学校はしばらくお休みです」。
そう知らさせる子ども達。
そんな日常の急変に、ただ黙って従うしかないのが、
子どもの実際だ。
「休業補償をしてください。」
そんな声はなく、お金がかかる心配もない。
それが休校措置だ。
だからか、いつもいの一番に行政がうつ一手だ。
いやいや、屈折した考え方に固執するのはよくない。
それよりも、弱者である子ども達への感染防止策を、
最優先した措置と思おう。
3月中旬だったろうか、新聞記事にこんな一文があった。
『埼玉県内の30代女性は、小1の長女の言葉に頭を抱えた。
「いつもの学校じゃない。もう行きたくない」。
教室で一時預かりをしてくれたが、
私語厳禁、立ち歩きはトイレだけ。
娘の動揺を見かねて、
パートの仕事を休まざるを得なくなった。』
子ども達が置かれている今が、垣間見える一事だ。
一読して、心が痛んだ。
コロナで、学校も子どもも親もそれぞれが辛い。
悔しいが、今は、その事実に耐えるしか方法がない。
さて、どうやって耐えていくかだ。
一人一人の知恵が、大きく問われている。
「こんな時だからこそ、親子で料理を楽しもう!」
某テレビ番組が呼びかけていた。
それも、一つのアイデアだろう。
いつもより時間をかけ、
「美味しいね。」と言葉を交わしながら、
家族みんなで食卓を囲む。
ゆったりとした楽しい家族団らん。
「そんな好機にする!」。
そう発想を膨らませるも一案ではないだろうか。
ところで、我が家はどうだ?!
時間をかけての食卓は、伊達に来てからの日課だ。
贅沢はできないが、旬の物を買い求め、
「美味しいね」と言いながら、
味わうのは毎日のことだ。
それ以上に時間をかけた2人の団らんをどう工夫する?
思い出話以外には即答できない。
くり返しになるが、外出自粛の長期戦だ。
その知恵の1つは、
テーブルに並んだ料理に、箸を進めながら、
ダラダラと美味しい思い出話を語ることだろう。
それも戦いの一環と思いたい。
先日、昼食で蕎麦を食べながら、
美味しかった蕎麦屋ベスト3を話題にした。
随分と時間をかけてしまった。
ベスト1
まもなく40歳をむかえる頃だった。
初めて教務主任という役が回ってきた。
その年、教頭先生が替わった。
3,4年先輩の口数の少ない方だった。
5月に入り、2人一緒の出張があった。
そこでの研修が5時過ぎに終わり、
帰りの駅に向かった。
「どう、蕎麦でも食べない?」
教頭先生から誘われた。
断る理由などなかった。
「今日は、私がお金を出します。
なので、好きな蕎麦屋に行ってもいいですか。」
彼はそう言うと、
人を縫うようにドンドン前を行った。
その後ろを追うのがやっとだったので、
その蕎麦屋が日本橋のどこにあったか、覚えていない。
それまで、私が知っていた蕎麦屋とは店構えが全く違った。
ちょっと値のはった料理店風だった。
店内も、小洒落た落ち着きがあった。
向き合ってテーブル席に着くなり、
「大昔だが、ここは天ざるを最初に出した店なんだ。
お勧めなんだけど、それでいい?」。
俄然興味が湧いた。二つ返事だった。
やや時間をおいて、天ざるが置かれた。
お盆にも器にも、目が止まった。
しかし、天ざるの味はそれ以上にすごかった。
2人はひと言も発することなく、
天ぷらと蕎麦に箸が動いた。
私にとって、蕎麦屋ベスト1は、ずっとここだ。
店の名は、『砂場』だった気がする。
ベスト2
総武線の小岩駅前から、金町駅行きのバスに乗る。
途中で京成線の踏切を渡る。
すると、そこは江戸川区から葛飾区へと変わる。
街路樹が銀杏になり、まもなく「寅さんの故郷」柴又。
そのバス通り沿いに、目立たない店構えの蕎麦屋がある。
もう30年も前になるが、初めてその暖簾をくぐった。
間口の狭い小さな店で、
ご夫婦2人で切り盛りしているように見えた。
奥さんの口調は歯切れよかった。
メニューを見て迷っていると、近寄ってきて言った。
「始めての方だね。
ウチは、他より盛りが多いよ。
でも残すような人はお断り。
残さない人だけ、注文してもらってるの。」
客商売らしくない、随分乱暴な言葉だが、
何というのだろうか、
その言いっぷりに嫌味がなく、私は笑顔になっていた。
思い切って、お勧めの品を尋ねると、
『鴨せいろ』と即答された。
それを注文したものの、食べたことがなかった。
せいろにのった蕎麦と鴨肉の入った温かい汁がきた。
確かに蕎麦の量は多かったが、一気に食べ終えた。
以来、どこの蕎麦屋でも、「鴨せいろ」一筋。
そして、いつもあの柴又で食べた『やぶ忠』の味を思い出した。
先日、その店のホームページにこんな一文を見つけた。
『(30年以上も前)手打ちそば屋が珍しい頃に・・・、
手打ちそばを習得し、粉屋から買う粉を
玄そばから製粉までの工程のすべてをやることで、
低コストで量を普通もりでも多く、
おいしい手打ちそばを提供できるようにしました。』
店の心意気と一緒に、
奥さんが初顔客に言った乱暴な言葉の真意を知った。
旨味がさらに蘇ってきた。
ベスト3
私の耳学なので、不確かだ。
江戸なのか明治なのか、とにかく昔むかしだが、
うどん屋では薬も売っていた。
それに対し、蕎麦屋は酒が飲め、
今でいう居酒屋を兼ねていたらしい。
その名残なのか、首都圏の蕎麦屋では、
今もゆっくりとお酒を楽しめる店がある。
その蕎麦屋は、家内の情報だった。
千葉市の海浜地区に住まいがあった頃だ。
我が家から、徒歩なら40分弱の所だ。
近くによく通った内科医院があり、その店の暖簾は知っていた。
しかし、若干寂れた店構えで,気にもかけなかった。
ところが、美味しい店で近所では評判だと言う。
伊達に移り住む数年程前になる。
夏休みの夕方、散歩を兼ねてその店まで行ってみた。
店内も、蕎麦屋のイメージ通りで、惹かれなかった。
小上がりを避け、5,6つあるテーブルの、
一番奥席に座った。
隣の席には、同じ年格好の男女いた。
渡されたお品書きを見ながら、
その2人のテーブルを見た。
ガラスコップの日本酒と、
陶器の皿にのったつまみが、いくつか見えた。
それを見なければ、お蕎麦だけを注文していただろう。
だが、すっかり魅せられた。
お品書きから日本酒の銘柄を選び、
そして、板わさに鴨の燻製、そして天ぷらを頼んだ。
蕎麦屋が作るつまみの美味しさを始めて知った。
酒が進んだ。
飲み終えてから、ざる蕎麦で仕上げた。
これがまた、「絶品!」。
帰りは、タクシーを拾った。
その運転手さんが言った。
「あの蕎麦屋、俺たち運転手はよく行くんだ。
美味しいから、あまりみんなには教えないんだ。
これ以上混んだら、俺たち使えなくなるから・・。
だから、よろしくな・・。」
そんな訳で、誰にも教えず、伊達に来る日まで、
時々、家内と一緒に『三升屋』の暖簾をくぐった。
蝦夷立金花(エゾノリュウキンカ) 真っ盛り!
そんな様相が、ハッキリしてきた。
どうやら、私たち1人1人が、
この戦いに対し、覚悟を固めなければならない。
「そのうちに、何とかなるのでは・・」。
そんなばく然とした期待感は、もう捨てるしかない。
全国民、いや全世界が総力戦だ。
みんな、頑張ろう。
それにしても、2月末しかり、4月しかりだが、
事態が悪化すると、真っ先に手を付けるのが、
学校の休校措置である。
急転直下、なんの予告もなく、
「明日から学校はしばらくお休みです」。
そう知らさせる子ども達。
そんな日常の急変に、ただ黙って従うしかないのが、
子どもの実際だ。
「休業補償をしてください。」
そんな声はなく、お金がかかる心配もない。
それが休校措置だ。
だからか、いつもいの一番に行政がうつ一手だ。
いやいや、屈折した考え方に固執するのはよくない。
それよりも、弱者である子ども達への感染防止策を、
最優先した措置と思おう。
3月中旬だったろうか、新聞記事にこんな一文があった。
『埼玉県内の30代女性は、小1の長女の言葉に頭を抱えた。
「いつもの学校じゃない。もう行きたくない」。
教室で一時預かりをしてくれたが、
私語厳禁、立ち歩きはトイレだけ。
娘の動揺を見かねて、
パートの仕事を休まざるを得なくなった。』
子ども達が置かれている今が、垣間見える一事だ。
一読して、心が痛んだ。
コロナで、学校も子どもも親もそれぞれが辛い。
悔しいが、今は、その事実に耐えるしか方法がない。
さて、どうやって耐えていくかだ。
一人一人の知恵が、大きく問われている。
「こんな時だからこそ、親子で料理を楽しもう!」
某テレビ番組が呼びかけていた。
それも、一つのアイデアだろう。
いつもより時間をかけ、
「美味しいね。」と言葉を交わしながら、
家族みんなで食卓を囲む。
ゆったりとした楽しい家族団らん。
「そんな好機にする!」。
そう発想を膨らませるも一案ではないだろうか。
ところで、我が家はどうだ?!
時間をかけての食卓は、伊達に来てからの日課だ。
贅沢はできないが、旬の物を買い求め、
「美味しいね」と言いながら、
味わうのは毎日のことだ。
それ以上に時間をかけた2人の団らんをどう工夫する?
思い出話以外には即答できない。
くり返しになるが、外出自粛の長期戦だ。
その知恵の1つは、
テーブルに並んだ料理に、箸を進めながら、
ダラダラと美味しい思い出話を語ることだろう。
それも戦いの一環と思いたい。
先日、昼食で蕎麦を食べながら、
美味しかった蕎麦屋ベスト3を話題にした。
随分と時間をかけてしまった。
ベスト1
まもなく40歳をむかえる頃だった。
初めて教務主任という役が回ってきた。
その年、教頭先生が替わった。
3,4年先輩の口数の少ない方だった。
5月に入り、2人一緒の出張があった。
そこでの研修が5時過ぎに終わり、
帰りの駅に向かった。
「どう、蕎麦でも食べない?」
教頭先生から誘われた。
断る理由などなかった。
「今日は、私がお金を出します。
なので、好きな蕎麦屋に行ってもいいですか。」
彼はそう言うと、
人を縫うようにドンドン前を行った。
その後ろを追うのがやっとだったので、
その蕎麦屋が日本橋のどこにあったか、覚えていない。
それまで、私が知っていた蕎麦屋とは店構えが全く違った。
ちょっと値のはった料理店風だった。
店内も、小洒落た落ち着きがあった。
向き合ってテーブル席に着くなり、
「大昔だが、ここは天ざるを最初に出した店なんだ。
お勧めなんだけど、それでいい?」。
俄然興味が湧いた。二つ返事だった。
やや時間をおいて、天ざるが置かれた。
お盆にも器にも、目が止まった。
しかし、天ざるの味はそれ以上にすごかった。
2人はひと言も発することなく、
天ぷらと蕎麦に箸が動いた。
私にとって、蕎麦屋ベスト1は、ずっとここだ。
店の名は、『砂場』だった気がする。
ベスト2
総武線の小岩駅前から、金町駅行きのバスに乗る。
途中で京成線の踏切を渡る。
すると、そこは江戸川区から葛飾区へと変わる。
街路樹が銀杏になり、まもなく「寅さんの故郷」柴又。
そのバス通り沿いに、目立たない店構えの蕎麦屋がある。
もう30年も前になるが、初めてその暖簾をくぐった。
間口の狭い小さな店で、
ご夫婦2人で切り盛りしているように見えた。
奥さんの口調は歯切れよかった。
メニューを見て迷っていると、近寄ってきて言った。
「始めての方だね。
ウチは、他より盛りが多いよ。
でも残すような人はお断り。
残さない人だけ、注文してもらってるの。」
客商売らしくない、随分乱暴な言葉だが、
何というのだろうか、
その言いっぷりに嫌味がなく、私は笑顔になっていた。
思い切って、お勧めの品を尋ねると、
『鴨せいろ』と即答された。
それを注文したものの、食べたことがなかった。
せいろにのった蕎麦と鴨肉の入った温かい汁がきた。
確かに蕎麦の量は多かったが、一気に食べ終えた。
以来、どこの蕎麦屋でも、「鴨せいろ」一筋。
そして、いつもあの柴又で食べた『やぶ忠』の味を思い出した。
先日、その店のホームページにこんな一文を見つけた。
『(30年以上も前)手打ちそば屋が珍しい頃に・・・、
手打ちそばを習得し、粉屋から買う粉を
玄そばから製粉までの工程のすべてをやることで、
低コストで量を普通もりでも多く、
おいしい手打ちそばを提供できるようにしました。』
店の心意気と一緒に、
奥さんが初顔客に言った乱暴な言葉の真意を知った。
旨味がさらに蘇ってきた。
ベスト3
私の耳学なので、不確かだ。
江戸なのか明治なのか、とにかく昔むかしだが、
うどん屋では薬も売っていた。
それに対し、蕎麦屋は酒が飲め、
今でいう居酒屋を兼ねていたらしい。
その名残なのか、首都圏の蕎麦屋では、
今もゆっくりとお酒を楽しめる店がある。
その蕎麦屋は、家内の情報だった。
千葉市の海浜地区に住まいがあった頃だ。
我が家から、徒歩なら40分弱の所だ。
近くによく通った内科医院があり、その店の暖簾は知っていた。
しかし、若干寂れた店構えで,気にもかけなかった。
ところが、美味しい店で近所では評判だと言う。
伊達に移り住む数年程前になる。
夏休みの夕方、散歩を兼ねてその店まで行ってみた。
店内も、蕎麦屋のイメージ通りで、惹かれなかった。
小上がりを避け、5,6つあるテーブルの、
一番奥席に座った。
隣の席には、同じ年格好の男女いた。
渡されたお品書きを見ながら、
その2人のテーブルを見た。
ガラスコップの日本酒と、
陶器の皿にのったつまみが、いくつか見えた。
それを見なければ、お蕎麦だけを注文していただろう。
だが、すっかり魅せられた。
お品書きから日本酒の銘柄を選び、
そして、板わさに鴨の燻製、そして天ぷらを頼んだ。
蕎麦屋が作るつまみの美味しさを始めて知った。
酒が進んだ。
飲み終えてから、ざる蕎麦で仕上げた。
これがまた、「絶品!」。
帰りは、タクシーを拾った。
その運転手さんが言った。
「あの蕎麦屋、俺たち運転手はよく行くんだ。
美味しいから、あまりみんなには教えないんだ。
これ以上混んだら、俺たち使えなくなるから・・。
だから、よろしくな・・。」
そんな訳で、誰にも教えず、伊達に来る日まで、
時々、家内と一緒に『三升屋』の暖簾をくぐった。
蝦夷立金花(エゾノリュウキンカ) 真っ盛り!
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