ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

シリーズ『届けたかったこと』  (4)

2016-04-15 19:30:15 | 教育
 月曜日の朝、全校朝会での校長講話を思い出しながら、
子ども達へ『届けたかったこと』を記している。
 その第4話である。


 7 満開の桜を見ながら

 すっかり春になりました。
今年は、いつもより春の訪れが遅かったようですが、
それでも、ここにきて暖かい日が続いています。

 見てごらん。校庭の横にある5本の桜の木も、
今が盛りとばかりに満開です。
 この時季が、春の一番美しい時ではないでしょうか。

 今日は、桜についてお話します。
 どんな花も、空に向かって、つまり上を向いて花が咲きます。
ところが、桜の花だけは、その木の下にいる私たちの方、
つまり下を向いて咲きます。
 だから、木の下から見ても、一段ときれいなんです。

 この桜ですが、15、6の種類があるそうです。
校庭の桜をはじめ、今咲いているのは、
ソメイヨシノという種類です。

 これは、江戸時代の終わり頃、
江戸の染井町の植木屋さんがその苗を売り出したので、
この名がついたと言われています。

 枝々についた桜の花が、その木をおおい隠すほどすごく、
その上、満開の花が散るときは、
まさに花吹雪という言葉があるように、一気で、
その様がいさぎいいのです。
 それが、江戸の人々の気質によく合っていて、大人気となり、
たちまちの内に、江戸中に植えられたということです。

 桜は、水はけのよい場所を好みます。
水気の多い沼や川の畔では、堤の上に植えると、
よく育ち、花の色もよいのです。

 桜の名所と言われる、千鳥ヶ淵や上野公園の桜の木が、
大きく、花も美しいのは、
水はけのよい丘の上にあるからなのです。

 同じ桜の花でも、春、早く咲くのと遅く咲くのとがあります。
彼岸桜は寒い年でも、
関東では2月の終わりには咲く、早咲き桜です。

 遅く咲くのは、八重桜で、4月中旬から下旬に咲きます。
八重桜の本当の名は、里桜と言います。
 里桜は、伊豆半島に自然に生えていたもので、
それが全国に広められたものだそうです。

 日本からアメリカのワシントンに贈られ、
今では、毎年桜祭りでアメリカ中の名物になっているのは、
この里桜だそうです。

 今日は、桜のいろいろについて、お話しました。



 8 昔話『大根どろぼう』
 
 今日は、私が小学生の時、
担任の先生から聞いた昔話をします。

 小学校3,4年の頃だったと思います。
学校の裏山に、友だち数人でよく遊びに行きました。
 所々に畑があり、そこには大根や人参が植えてありました。
僕たちは、誰もいないことをいいことにして、
時々、その畑の大根や人参を抜き、
近くの小川で土を洗い流し、
おやつだと言って、かぶりつきました。

 そんなことをくり返していた時に、聞いたお話です。
だから、今でもそのお話は、しっかりと覚えています。

 『ある村に、目の不自由なお父さんと、
小さい子どもが住んでいました。
目の不自由なお父さんは、いつも、小さな子どもをおんぶして、
子どもの目をたよりに、
村の人から仕事をもらって、細々と暮らしておりました。

 ある年のこと、
雨が降らなくて、米が一粒もとれない年がありました。
村の人々はみんな米の代わりに、草や木の根を食べて、
ようやく命をつないでいました。

 そんなようすですから、だれも目の不自由なお父さんに、
仕事など頼みませんでした。
目の不自由なお父さんと子どもは、
何日も、食べ物を口にしない日が続きました。

 村の中に一軒だけ、田植えのできない田んぼで大根を作り、
それを米のかわりに食べている家がありました。

 目の不自由なお父さんは、ある夜、子どもをおんぶして、
その大根畑に忍び込みました。

 大根を一本抜いて、背中の子どもに訊きました。
「おい、誰も見ていないか。」
「うん。」

 また、一本抜いては、
「おい、誰も見ていないか。」
「うん。」

 また、一本抜いては、
「おい、誰も見ていないか。」
「うん。だけど、お月さんが見ているよ。」
 目の不自由なお父さんは、この声を聞いて、
大根畑の中にヘタヘタと座り込みました。

 「ああ、そうだった。すまないことであった。」
と、三本の大根をもって、
畑の持ち主のところへ、あやまりに行きましたと。』

 この話をきいてからは、誰も畑の大根や人参を、
抜いたり食べたりしませんでした。
 そして、しばらくしてから、
その畑で野良仕事しているおじさんを見かけ、
みんなで勇気を振り絞り、謝りました。
 すごくドキドキしました。

 お話を終わります。



 9 鬼がいる

 今年度、最後の全校朝会です。
このメンバーで集まることは、もうありません。
 そんな時だから、私は、
是非明るく楽しいお話をしたいと思っていました。

 ところが、その願いは叶いません。
今日はとても苦しく、辛い話をしなければなりません。

 実は、2週間程前から、この学校で本当に不思議な、
そう私だけではなく、先生方みんなで考えでも考えても、
どうしても考えられない出来事が、いくつもいくつもありました。

 学級によっては担任の先生から、
すでに聞いているお友達もいるかと思います。
 そのいくつかを、まずお話します。

 授業で、よく使うようになった電子黒板がありますね。
あれには、ノートパソコンが一緒についています。
 2週間位前になります。
それを使おうと思って、
いつも置いてある廊下のはずれに行ってみると、
そのノートパソコンだけがなくなっていました。

 それから、数日して、
今度はパソコンルームで授業をしようと、
その準備に行ってみると、
一番奥のパソコン本体だけがなくなっていました。

 これは、おかしいと思って、
先生方みんなで、学校中を調べてみると、
理科室のビデオデッキなどもなくなっていたのです。

 今、この学校では、こんな不思議なことがおきています。
 そこで、私は、思いました。

 みなさん、この学校には、
人間の姿をした鬼がいるんです。
 人の心を忘れてしまった鬼です。

 どんな訳があって、こんなことをするのか、
私は分かりません。
 でも、学校の物を盗んだ人がいたら、
そして、悪いことをしたと気づいた人がいたら、
勇気を出して謝りなさい。

 謝ることによってだけ、
あなたの心に住んでいる鬼は、消えるのです。
 大勢の中で、謝る勇気がなかったら、
私の部屋に来なさい。

 私のところにもくる勇気がなかったら、
どうか担任の先生に、そっと話してください。

 それもできない勇気のない人は、
決しておなたの心に住む鬼を、
追い払うことなどできません。

 心に鬼をもったまま勉強しても、絶対に人間にはなれません。
今より、もっと大きな悪いことを平気でやるだけの、
鬼になってしまいます。

 それで、いいのでしょうか。
いいわけがありません。

 お話を終わります。

 (その日の放課後、5年生の担任に、そっと話にきた子がいました。
友だちと一緒に盗んだ物は、押し入れの奥から出てきました。)




   旧シャミチセ川 と つくし

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