ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

研究授業が育てる

2018-05-12 21:26:44 | 教育
 教職を離れて、7年になる。
学校の有り様もかなり変わったようだ。

 教室にタブレットが持ち込まれ、
授業で活用している事例が、ニュースになっていた。
 私の想像を越えており、その授業をイメージできなかった。
もう、老兵が立ち入るすき間は、とうになくなっていると感じた。

 だが、「IT」や「AI」の物凄い発達に伴い、
教育活動も、多様に姿を変える必要があることは理解できる。
 それはそれで、時代のニーズなのだ。
的確に迅速に対応してほしいと願っている。

 よく言われることだが、教育は『不易と流行』である。
タブレット導入のように時代に応じること、『流行』と、
いつの時代でも変わらないこと、『不易』の両者があって教育なのである。
 教育内容にも方法にも、『不易と流行』は求められる。

 そのため、教員には常に研修が必要になる。
今回は、その研修の根幹にある研究授業について触れる。

 念を押すことになるが、
教員は誰でも、日々の教育実践と合わせて、
研修を心がけ、それに時間をさく。

 研修の中心は、授業改善である。
研究課題が何であっても、その課題を達成する手段は、
授業以外にない。
 それは、医療の課題解決が、
治療方法(新薬開発を含む)以外にないのと同じである。

 教員に成り立ての頃、授業の基本すら理解していなかった。
同期や同学年の先生たちの授業を見て、
私自身の未熟さを痛感した。

 同僚や先輩に尻を叩かれ、研究授業をすることになった。
授業前に何度も授業検討会を開いてもらった。
 その度に、指導案を書き直した。

 緊張のあまり、眠れないまま研究授業の日を迎えた。
不安は的中した。最初の発問でつまづいた。
 思いのほか、時間ばかりが流れた。
予定していた計画の半分も進まなかった。

 研究協議会では、冷たい視線を感じた。
それより、情けない気持ちと子ども達への申し訳なさで、
胸がいっぱいになった。

 それから、何度研究授業を行っただろう。
いつもいつも進んで授業者になった訳ではない。
 
 最初の研究授業の傷は深かった。
でも、無駄でなかった。
 あの失敗を、毎日の授業で意識した。
以来、最初の発問だけは、工夫した。
 研究授業の機会があったからこその収穫だった。

 そんな貴重な経験があったので、不安だらけだったが、
研究授業の機会があると、
「頑張ります」と受けるようになった。

 1,2年に1度は、先生方に授業を見てもらった。
1年に2回、違う教科で研究授業を行ったこともあった。

 その都度、収穫よりも課題が明確になり、肩を落とした。
でも、翌日からの授業で、クリアすべきことが分かり、
新たな意欲が生まれた。

 いつからか、徐々にだが、授業展開の引き出しが増えた。
研究授業の賜物と思えた。
 その成果を、毎日の授業で活用できるようになっていった。

 もうベテランと言われる年令の頃だ。
難しい説明文で、国語の研究授業をすることになった。
 指導書や参考書をあてにせず、
教材の分析から指導計画、展開まで、
授業つくりのすべてを、オリジナルで実践した。

 その頃には、学級集団の雰囲気、各教科の授業への取り組み方、
そして、国語への興味関心など、
研究授業のその時間だけでなく、日頃の指導の重要性に気づいていた。
 そこにも力を入れ、実践を重ねた。

 その日、授業と協議会を終え、私は初めて充実感を覚えた。
「ここまでできるようになった。」
 そんな実感がようやく持てた。

 授業は奥が深い。まだまだ課題のある授業ではあった。
それでも、いい授業の入り口にまではたどり着いた気がした。
 嬉しかった。

 校長になってから、この経験をよく若い先生方に語った。
そして、チャンスを逃さず、
進んで研究授業をするよう助言した。
 「それが、教員としてのあなたを育てる」と強調した。

 さて、ここから先は、校長としての私を、
深く反省するくだりになる。

 校長としての私は、
校内研究にさほどエネルギーを傾けなかった。
 近隣の多くの学校同様、校内で研究テーマを設定し、
研究授業を軸に研修を進めた。

 しかし、年間の研究授業の回数は、
低・中・高学年各1回の3回だった。
 せめて各学年1回の6回が望ましいと思いつつも、
私はそれを言葉にしなかった。
 それは、多忙を極める先生方への私なりの配慮だった。

 学校を去って多くの月日が過ぎた。そして今、思う。
「なぜ、そんな気の遣い方をしたのだろう。」

 確かに、研究授業をするには、それまでに準備が多い。
・授業つくりの課題をしっかりと受け止めること
・授業のねらいを、いつも以上に深く理解すること
・授業展開の細部まで吟味し、指導の工夫に知恵をしぼること   
・子ども達の意欲や関心に適した学習方法を探ること
・学級を親和的な雰囲気で学習する場にすること
など、教材研究や学級経営に特別な取り組みを求められる。

 私は、研究授業に費やす事前の大変さにばかり目がいった。
「そのご苦労を先生方に強いるのは・・・」とためらった。

 しかし、それは軽率な判断だった。
げんに私のキャリアは、その研究授業を通して育てられた。 
 私の経験には、1度たりとも無駄な研究授業はなかった。

 ならば、「研究授業は、大きなエネルギーを使うが、、
教育課題や自らの資質向上のためには欠かせないものだ」
と、しっかりと説くべきだった。
 そして、各先生方に、研究授業の機会を数多く提供すべきだった。

 私は、先生方にとって貴重な研究授業のチャンスを、
奪ってしまった校長だった。
 悔いが残る。

 今、働き方改革が政治の焦点になっている。
教員の長時間労働もその対象だろう。
 9時過ぎまで職員室の明かりが消えない。
それが当たり前な教育現場は是非解消して欲しい。

 だからとばかり、校内研究を軽く扱い、
研究授業の機会をねじ曲げることだけは、
考えないで頂きたい。
 
  


   庭のジューンベリーが 華やか 

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