教職を離れて、7年になる。
学校の有り様もかなり変わったようだ。
教室にタブレットが持ち込まれ、
授業で活用している事例が、ニュースになっていた。
私の想像を越えており、その授業をイメージできなかった。
もう、老兵が立ち入るすき間は、とうになくなっていると感じた。
だが、「IT」や「AI」の物凄い発達に伴い、
教育活動も、多様に姿を変える必要があることは理解できる。
それはそれで、時代のニーズなのだ。
的確に迅速に対応してほしいと願っている。
よく言われることだが、教育は『不易と流行』である。
タブレット導入のように時代に応じること、『流行』と、
いつの時代でも変わらないこと、『不易』の両者があって教育なのである。
教育内容にも方法にも、『不易と流行』は求められる。
そのため、教員には常に研修が必要になる。
今回は、その研修の根幹にある研究授業について触れる。
念を押すことになるが、
教員は誰でも、日々の教育実践と合わせて、
研修を心がけ、それに時間をさく。
研修の中心は、授業改善である。
研究課題が何であっても、その課題を達成する手段は、
授業以外にない。
それは、医療の課題解決が、
治療方法(新薬開発を含む)以外にないのと同じである。
教員に成り立ての頃、授業の基本すら理解していなかった。
同期や同学年の先生たちの授業を見て、
私自身の未熟さを痛感した。
同僚や先輩に尻を叩かれ、研究授業をすることになった。
授業前に何度も授業検討会を開いてもらった。
その度に、指導案を書き直した。
緊張のあまり、眠れないまま研究授業の日を迎えた。
不安は的中した。最初の発問でつまづいた。
思いのほか、時間ばかりが流れた。
予定していた計画の半分も進まなかった。
研究協議会では、冷たい視線を感じた。
それより、情けない気持ちと子ども達への申し訳なさで、
胸がいっぱいになった。
それから、何度研究授業を行っただろう。
いつもいつも進んで授業者になった訳ではない。
最初の研究授業の傷は深かった。
でも、無駄でなかった。
あの失敗を、毎日の授業で意識した。
以来、最初の発問だけは、工夫した。
研究授業の機会があったからこその収穫だった。
そんな貴重な経験があったので、不安だらけだったが、
研究授業の機会があると、
「頑張ります」と受けるようになった。
1,2年に1度は、先生方に授業を見てもらった。
1年に2回、違う教科で研究授業を行ったこともあった。
その都度、収穫よりも課題が明確になり、肩を落とした。
でも、翌日からの授業で、クリアすべきことが分かり、
新たな意欲が生まれた。
いつからか、徐々にだが、授業展開の引き出しが増えた。
研究授業の賜物と思えた。
その成果を、毎日の授業で活用できるようになっていった。
もうベテランと言われる年令の頃だ。
難しい説明文で、国語の研究授業をすることになった。
指導書や参考書をあてにせず、
教材の分析から指導計画、展開まで、
授業つくりのすべてを、オリジナルで実践した。
その頃には、学級集団の雰囲気、各教科の授業への取り組み方、
そして、国語への興味関心など、
研究授業のその時間だけでなく、日頃の指導の重要性に気づいていた。
そこにも力を入れ、実践を重ねた。
その日、授業と協議会を終え、私は初めて充実感を覚えた。
「ここまでできるようになった。」
そんな実感がようやく持てた。
授業は奥が深い。まだまだ課題のある授業ではあった。
それでも、いい授業の入り口にまではたどり着いた気がした。
嬉しかった。
校長になってから、この経験をよく若い先生方に語った。
そして、チャンスを逃さず、
進んで研究授業をするよう助言した。
「それが、教員としてのあなたを育てる」と強調した。
さて、ここから先は、校長としての私を、
深く反省するくだりになる。
校長としての私は、
校内研究にさほどエネルギーを傾けなかった。
近隣の多くの学校同様、校内で研究テーマを設定し、
研究授業を軸に研修を進めた。
しかし、年間の研究授業の回数は、
低・中・高学年各1回の3回だった。
せめて各学年1回の6回が望ましいと思いつつも、
私はそれを言葉にしなかった。
それは、多忙を極める先生方への私なりの配慮だった。
学校を去って多くの月日が過ぎた。そして今、思う。
「なぜ、そんな気の遣い方をしたのだろう。」
確かに、研究授業をするには、それまでに準備が多い。
・授業つくりの課題をしっかりと受け止めること
・授業のねらいを、いつも以上に深く理解すること
・授業展開の細部まで吟味し、指導の工夫に知恵をしぼること
・子ども達の意欲や関心に適した学習方法を探ること
・学級を親和的な雰囲気で学習する場にすること
など、教材研究や学級経営に特別な取り組みを求められる。
私は、研究授業に費やす事前の大変さにばかり目がいった。
「そのご苦労を先生方に強いるのは・・・」とためらった。
しかし、それは軽率な判断だった。
げんに私のキャリアは、その研究授業を通して育てられた。
私の経験には、1度たりとも無駄な研究授業はなかった。
ならば、「研究授業は、大きなエネルギーを使うが、、
教育課題や自らの資質向上のためには欠かせないものだ」
と、しっかりと説くべきだった。
そして、各先生方に、研究授業の機会を数多く提供すべきだった。
私は、先生方にとって貴重な研究授業のチャンスを、
奪ってしまった校長だった。
悔いが残る。
今、働き方改革が政治の焦点になっている。
教員の長時間労働もその対象だろう。
9時過ぎまで職員室の明かりが消えない。
それが当たり前な教育現場は是非解消して欲しい。
だからとばかり、校内研究を軽く扱い、
研究授業の機会をねじ曲げることだけは、
考えないで頂きたい。
庭のジューンベリーが 華やか
学校の有り様もかなり変わったようだ。
教室にタブレットが持ち込まれ、
授業で活用している事例が、ニュースになっていた。
私の想像を越えており、その授業をイメージできなかった。
もう、老兵が立ち入るすき間は、とうになくなっていると感じた。
だが、「IT」や「AI」の物凄い発達に伴い、
教育活動も、多様に姿を変える必要があることは理解できる。
それはそれで、時代のニーズなのだ。
的確に迅速に対応してほしいと願っている。
よく言われることだが、教育は『不易と流行』である。
タブレット導入のように時代に応じること、『流行』と、
いつの時代でも変わらないこと、『不易』の両者があって教育なのである。
教育内容にも方法にも、『不易と流行』は求められる。
そのため、教員には常に研修が必要になる。
今回は、その研修の根幹にある研究授業について触れる。
念を押すことになるが、
教員は誰でも、日々の教育実践と合わせて、
研修を心がけ、それに時間をさく。
研修の中心は、授業改善である。
研究課題が何であっても、その課題を達成する手段は、
授業以外にない。
それは、医療の課題解決が、
治療方法(新薬開発を含む)以外にないのと同じである。
教員に成り立ての頃、授業の基本すら理解していなかった。
同期や同学年の先生たちの授業を見て、
私自身の未熟さを痛感した。
同僚や先輩に尻を叩かれ、研究授業をすることになった。
授業前に何度も授業検討会を開いてもらった。
その度に、指導案を書き直した。
緊張のあまり、眠れないまま研究授業の日を迎えた。
不安は的中した。最初の発問でつまづいた。
思いのほか、時間ばかりが流れた。
予定していた計画の半分も進まなかった。
研究協議会では、冷たい視線を感じた。
それより、情けない気持ちと子ども達への申し訳なさで、
胸がいっぱいになった。
それから、何度研究授業を行っただろう。
いつもいつも進んで授業者になった訳ではない。
最初の研究授業の傷は深かった。
でも、無駄でなかった。
あの失敗を、毎日の授業で意識した。
以来、最初の発問だけは、工夫した。
研究授業の機会があったからこその収穫だった。
そんな貴重な経験があったので、不安だらけだったが、
研究授業の機会があると、
「頑張ります」と受けるようになった。
1,2年に1度は、先生方に授業を見てもらった。
1年に2回、違う教科で研究授業を行ったこともあった。
その都度、収穫よりも課題が明確になり、肩を落とした。
でも、翌日からの授業で、クリアすべきことが分かり、
新たな意欲が生まれた。
いつからか、徐々にだが、授業展開の引き出しが増えた。
研究授業の賜物と思えた。
その成果を、毎日の授業で活用できるようになっていった。
もうベテランと言われる年令の頃だ。
難しい説明文で、国語の研究授業をすることになった。
指導書や参考書をあてにせず、
教材の分析から指導計画、展開まで、
授業つくりのすべてを、オリジナルで実践した。
その頃には、学級集団の雰囲気、各教科の授業への取り組み方、
そして、国語への興味関心など、
研究授業のその時間だけでなく、日頃の指導の重要性に気づいていた。
そこにも力を入れ、実践を重ねた。
その日、授業と協議会を終え、私は初めて充実感を覚えた。
「ここまでできるようになった。」
そんな実感がようやく持てた。
授業は奥が深い。まだまだ課題のある授業ではあった。
それでも、いい授業の入り口にまではたどり着いた気がした。
嬉しかった。
校長になってから、この経験をよく若い先生方に語った。
そして、チャンスを逃さず、
進んで研究授業をするよう助言した。
「それが、教員としてのあなたを育てる」と強調した。
さて、ここから先は、校長としての私を、
深く反省するくだりになる。
校長としての私は、
校内研究にさほどエネルギーを傾けなかった。
近隣の多くの学校同様、校内で研究テーマを設定し、
研究授業を軸に研修を進めた。
しかし、年間の研究授業の回数は、
低・中・高学年各1回の3回だった。
せめて各学年1回の6回が望ましいと思いつつも、
私はそれを言葉にしなかった。
それは、多忙を極める先生方への私なりの配慮だった。
学校を去って多くの月日が過ぎた。そして今、思う。
「なぜ、そんな気の遣い方をしたのだろう。」
確かに、研究授業をするには、それまでに準備が多い。
・授業つくりの課題をしっかりと受け止めること
・授業のねらいを、いつも以上に深く理解すること
・授業展開の細部まで吟味し、指導の工夫に知恵をしぼること
・子ども達の意欲や関心に適した学習方法を探ること
・学級を親和的な雰囲気で学習する場にすること
など、教材研究や学級経営に特別な取り組みを求められる。
私は、研究授業に費やす事前の大変さにばかり目がいった。
「そのご苦労を先生方に強いるのは・・・」とためらった。
しかし、それは軽率な判断だった。
げんに私のキャリアは、その研究授業を通して育てられた。
私の経験には、1度たりとも無駄な研究授業はなかった。
ならば、「研究授業は、大きなエネルギーを使うが、、
教育課題や自らの資質向上のためには欠かせないものだ」
と、しっかりと説くべきだった。
そして、各先生方に、研究授業の機会を数多く提供すべきだった。
私は、先生方にとって貴重な研究授業のチャンスを、
奪ってしまった校長だった。
悔いが残る。
今、働き方改革が政治の焦点になっている。
教員の長時間労働もその対象だろう。
9時過ぎまで職員室の明かりが消えない。
それが当たり前な教育現場は是非解消して欲しい。
だからとばかり、校内研究を軽く扱い、
研究授業の機会をねじ曲げることだけは、
考えないで頂きたい。
庭のジューンベリーが 華やか
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