主にはご近所さんだが、時には遠方からも来客がある。
その方々から、住まいについて、お褒めを頂くことがある。
そして、「どうやって、建てたんですか。」と質問される。
伊達に住み始めてから6年になるから、その2年前のことだ。
その年の『夏、初めての伊達で見た、触れた、接した、聞いた
幾つもの景色と風と人と音が、私をここ(伊達)へ導い』てくれた。
(本ブロク2015.7.3「縁~伊達へ導く」より)
中でも、宅地選びと住居建築については、
この時、地元S建設の方と知り合ったことが、幸運につながった。
その方が紹介してくれた伊達市内のいくつかの宅地から、
「住むならここ」と直感した空き地があった。
千葉に戻って数週間後、あそこなら購入してもいいと固まった。
「契約のため、再び伊達に行くことになる。」
そう思うと、若干気が重かった。
ところが、S建設の支社が千葉にあると言う。
知らなかった。ビックリした。めぐり合わせだ。
だから、「出張で土地売買の手続きに行きます」。
その展開に、また驚いた。
そして、宅地の契約が済んだ。
でも、自宅建築をはじめとした移住計画は決まっていなかった。
ところが、年が明けてすぐだった。
突然、S建設の副社長さんから初めて電話があった。
「千葉支社に来ています。
時間があったら、お目にかかりたい。」
「次の土曜日なら」と、
家内と一緒に指定された県内の私鉄駅前へ行った。
同年代の副社長さんだった。
挨拶もそこそこに
「近くに我が社のモデルハウスがあるので、そこへ・・」
と、私の車の後部座席に座った。
和風の素敵な住宅だった。
「いい家でしょう。隅から隅まで見て下さい。」
副社長さんの自慢気な口ぶりが頼もしかった。
やけに私の心を動かした。
その家の造りに好印象を持ったが、それよりも
「この方なら、家造りを託してもいい」。
これまた直感した。
「伊達の我が家は、副社長さんにお願いしようかな。」
「一生懸命、やらせてもらいます。」
私の思いに、副社長さんは万歳をしながら、
表情を明るくした。
その後は、副社長さんとメールでのやり取りが始まった。
まずは、設計である。
家内と相談し、いくつかの要望を伝えた。
その第一は、様々なデコレーションは、きっと飽きがくる。
なのでシンプルがいいこと。
次は、暖かい家であること。
そして、部屋数、一部2階建て、駐車場、物置、玄関の位置など、
思いつくままを書き送った。
副社長さんからは、
これからも使う家具とそのサイズなどの問い合わせがあった。
すぐにでも移り住むかのような勢いになった。
そんな時、兄弟から、
「どうせなら早く移って、暮らしに慣れた方がいい」。
そんなアドバイスが届いた。
私は、そのままの勢いに乗ることにした。
最終設計に入る前に、伊達で副社長さんと再会した。
直接設計プランの説明を受けた。
部下1人を横におき、時間を忘れて熱く語り続けてくれた。
プランには、私と家内の要望が反映されていた。
持ち込む家具の配置も組み込まれていた
その上、随所に寒冷地での快適な住まい造りの工夫があった。
家の外回りは、想像以上の断熱材だった。
窓はトリプルガラスで、サイズは部屋に応じたオリジナル製。
内装にも工夫があった。
壁紙を使わず、湿気がこもらない珪藻土入りの塗り壁。
フローリングは、合板材より暖かい、無垢の床材を採用、等々。
その上、耐震性も万全だった。
私の直感に間違いはなかった。
信頼して家造りを任せられた。
正式な建築契約を取り交わし、その日は終わった。
洞爺湖温泉に宿を取った。
翌朝、早々だった。
副社長さんから電話が来た。
「1時間でいいです。千葉に戻る前にお会いしたい・・・。」
新千歳からのフライトまでに、若干時間があった。
副社長さんが待つ伊達の本社へ急いだ。
「気になって、昨夜布団の中でもう一度考えたんです。
ウッドデッキですが、この方がいいのではないかと。」
手書きしたウッドデッキのデザインを示し、
説明に熱が入った。
変更の善し悪しより、私はその熱意に打たれていた。
二つ返事で、ゴーサインをしながら、
いい人とめぐり会ったことに感謝した。
それから1,2ヶ月後だったろうか、
設計図に沿った我が家の模型が送られてきた。
「そこまでやるんだ。」
またまた驚きとともに、新居の全容に胸おどった。
「次は、この家にふさわし外壁です。
今度、伊達でお会いした時、ご希望を伺います。」
そんなメールが届いた。
休日の朝、千葉の近隣住宅街を、家内と二人で散歩した。
家々の外壁に目をこらした。
「あんな色合いもいい。」「これは派手すぎ。」
などと、吟味した。
夏、再度伊達へ。
外壁の希望が、おおよそ固まっていた。
ところが、私たちの提案は一蹴された。
「それは、新建材を使った外壁ですね。
長くは持ちません。
ご希望が強ければしかたありませんが、
でも、それは使わない方が・・。
100年もつ家を造りたいんです。」
私と家内は、副社長の車に乗った。
そして、S建設が造った市内の家々を見て回った。
新建材ではない外壁ばかりだった。
突然の展開に、戸惑った。
今さら、100年もつ家はいらなかった。
でも、その熱い意気込みに共感した。
「プロの意見が知りたいです。
私の家に相応しい外壁はどれですか。」
副社長さんは、ハンドルを急転させ、
ある1件の家の前に私たちを案内した。
落ち着いた雰囲気の外壁だった。
「こんな感じが合うのでは・・」
即断した。
「これがいい。」
イメージとは随分違った。
しかしだ。
ここでも直感した。
プロの意見に乗った。
最後は、庭だ。
草花には興味がなかった。
その上、高齢になっていく。
雑草取りなどの庭仕事が、無理になる日も近い。
だから、駐車場以外の土地は、
「飾り砂利」を敷くよう要望した。
ところが、
「宿根草をメインにしたローメンテナンスの庭にしませんか」。
副社長さんに口説かれた。
そんな庭を、数軒見て回った。
惹かれた。
そして今、シンボルツリーをジューンベリーにした緑豊かな庭に、
次々と宿根草の花が咲いている。
時折、道行く方が目を止めている。
確かにローメンテナンス。
雑草取りなど、手をわずらわすことは少ない。
それより、折々の草花にワクワクする私になった。
今年もジューンベリーに沢山の実が
その方々から、住まいについて、お褒めを頂くことがある。
そして、「どうやって、建てたんですか。」と質問される。
伊達に住み始めてから6年になるから、その2年前のことだ。
その年の『夏、初めての伊達で見た、触れた、接した、聞いた
幾つもの景色と風と人と音が、私をここ(伊達)へ導い』てくれた。
(本ブロク2015.7.3「縁~伊達へ導く」より)
中でも、宅地選びと住居建築については、
この時、地元S建設の方と知り合ったことが、幸運につながった。
その方が紹介してくれた伊達市内のいくつかの宅地から、
「住むならここ」と直感した空き地があった。
千葉に戻って数週間後、あそこなら購入してもいいと固まった。
「契約のため、再び伊達に行くことになる。」
そう思うと、若干気が重かった。
ところが、S建設の支社が千葉にあると言う。
知らなかった。ビックリした。めぐり合わせだ。
だから、「出張で土地売買の手続きに行きます」。
その展開に、また驚いた。
そして、宅地の契約が済んだ。
でも、自宅建築をはじめとした移住計画は決まっていなかった。
ところが、年が明けてすぐだった。
突然、S建設の副社長さんから初めて電話があった。
「千葉支社に来ています。
時間があったら、お目にかかりたい。」
「次の土曜日なら」と、
家内と一緒に指定された県内の私鉄駅前へ行った。
同年代の副社長さんだった。
挨拶もそこそこに
「近くに我が社のモデルハウスがあるので、そこへ・・」
と、私の車の後部座席に座った。
和風の素敵な住宅だった。
「いい家でしょう。隅から隅まで見て下さい。」
副社長さんの自慢気な口ぶりが頼もしかった。
やけに私の心を動かした。
その家の造りに好印象を持ったが、それよりも
「この方なら、家造りを託してもいい」。
これまた直感した。
「伊達の我が家は、副社長さんにお願いしようかな。」
「一生懸命、やらせてもらいます。」
私の思いに、副社長さんは万歳をしながら、
表情を明るくした。
その後は、副社長さんとメールでのやり取りが始まった。
まずは、設計である。
家内と相談し、いくつかの要望を伝えた。
その第一は、様々なデコレーションは、きっと飽きがくる。
なのでシンプルがいいこと。
次は、暖かい家であること。
そして、部屋数、一部2階建て、駐車場、物置、玄関の位置など、
思いつくままを書き送った。
副社長さんからは、
これからも使う家具とそのサイズなどの問い合わせがあった。
すぐにでも移り住むかのような勢いになった。
そんな時、兄弟から、
「どうせなら早く移って、暮らしに慣れた方がいい」。
そんなアドバイスが届いた。
私は、そのままの勢いに乗ることにした。
最終設計に入る前に、伊達で副社長さんと再会した。
直接設計プランの説明を受けた。
部下1人を横におき、時間を忘れて熱く語り続けてくれた。
プランには、私と家内の要望が反映されていた。
持ち込む家具の配置も組み込まれていた
その上、随所に寒冷地での快適な住まい造りの工夫があった。
家の外回りは、想像以上の断熱材だった。
窓はトリプルガラスで、サイズは部屋に応じたオリジナル製。
内装にも工夫があった。
壁紙を使わず、湿気がこもらない珪藻土入りの塗り壁。
フローリングは、合板材より暖かい、無垢の床材を採用、等々。
その上、耐震性も万全だった。
私の直感に間違いはなかった。
信頼して家造りを任せられた。
正式な建築契約を取り交わし、その日は終わった。
洞爺湖温泉に宿を取った。
翌朝、早々だった。
副社長さんから電話が来た。
「1時間でいいです。千葉に戻る前にお会いしたい・・・。」
新千歳からのフライトまでに、若干時間があった。
副社長さんが待つ伊達の本社へ急いだ。
「気になって、昨夜布団の中でもう一度考えたんです。
ウッドデッキですが、この方がいいのではないかと。」
手書きしたウッドデッキのデザインを示し、
説明に熱が入った。
変更の善し悪しより、私はその熱意に打たれていた。
二つ返事で、ゴーサインをしながら、
いい人とめぐり会ったことに感謝した。
それから1,2ヶ月後だったろうか、
設計図に沿った我が家の模型が送られてきた。
「そこまでやるんだ。」
またまた驚きとともに、新居の全容に胸おどった。
「次は、この家にふさわし外壁です。
今度、伊達でお会いした時、ご希望を伺います。」
そんなメールが届いた。
休日の朝、千葉の近隣住宅街を、家内と二人で散歩した。
家々の外壁に目をこらした。
「あんな色合いもいい。」「これは派手すぎ。」
などと、吟味した。
夏、再度伊達へ。
外壁の希望が、おおよそ固まっていた。
ところが、私たちの提案は一蹴された。
「それは、新建材を使った外壁ですね。
長くは持ちません。
ご希望が強ければしかたありませんが、
でも、それは使わない方が・・。
100年もつ家を造りたいんです。」
私と家内は、副社長の車に乗った。
そして、S建設が造った市内の家々を見て回った。
新建材ではない外壁ばかりだった。
突然の展開に、戸惑った。
今さら、100年もつ家はいらなかった。
でも、その熱い意気込みに共感した。
「プロの意見が知りたいです。
私の家に相応しい外壁はどれですか。」
副社長さんは、ハンドルを急転させ、
ある1件の家の前に私たちを案内した。
落ち着いた雰囲気の外壁だった。
「こんな感じが合うのでは・・」
即断した。
「これがいい。」
イメージとは随分違った。
しかしだ。
ここでも直感した。
プロの意見に乗った。
最後は、庭だ。
草花には興味がなかった。
その上、高齢になっていく。
雑草取りなどの庭仕事が、無理になる日も近い。
だから、駐車場以外の土地は、
「飾り砂利」を敷くよう要望した。
ところが、
「宿根草をメインにしたローメンテナンスの庭にしませんか」。
副社長さんに口説かれた。
そんな庭を、数軒見て回った。
惹かれた。
そして今、シンボルツリーをジューンベリーにした緑豊かな庭に、
次々と宿根草の花が咲いている。
時折、道行く方が目を止めている。
確かにローメンテナンス。
雑草取りなど、手をわずらわすことは少ない。
それより、折々の草花にワクワクする私になった。
今年もジューンベリーに沢山の実が
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