① コロナと診断されたのは、クリスマスの日だった。
2日間は、薬がきれると高熱になった。
発症から3日後、家内も感染し同じ症状で苦しんだ。
まさに『とんだ年の瀬』だった。
実は、発症した時はまだ年賀状が出来ていなかった。
例年より遅れていたが、
クリスマス後に急ピッチでと考えていたが、予定が狂った。
でも、咳をし喉と頭の痛さに耐えながら、
年賀状に載せる詩を書き上げた。
到 来
私の盛夏はいつまでだったろう
50メートル走で6年生に負けた
バドミントンで息子にかなわなくなった
でも 今とは時代が違い
深夜までテストの採点をしていた
秋を感じたのはいつ頃だろう
文庫本に老眼鏡が必需品になった
ゆっくり煎れたお茶は美味しいと知った
家族がそろう日を心待ちした
そして今 晩秋を迎えて
お隣さんより雪かきに時間がかかること
気づくと散歩の歩調の遅いこと
でも この時季がきて
やっと自分探しの旅がエッセイ集に
その後、家内は解熱の頓服を飲みながら、
その詩を手書きし、年賀状に仕上げてくれた。
パソコンでプリントし、宛名印刷を終え、
何とか31日の朝には投函できた。
コロナに邪魔されながらも、
年内に年賀状だけはと、二人とも頑張った。
詩を添えた年賀状は、もう50年も続けて来たこと。
何とか続けられたことに、こんなに安堵したことはなかった。
② 大晦日の午前中に、姉から例年通り、
勤め先の旅館が予約販売している『高級おせち』が届いた。
言うまでもないが、姉からのプレゼントだ。
しかし、3年前から続いている兄と3人での、
そのおせちを囲んだ元旦の宴席は、取りやめになってしまった。
お酒を飲む元気も、初詣に行く体力も戻らないまま、
それでも幸いなことに、
『高級おせち』だけは正月気分を演出してくれ、
正月三が日を送ることができた。
そのコロナからの回復状況であるが、
今も「完治!」とは言えないでいる。
当初は、一般的な風邪と同じで、
発熱に咳、喉の痛み、頭痛、気だるさが主な症状であった。
だが、高熱は3日ほどだったものの、その後も時折悪寒をくり返した。
1週間前から、やっと朝の検温が平熱で安定した。
しかし、咳は、病院からの薬を全て飲みきっても治まらず、
今も突然咳き込むことがある。
咳と同時に喉に刺すような痛みが走る。
頭痛は薄れたが、スッキリとした感じがなく、
気分が晴れない。
倦怠感までではないが、
こんなのを「体調が優れない」というのだろう。
発症から半月が過ぎた。
徐々に良くなってはいる。
でも、こんなに長期化するとは・・・。
これが「コロナ」なのかと痛感させられている。
誰に言う訳でもないが、
「もうそろそろ、いい加減にしてほしい!」のが本音だ。
③ 今年も沢山の方から年賀状を頂いた。
年に1回、年賀状交換だけの方もいるが、
それでも、年賀状から伝わってくるものに想いを馳せ、
1枚1枚についつい時間をかけ、見入ってしまった。
気になったことが2つあった。
1つ目は、『年賀状じまい』である。
年々、この手の一筆が増えてきた。
その度に寂しい想いをしながら、
年賀状の宛名名簿からその方の氏名を削除している。
今年はその数がさらに増えた。
しかも、年齢層がバラバラだ。
以前は、
「高齢のため、今年をもって・・」が大半だった。
ところが、今年のそれは3、40代の方からも、
「今年をもちまして、失礼致します」と。
今年頂いた年賀状の最高齢は、
児童文化研究会の大先輩、96歳になるY先生から。
その年賀状には、
『今年を最後に賀状止めますと言わぬが花の老気質』
とあった。
どれだけ勇気づけられたことか。
私も大先輩同様の老気質で、いつまでも貫こうと決めた。
2つ目は、年賀状に添えられた同世代からの近況報告である。
『ボケ防止のため』のフレーズが、多くなったこと。
後期高齢者になり、一番気になることがそれなのだと気づいた。
でも、やけに寂しさを感じる。
確かに、1年1年体力は衰えている。
自分の体に自信が持てなくなっている。
気づかないうちに、認知症の兆しが押し寄せているのかも・・・。
11月下旬から風邪が完治せず、
追い打ちをかけるようにコロナにも感染した。
事実、高齢者を今思い知らせているところだ。
でも、カラ元気でもいい。
「『ボケ防止』なんて、まだ先の先!」と思いたい。
それより、「まだ鍛えれば、できることはいっぱいある」
と、今年もチャレンジャーでいたい。
そう! 前を見て、新しい私を追いかけたい。
まさか 早春では!
2日間は、薬がきれると高熱になった。
発症から3日後、家内も感染し同じ症状で苦しんだ。
まさに『とんだ年の瀬』だった。
実は、発症した時はまだ年賀状が出来ていなかった。
例年より遅れていたが、
クリスマス後に急ピッチでと考えていたが、予定が狂った。
でも、咳をし喉と頭の痛さに耐えながら、
年賀状に載せる詩を書き上げた。
到 来
私の盛夏はいつまでだったろう
50メートル走で6年生に負けた
バドミントンで息子にかなわなくなった
でも 今とは時代が違い
深夜までテストの採点をしていた
秋を感じたのはいつ頃だろう
文庫本に老眼鏡が必需品になった
ゆっくり煎れたお茶は美味しいと知った
家族がそろう日を心待ちした
そして今 晩秋を迎えて
お隣さんより雪かきに時間がかかること
気づくと散歩の歩調の遅いこと
でも この時季がきて
やっと自分探しの旅がエッセイ集に
その後、家内は解熱の頓服を飲みながら、
その詩を手書きし、年賀状に仕上げてくれた。
パソコンでプリントし、宛名印刷を終え、
何とか31日の朝には投函できた。
コロナに邪魔されながらも、
年内に年賀状だけはと、二人とも頑張った。
詩を添えた年賀状は、もう50年も続けて来たこと。
何とか続けられたことに、こんなに安堵したことはなかった。
② 大晦日の午前中に、姉から例年通り、
勤め先の旅館が予約販売している『高級おせち』が届いた。
言うまでもないが、姉からのプレゼントだ。
しかし、3年前から続いている兄と3人での、
そのおせちを囲んだ元旦の宴席は、取りやめになってしまった。
お酒を飲む元気も、初詣に行く体力も戻らないまま、
それでも幸いなことに、
『高級おせち』だけは正月気分を演出してくれ、
正月三が日を送ることができた。
そのコロナからの回復状況であるが、
今も「完治!」とは言えないでいる。
当初は、一般的な風邪と同じで、
発熱に咳、喉の痛み、頭痛、気だるさが主な症状であった。
だが、高熱は3日ほどだったものの、その後も時折悪寒をくり返した。
1週間前から、やっと朝の検温が平熱で安定した。
しかし、咳は、病院からの薬を全て飲みきっても治まらず、
今も突然咳き込むことがある。
咳と同時に喉に刺すような痛みが走る。
頭痛は薄れたが、スッキリとした感じがなく、
気分が晴れない。
倦怠感までではないが、
こんなのを「体調が優れない」というのだろう。
発症から半月が過ぎた。
徐々に良くなってはいる。
でも、こんなに長期化するとは・・・。
これが「コロナ」なのかと痛感させられている。
誰に言う訳でもないが、
「もうそろそろ、いい加減にしてほしい!」のが本音だ。
③ 今年も沢山の方から年賀状を頂いた。
年に1回、年賀状交換だけの方もいるが、
それでも、年賀状から伝わってくるものに想いを馳せ、
1枚1枚についつい時間をかけ、見入ってしまった。
気になったことが2つあった。
1つ目は、『年賀状じまい』である。
年々、この手の一筆が増えてきた。
その度に寂しい想いをしながら、
年賀状の宛名名簿からその方の氏名を削除している。
今年はその数がさらに増えた。
しかも、年齢層がバラバラだ。
以前は、
「高齢のため、今年をもって・・」が大半だった。
ところが、今年のそれは3、40代の方からも、
「今年をもちまして、失礼致します」と。
今年頂いた年賀状の最高齢は、
児童文化研究会の大先輩、96歳になるY先生から。
その年賀状には、
『今年を最後に賀状止めますと言わぬが花の老気質』
とあった。
どれだけ勇気づけられたことか。
私も大先輩同様の老気質で、いつまでも貫こうと決めた。
2つ目は、年賀状に添えられた同世代からの近況報告である。
『ボケ防止のため』のフレーズが、多くなったこと。
後期高齢者になり、一番気になることがそれなのだと気づいた。
でも、やけに寂しさを感じる。
確かに、1年1年体力は衰えている。
自分の体に自信が持てなくなっている。
気づかないうちに、認知症の兆しが押し寄せているのかも・・・。
11月下旬から風邪が完治せず、
追い打ちをかけるようにコロナにも感染した。
事実、高齢者を今思い知らせているところだ。
でも、カラ元気でもいい。
「『ボケ防止』なんて、まだ先の先!」と思いたい。
それより、「まだ鍛えれば、できることはいっぱいある」
と、今年もチャレンジャーでいたい。
そう! 前を見て、新しい私を追いかけたい。
まさか 早春では!
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