自治会の自主防災検討委員会のメンバーとして、
昨年の夏から約半年をかけ、
地域防災のあり方について提言をまとめた。
そして、その1部である自主防災組織『設置要綱』改訂版を、
今年4月の定期総会で提案し、承認を得た。
その組織の本部構成員として、
防災リーダー、防災サブリーダーを新設した。
このポジションは、消防、警察、医療従事者のOB等、
防災や救護に精通した方が相応しいと考えた。
ところが、人選に入るとなかなか難しく、
遂には、検討委員会の私にその声がかかった。
提言をまとめた1人としての責任があった。
「基本的は道筋だけはつけたい。
その一歩を、踏み出さなければ、
ペーパープランで終わってしまう。」
そんな思いがあり、どこまでできるかは後回しにして、
防災リーダーを引き受けた。
さて、その任の一助になればと、
11月下旬『北海道地域防災マスター認定研修会』に参加した。
ここで若干横道にそれるが、
研修会場は、室蘭市生涯学習センター「きらん」だった。
ここは、卒業した中学校が閉校となり、
その跡地に新築され、昨年12月にオープンしたものだ。
そこに、初めてお邪魔した。
室蘭市を中心にその近隣から、約60人が受講した。
伊達市からも9人の名前があった。
午前の講座に続き、
午後は、『避難所運営ゲーム(HUG)北海道版~Doはぐ~』を、
使ったグループ研修だった。
「もし、あなたが真冬の北海道で、
しかも停電している状況下で、避難所で過ごすことになったら、
そして避難所を運営する立場になったとしたら・・」。
そんな設定で、この防災ゲームは始まった。
グループ編成は、初対面の6人だ。
真冬の北海道で大地震が発生した。
災害が発生し、避難所の学校に次々と被災者がやってくる。
6人は、その避難所を切り盛りする役回りという設定だ。
避難場所は、体育館がメインで、
校内は使用できない教室も多くあった。
避難所開設前、最初の課題は、体育館の区割りと
受付場所の設定だった。
二次災害回避と混乱を避けるため、
体育館の通路確保が、避難者を誘導する前の必須条件だった。
加えて、どこを受付にするかも問われた。
6人は、学校の見取り図を囲み、即決を求められた。
すでに、避難者は多数来ていると言うのだ。
ゲームと言えども、緊迫感があった。
6人に遠慮など、許されなかった。
「受付は、玄関でしょうね。」
「いや、寒い中、受付を待つ列が外じゃ気の毒だよ。
まずは玄関には入れてやり、それから受付でどうですか。」
「じゃ、廊下に受付場所を作りますか?」
「なら、体育館前がいいんじゃない?」
「でも、体育館入口の混雑は、避けた方がいいよ。」
「やっぱり、廊下にしましょうか。」
「それより、ここはどうですか。
ほらここ、階段前にあるスペースを使っては。」
「そうか、そこか。そのスペースを受付にしますか。」
6人は、確信が持てないまま、それでも小さく同意する。
一気にチームワームができていく。
「次は、体育館の通路ですね。・・」。
しばらく沈黙が続く。
6人とも、体育館の見取り図をじっと見たまま・・。
すると、助言者が歩み寄り、ささやく。
「沢山の人が、待ってますよ。」
「急いで」と、急かされる。
「じゃ、出入口と真ん中だけを通路にしましょう。」
「非常口もつながないと、余震もありますから・・。」
「ステージの活用も、今後必要になるでしょうから、
そこへも通路をつないでおきましょう。」
見取り図に、縦横4本の通路が引かれる。
「よし。では、受付は」
「私がします。」
「そこまでの誘導は、私と○○さんで。」
「体育館の通路の目印は、どうします?」
「何か考えて、できると思いますので、やりましょう。」
そんなやりとりがあって、ようやく避難所が開かれる。
ゲームとは言え、そこまでに20分も要したろうか。
その後、番号の入ったカードをめくると、
様々な被災者がやってくる。
課題が提示される。
インフルエンザが疑われる人が来る。
高齢者を同伴したした人も。
聴覚障害者とその奥さんも。
乳児と一緒のお母さんも。
ペットの猫を抱えた人も。
そして、マイカーで乗り込んだ4人家族も。
その1つ1つへの対応に迫られた。
その上、夕暮れが迫る。
発電機が1台、運び込まれた。
わずかな明かりだが、校内3カ所に発電機から配線できる。
どこにその電灯を配置するか。
水200本とおにぎり100個が届く。
それを、いつ、どうやって配るか。
カードは、私たちに問い、決断を迫る。
水もおにぎりも、全部配ってしまうか。
いや、次がいつ来るかわからないのだから、
多少は残しておくべきか。
6人は、顔を見合わせ迷う。
夜になって気温が低下する。
やっと持ち込まれた暖房器は、石油ストーブが3つだけ。
この3つを、どこに置くか。
インフルエンザの人がいる教室?
乳児とお母さんのいる所?
体育館にも置きますか?
カードは、問いかける。
「そんなんじゃ、何の役にもならない。
もっと沢山なくちゃダメだ。」
ついに、怒りが口に出る。
「でも、今は、これだけしかないんだから」
そうなだめながら、対応に知恵を出し合う。
そんなグループ討議が、
休憩時間を挟んで、3時間も続いた。
久しぶりに、手応えのある活気ある研修だった。
グループ1人1人の真剣な表情が、それを語っていた。
そんな充実感と共に、
私は、避難所運営の難しさが、強く身に浸みていた。
研修会場を出ると、すでに陽が落ちていた。
夕暮れの道を、運転しながら、
防災リーダーという任の重さが、ヒシヒシとのし掛かった。
今さら、引き下がれないと思いつつ、
「もしも、今日のゲームに類似した災害に直面したら」。
何度も何度も、同じ自問に追いかけられた。
私自身を勇気づける回答など見つけようがなかった。
重責だけが、私を包んだ。
しかし、今は思っている。
このような研修を積み重ねること。
地域の方々にも、同様の研修機会を広げること。
そして、身の丈に応じた備えを、
日頃から、着実に前進させること。
それしかないと思い直し、
私の責務と、じっくり向き合うことにした。
雪におおわれた 有珠山の勇姿
※次回のブログ更新予定は 12月21日(土)です
昨年の夏から約半年をかけ、
地域防災のあり方について提言をまとめた。
そして、その1部である自主防災組織『設置要綱』改訂版を、
今年4月の定期総会で提案し、承認を得た。
その組織の本部構成員として、
防災リーダー、防災サブリーダーを新設した。
このポジションは、消防、警察、医療従事者のOB等、
防災や救護に精通した方が相応しいと考えた。
ところが、人選に入るとなかなか難しく、
遂には、検討委員会の私にその声がかかった。
提言をまとめた1人としての責任があった。
「基本的は道筋だけはつけたい。
その一歩を、踏み出さなければ、
ペーパープランで終わってしまう。」
そんな思いがあり、どこまでできるかは後回しにして、
防災リーダーを引き受けた。
さて、その任の一助になればと、
11月下旬『北海道地域防災マスター認定研修会』に参加した。
ここで若干横道にそれるが、
研修会場は、室蘭市生涯学習センター「きらん」だった。
ここは、卒業した中学校が閉校となり、
その跡地に新築され、昨年12月にオープンしたものだ。
そこに、初めてお邪魔した。
室蘭市を中心にその近隣から、約60人が受講した。
伊達市からも9人の名前があった。
午前の講座に続き、
午後は、『避難所運営ゲーム(HUG)北海道版~Doはぐ~』を、
使ったグループ研修だった。
「もし、あなたが真冬の北海道で、
しかも停電している状況下で、避難所で過ごすことになったら、
そして避難所を運営する立場になったとしたら・・」。
そんな設定で、この防災ゲームは始まった。
グループ編成は、初対面の6人だ。
真冬の北海道で大地震が発生した。
災害が発生し、避難所の学校に次々と被災者がやってくる。
6人は、その避難所を切り盛りする役回りという設定だ。
避難場所は、体育館がメインで、
校内は使用できない教室も多くあった。
避難所開設前、最初の課題は、体育館の区割りと
受付場所の設定だった。
二次災害回避と混乱を避けるため、
体育館の通路確保が、避難者を誘導する前の必須条件だった。
加えて、どこを受付にするかも問われた。
6人は、学校の見取り図を囲み、即決を求められた。
すでに、避難者は多数来ていると言うのだ。
ゲームと言えども、緊迫感があった。
6人に遠慮など、許されなかった。
「受付は、玄関でしょうね。」
「いや、寒い中、受付を待つ列が外じゃ気の毒だよ。
まずは玄関には入れてやり、それから受付でどうですか。」
「じゃ、廊下に受付場所を作りますか?」
「なら、体育館前がいいんじゃない?」
「でも、体育館入口の混雑は、避けた方がいいよ。」
「やっぱり、廊下にしましょうか。」
「それより、ここはどうですか。
ほらここ、階段前にあるスペースを使っては。」
「そうか、そこか。そのスペースを受付にしますか。」
6人は、確信が持てないまま、それでも小さく同意する。
一気にチームワームができていく。
「次は、体育館の通路ですね。・・」。
しばらく沈黙が続く。
6人とも、体育館の見取り図をじっと見たまま・・。
すると、助言者が歩み寄り、ささやく。
「沢山の人が、待ってますよ。」
「急いで」と、急かされる。
「じゃ、出入口と真ん中だけを通路にしましょう。」
「非常口もつながないと、余震もありますから・・。」
「ステージの活用も、今後必要になるでしょうから、
そこへも通路をつないでおきましょう。」
見取り図に、縦横4本の通路が引かれる。
「よし。では、受付は」
「私がします。」
「そこまでの誘導は、私と○○さんで。」
「体育館の通路の目印は、どうします?」
「何か考えて、できると思いますので、やりましょう。」
そんなやりとりがあって、ようやく避難所が開かれる。
ゲームとは言え、そこまでに20分も要したろうか。
その後、番号の入ったカードをめくると、
様々な被災者がやってくる。
課題が提示される。
インフルエンザが疑われる人が来る。
高齢者を同伴したした人も。
聴覚障害者とその奥さんも。
乳児と一緒のお母さんも。
ペットの猫を抱えた人も。
そして、マイカーで乗り込んだ4人家族も。
その1つ1つへの対応に迫られた。
その上、夕暮れが迫る。
発電機が1台、運び込まれた。
わずかな明かりだが、校内3カ所に発電機から配線できる。
どこにその電灯を配置するか。
水200本とおにぎり100個が届く。
それを、いつ、どうやって配るか。
カードは、私たちに問い、決断を迫る。
水もおにぎりも、全部配ってしまうか。
いや、次がいつ来るかわからないのだから、
多少は残しておくべきか。
6人は、顔を見合わせ迷う。
夜になって気温が低下する。
やっと持ち込まれた暖房器は、石油ストーブが3つだけ。
この3つを、どこに置くか。
インフルエンザの人がいる教室?
乳児とお母さんのいる所?
体育館にも置きますか?
カードは、問いかける。
「そんなんじゃ、何の役にもならない。
もっと沢山なくちゃダメだ。」
ついに、怒りが口に出る。
「でも、今は、これだけしかないんだから」
そうなだめながら、対応に知恵を出し合う。
そんなグループ討議が、
休憩時間を挟んで、3時間も続いた。
久しぶりに、手応えのある活気ある研修だった。
グループ1人1人の真剣な表情が、それを語っていた。
そんな充実感と共に、
私は、避難所運営の難しさが、強く身に浸みていた。
研修会場を出ると、すでに陽が落ちていた。
夕暮れの道を、運転しながら、
防災リーダーという任の重さが、ヒシヒシとのし掛かった。
今さら、引き下がれないと思いつつ、
「もしも、今日のゲームに類似した災害に直面したら」。
何度も何度も、同じ自問に追いかけられた。
私自身を勇気づける回答など見つけようがなかった。
重責だけが、私を包んだ。
しかし、今は思っている。
このような研修を積み重ねること。
地域の方々にも、同様の研修機会を広げること。
そして、身の丈に応じた備えを、
日頃から、着実に前進させること。
それしかないと思い直し、
私の責務と、じっくり向き合うことにした。
雪におおわれた 有珠山の勇姿
※次回のブログ更新予定は 12月21日(土)です
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