◆ 30歳代半ばの頃、2度目の異動があった。
都心区の小学校になった。
まだ有楽町線が全線開通しておらず、
勤務校へは、東西線門前仲町駅から、
都バスに乗り換え、降車後は10分ほど徒歩の通勤だった。
自宅からは、片道1時間半も要した。
そこで私は、「少しでも時間短縮を」と、
門前仲町からは約15分の自転車通勤にした。
それまで使っていた前カゴ付きの、
いわゆる『ママチャリ』をやめて、
ドロップハンドルの軽快な自転車を購入した。
前傾姿勢で、変速ギアを切り換えながら、
片側2車線の広い道路を、風を切って走った。
爽快感があった。
だが、その自転車には2つも誤算があった。
1つは、ズボンのすそがチェーンに、よく引っかかる。
絡んだりして、こげなくなることはないが、
チェーンの油で、すそが汚れた。
相手が油なので、目立つし、
すぐには汚れをおとせないのだ。
仕方なく、チェーン側の右足のすそだけ太いゴムで止めた。
さっそうと乗るはずが、ややかっこよさが半減した。
もう1つの誤算は、ドロップハンドルによる前かがみだ。
この自転車に乗り始めてすぐから、この姿勢には違和感があった。
信号待ちなどで、地面に片足を伸ばす。
そのたびに、腰への負担を感じていた。
そして、遂に異常が発覚した。
勤務を終え、自宅の扉を目の前にした時だ。
当時は、団地の1階に居を構えていた。
玄関の扉まで、3段の階段へ1歩を踏み出した。
突然、腰を激痛が襲った。
「うわっあっ!」
そんな声だったと思う。
目の前が、自宅玄関なのに、
階段へ片足を置いたまま、動けなくなった。
動こうにも、激しい痛みで足が出ないのである。
その場に15分以上もいただろうか。
同じ階段を利用する方が、帰宅してきた。
腰に手を当て、じっとしている私に声をかけてくれた。
事情を話し、自宅の呼び鈴を押して貰った。
その後、家内の手を借り、
布団に横になるまでどれだけ時間がかかったろうか。
若い頃から、時折腰痛を感じていた。
しかし、こんな激痛は初めてだった。
翌日、なんとか整形外科医院へ行った。
すごく痛い思いをして、レントゲンを何枚も撮った。
医者は、そのフィルムを診ながら、
「この骨とこの骨の間だが・・・」と説明した。
そして、痛み止めの注射を打ち、
腰の患部に、マイナス何度だかの冷気を、強く吹きかけた。
痛がる私の姿勢をくり返し変えて撮ったレントゲンと、
治療の関係が、全く理解できず、
2度とその医院には行かなかった。
しかし、1週間程で痛みが消え、歩行もできるようになった。
これが、人生最初の『ぎっくり腰』体験だった。
それからは、時々忘れた頃に、腰痛に見舞われた。
でも、一番激しかったのは、
あの時のものだったと記憶している。
「ドロップハンドルの自転車だったから」
今もそう思っている。
だが、その後も2年程、その自転車に乗り続けた。
なのに、不思議なことに『ぎっくり腰』を忘れて過ごした。
◆ さて、話題は急変する。
まずは先週のことだ。
台風21号が近畿地方を直撃する。
またまた大変な被害が出そうで、暗い気持ちになった。
台風の進路を見ると、
5日の朝には北海道の日本海側を通過する。
昨年の台風被害を思い出した。
嫌な予感がした。
珍しく『備えあれば!』と、
ホームセンターへ防災グッズを買いに行った。
なのに防災用品のコーナーなどなく、
それらしき物も探せなかった。
仕方なく、予備の電池を多めに買い、
太いろうそくもつけ加えた。
私の珍事は、まだ続いた。
自宅に戻ると、すぐに懐中電灯の明かりを確かめた。
その上、携帯ラジオの感度まで点検した。
さらに、花壇が気になり、夕暮れまで、
やや背の高い宿根草の咲き終わった花を摘んだりして、
風で倒れるのを防いだ。
しかし、案ずるより何とかだった。
早朝、強風が吹き荒れたが、
伊達市内に大きな被害はなかったようだ。
ところがだった。
翌日午前3時過ぎ、大きな揺れで目ざめた。
「震度5弱だ。
きっと、どこかで大きな地震になっている。」
すぐに、思った。
早速、テレビを入れた。
震源地と各地の震度を知らせていた。
大きな被害がなければと、願った。
そして、間もなく突然電気が切れた。
暗闇の中で、昨日、台風に備えていた懐中電灯と携帯ラジオを探した。
ここで役立つとは思わなかった。
全道で大規模停電になっていることを、ラジオが連呼した。
5時を過ぎた頃から、LINEと携帯メールが頻繁になった。
『大丈夫ですか?』
首都圏で地震後の映像を見た知人・友人からだった。
心遣いが嬉しかった。
大きな被害が出ているのだと感じた。
でも、その情報を入手する手段はなかった。
ただただ停電の回復を待った。
2人の息子からは、
携帯のバッテリーを心配するメールが届いた。
返信と情報入手で、
どんどんバッテリーがなくなった。
お隣さんが「これを使って」と、
携帯用バッテリーを貸してくれた。
翌7日の夜、ようやく我が家にも電気がきた。
今も、物不足は若干あるものの、生活は元に戻っている。
さてさて、この10日間あまりだが、
私には、異変があった。
原因は、台風に備えた花壇の転倒防止だ。
屈んだ姿勢で、長い時間咲き終わった花を摘んだ。
場所によっては、腰をひねってハサミを使った。
翌日から徐々に腰が痛み出した。
座っていても鈍痛があって、不快だった。
トイレで、便器の蓋を下ろそうとした時だ。
遂に激痛が襲った。
痛さをこらえて、ようやく夕食を摂った。
早々とベッドに入った。
そして、地震だった。
6日は、一日中停電していた。
私も、動くと痛みが激しくなるので、
横になって、そのまま1日を過ごした。
日中の住宅街は、
いつにも増して静まりかえっていた。
痛い以外の言葉がないまま、
痛みと向き合い、私も静まりかえっていた。
真っ暗闇の長い夜だった。
それが私には、幸いした。
横になるしかなかった。
長い時間を、ベッドで横になった。
横になっていると痛みが消えた。
翌朝には、静かに歩けるようになった。
午後、よくお世話になる整骨院の停電が回復した。
治療して貰った。
「まあ、10日はかかるでしょう。」
見立て通りだ。
私の腰も、今は大分回復した。
原因は、花壇だ。
でも、あの自転車同様だ。
今後、花の世話をしても、腰痛にはならない気がする。
だって、自転車の時もそうだったから・・・。
『歌仙草(カセンソウ)』と言うらしい、名前がいい!
※次回の更新は、9月28日の予定です。
都心区の小学校になった。
まだ有楽町線が全線開通しておらず、
勤務校へは、東西線門前仲町駅から、
都バスに乗り換え、降車後は10分ほど徒歩の通勤だった。
自宅からは、片道1時間半も要した。
そこで私は、「少しでも時間短縮を」と、
門前仲町からは約15分の自転車通勤にした。
それまで使っていた前カゴ付きの、
いわゆる『ママチャリ』をやめて、
ドロップハンドルの軽快な自転車を購入した。
前傾姿勢で、変速ギアを切り換えながら、
片側2車線の広い道路を、風を切って走った。
爽快感があった。
だが、その自転車には2つも誤算があった。
1つは、ズボンのすそがチェーンに、よく引っかかる。
絡んだりして、こげなくなることはないが、
チェーンの油で、すそが汚れた。
相手が油なので、目立つし、
すぐには汚れをおとせないのだ。
仕方なく、チェーン側の右足のすそだけ太いゴムで止めた。
さっそうと乗るはずが、ややかっこよさが半減した。
もう1つの誤算は、ドロップハンドルによる前かがみだ。
この自転車に乗り始めてすぐから、この姿勢には違和感があった。
信号待ちなどで、地面に片足を伸ばす。
そのたびに、腰への負担を感じていた。
そして、遂に異常が発覚した。
勤務を終え、自宅の扉を目の前にした時だ。
当時は、団地の1階に居を構えていた。
玄関の扉まで、3段の階段へ1歩を踏み出した。
突然、腰を激痛が襲った。
「うわっあっ!」
そんな声だったと思う。
目の前が、自宅玄関なのに、
階段へ片足を置いたまま、動けなくなった。
動こうにも、激しい痛みで足が出ないのである。
その場に15分以上もいただろうか。
同じ階段を利用する方が、帰宅してきた。
腰に手を当て、じっとしている私に声をかけてくれた。
事情を話し、自宅の呼び鈴を押して貰った。
その後、家内の手を借り、
布団に横になるまでどれだけ時間がかかったろうか。
若い頃から、時折腰痛を感じていた。
しかし、こんな激痛は初めてだった。
翌日、なんとか整形外科医院へ行った。
すごく痛い思いをして、レントゲンを何枚も撮った。
医者は、そのフィルムを診ながら、
「この骨とこの骨の間だが・・・」と説明した。
そして、痛み止めの注射を打ち、
腰の患部に、マイナス何度だかの冷気を、強く吹きかけた。
痛がる私の姿勢をくり返し変えて撮ったレントゲンと、
治療の関係が、全く理解できず、
2度とその医院には行かなかった。
しかし、1週間程で痛みが消え、歩行もできるようになった。
これが、人生最初の『ぎっくり腰』体験だった。
それからは、時々忘れた頃に、腰痛に見舞われた。
でも、一番激しかったのは、
あの時のものだったと記憶している。
「ドロップハンドルの自転車だったから」
今もそう思っている。
だが、その後も2年程、その自転車に乗り続けた。
なのに、不思議なことに『ぎっくり腰』を忘れて過ごした。
◆ さて、話題は急変する。
まずは先週のことだ。
台風21号が近畿地方を直撃する。
またまた大変な被害が出そうで、暗い気持ちになった。
台風の進路を見ると、
5日の朝には北海道の日本海側を通過する。
昨年の台風被害を思い出した。
嫌な予感がした。
珍しく『備えあれば!』と、
ホームセンターへ防災グッズを買いに行った。
なのに防災用品のコーナーなどなく、
それらしき物も探せなかった。
仕方なく、予備の電池を多めに買い、
太いろうそくもつけ加えた。
私の珍事は、まだ続いた。
自宅に戻ると、すぐに懐中電灯の明かりを確かめた。
その上、携帯ラジオの感度まで点検した。
さらに、花壇が気になり、夕暮れまで、
やや背の高い宿根草の咲き終わった花を摘んだりして、
風で倒れるのを防いだ。
しかし、案ずるより何とかだった。
早朝、強風が吹き荒れたが、
伊達市内に大きな被害はなかったようだ。
ところがだった。
翌日午前3時過ぎ、大きな揺れで目ざめた。
「震度5弱だ。
きっと、どこかで大きな地震になっている。」
すぐに、思った。
早速、テレビを入れた。
震源地と各地の震度を知らせていた。
大きな被害がなければと、願った。
そして、間もなく突然電気が切れた。
暗闇の中で、昨日、台風に備えていた懐中電灯と携帯ラジオを探した。
ここで役立つとは思わなかった。
全道で大規模停電になっていることを、ラジオが連呼した。
5時を過ぎた頃から、LINEと携帯メールが頻繁になった。
『大丈夫ですか?』
首都圏で地震後の映像を見た知人・友人からだった。
心遣いが嬉しかった。
大きな被害が出ているのだと感じた。
でも、その情報を入手する手段はなかった。
ただただ停電の回復を待った。
2人の息子からは、
携帯のバッテリーを心配するメールが届いた。
返信と情報入手で、
どんどんバッテリーがなくなった。
お隣さんが「これを使って」と、
携帯用バッテリーを貸してくれた。
翌7日の夜、ようやく我が家にも電気がきた。
今も、物不足は若干あるものの、生活は元に戻っている。
さてさて、この10日間あまりだが、
私には、異変があった。
原因は、台風に備えた花壇の転倒防止だ。
屈んだ姿勢で、長い時間咲き終わった花を摘んだ。
場所によっては、腰をひねってハサミを使った。
翌日から徐々に腰が痛み出した。
座っていても鈍痛があって、不快だった。
トイレで、便器の蓋を下ろそうとした時だ。
遂に激痛が襲った。
痛さをこらえて、ようやく夕食を摂った。
早々とベッドに入った。
そして、地震だった。
6日は、一日中停電していた。
私も、動くと痛みが激しくなるので、
横になって、そのまま1日を過ごした。
日中の住宅街は、
いつにも増して静まりかえっていた。
痛い以外の言葉がないまま、
痛みと向き合い、私も静まりかえっていた。
真っ暗闇の長い夜だった。
それが私には、幸いした。
横になるしかなかった。
長い時間を、ベッドで横になった。
横になっていると痛みが消えた。
翌朝には、静かに歩けるようになった。
午後、よくお世話になる整骨院の停電が回復した。
治療して貰った。
「まあ、10日はかかるでしょう。」
見立て通りだ。
私の腰も、今は大分回復した。
原因は、花壇だ。
でも、あの自転車同様だ。
今後、花の世話をしても、腰痛にはならない気がする。
だって、自転車の時もそうだったから・・・。
『歌仙草(カセンソウ)』と言うらしい、名前がいい!
※次回の更新は、9月28日の予定です。
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