▼ 小学生の頃、夏休みの朝は毎日ラジオ体操があった。
出欠カードを首にさげ、校庭まで半分かけ足だった。
私もそうだが、あの時、多くの子が、何故か下駄履きだった。
朝霧に包まれた下駄の音が、記憶の底に残っている。
体操が終わると、我先にと前にいる6年生から、
カードに出席印を押してもらった。
6年生になった時、私もそのハンコを押す係になった。
少し偉くなった気がして、ラジオ体操に行くのが、
それまでより楽しくなった。
当時、私は高鉄棒にぶら下がるのが好きだった。
懸垂はもちろん、逆上がり、蹴上がりなどは難なくやった。
カードの判押しが終わり、
人気のなくなった校庭で、高鉄棒によくぶら下がった。
そこへ同じ組のK君がやってきた。
2人一緒に、懸垂を始めた。
K君は、10回で手を離した。
私は、12回でやめた。
それが始まりだった。
以来毎日、ラジオ体操が終わると、
2人で懸垂の回数を競った。
いつからか、懸垂仲間が増えた。
K君に挑戦する子、私に挑戦する子、様々だったが、
最後は、いつもK君と私の決勝戦になった。
次第に、K君が勝つようになった。
そんなある日、私は、
「ラジオ体操からの帰りが遅い」と、
兄姉から、こっぴどく叱られた。
そして、「明日からは、体操が終わったらすぐに帰ってこい」と、
もの凄い剣幕で言われた。
私は、それに従うしかなった。
翌朝から、懸垂をせずに家に戻った。
「K君に負けてばかりだがら、あいつ、懸垂やめたんだ。」
そんな噂が、聞こえてきた。
気にしないようにしながら、
急いで家に戻って、朝食を食べた。
悔しさが心に残った。
K君にではなく、事実とは違う噂に唇をかんだ。
その後、教員になるまで、
夏休みのラジオ体操に参加する機会はなかった。
▼ 時は、何十年も過ぎる。
私が最後に勤務した小学校には、幼稚園が併設されていた。
だから、園長を兼任した。
この園は、公立園としては珍しく、年長組の『お泊まり会』があった。
夏休み直前、1泊だが、幼稚園のホールに貸し布団を並べ、
親元を離れた5歳児が、一夜を過ごすのだ。
模擬縁日や肝試しで、夕食後を過ごすと、
泣きだす子もなく、次第に子ども達は眠りについた。
翌朝は、パジャマから着替え、洗面を済ませると、
全員で、散歩をしながら、近所の小公園に向かった。
目的は、ラジオ体操だ。
私も園児たちと一緒に幼稚園で朝を迎え、
その小公園へ行った。
念を押すが、年に1回のこと、
園児だけでなく、私も初めての体験だった。
ところが、この小公園では、春夏秋冬を通し、
毎朝、ラジオ体操が行われていると言うのだ。
その朝も、体操の服装やエプロン姿、
Tシャツ短パンなど思い思いの姿で、
近隣の方20数人が集まってきた。
主には、高齢者だが、馴染みの顔同士、朝の挨拶をしながら、
1台のラジオに向かい、体操の開始を待つ。
そこに、自転車で駆けつけたサラリーマンの背広姿が、
1人2人と加わる。
「いつものこと。」
「朝はこれで始まるのが、日課。」
そう言いながら、ラジオ体操の歌に合わせ、足踏みが始まる。
「ラジオ体操は、夏休みだけの行事。」
そんな認識だった恥ずかしさを、誰にも気づかれまいとする私。
そのそばで、『お泊まり会』でちゃんと朝を迎えられた誇らしさを胸に、
人まねをしながら体操をする園児たちがいた。
▼ 年に数回、東京へ行く。
最近は、宿泊先に錦糸町のロッテシティーホテルを利用することが多い。
『旅先ジョギング』と称して、時々だが、
朝の大横川親水公園と錦糸公園を走る。
おおよそ5キロのコースだが、思いのほか緑も多く、気持ちがいい。
通勤ラッシュ前、行き交う人の多くは地元の方で、
数人で散歩を楽しむ同世代が目に付く。
4月下旬のある朝、「最後の1キロを」と、錦糸公園の外周を走った。
時刻は6時半になろうとしていた。
公園内の広場に、沢山の人が集まっていた。
ラジオ体操をする人たちだと分かった。
その人数の多さに驚いた。
ゆうに200人は越えているだろう。
私はその人たちを横目に、ゆっくりとジョギングする。
時間とともにラジオ体操のアナウンスが、公園内の広場から流れてくる。
一斉に、その音に向いた人々が、体操の同じ動きを始める。
淡々とそして整然と、アナウンスとピアノが刻むリズムにあわせた動きが、
広場で続く。
私の走りは、そんな人々から少し離れていく。
でも、まだそこは公園の一角であった。
そこだけ、広場で体操する活気とは一線を引いた空気が流れていた。
わずか4人の、年齢のいった女性がいた。
広場に背を向け、自分たちで用意したラジオの方をむき、
体操をしていた。
4人に笑顔などなく、爽やかさとは無縁な、
重たい雰囲気があった。
走りながら、不思議な違和感を覚えた。
「どうして・・。どうしてこんな片隅で、4人して・・・」
やがて、「意地でも、広場の大勢とは、一緒に体操しない。」
そんな強い思いが、ありありと伝わってきた。
どんな動機がそうさせたのか、きっと彼女らなりの経過があるのだろう。
何か訳ありだろう。
しかし、桜の春の後、ツツジの赤が賑やかな都会のオアシスの朝である。
1日の始まりをラジオ体操からと集う人々がいる。
その清々しさの中、そこにだけ漂う異様な空気感に、
私は何度もため息を重ねた。
でも、そっと走り続け、その場を離れた。
「もう1度、溶け込むことの勇気と、楽しさを知ってください。」
そうつぶやいてみた。
▼ 住宅街の中に、伊達市が用意した公園とは名ばかりの、原っぱがある。
そこで、夏休みに、小学生を対象にしたラジオ体操が行われる。
年々その日数が減り、昨年度は1週間あまりだった。
「物足りない」と1人愚痴りながらも、
地元の子ども達とふれあえる貴重な機会と、私も参加している。
夏の早朝、北の軽い空気に包まれた体操の合間、
見上げる空の大きさに、度々心奪われた。
この時期だけでなく、毎朝、この大空の下で、
ラジオ体操ができたらいい。
『季節の移ろいの中でラジオ体操』
そんなフレーズに、無性に惹かれる日々をくり返す。
そろそろ本格的始動の時かな・・・。
見頃を迎えた 八重桜
出欠カードを首にさげ、校庭まで半分かけ足だった。
私もそうだが、あの時、多くの子が、何故か下駄履きだった。
朝霧に包まれた下駄の音が、記憶の底に残っている。
体操が終わると、我先にと前にいる6年生から、
カードに出席印を押してもらった。
6年生になった時、私もそのハンコを押す係になった。
少し偉くなった気がして、ラジオ体操に行くのが、
それまでより楽しくなった。
当時、私は高鉄棒にぶら下がるのが好きだった。
懸垂はもちろん、逆上がり、蹴上がりなどは難なくやった。
カードの判押しが終わり、
人気のなくなった校庭で、高鉄棒によくぶら下がった。
そこへ同じ組のK君がやってきた。
2人一緒に、懸垂を始めた。
K君は、10回で手を離した。
私は、12回でやめた。
それが始まりだった。
以来毎日、ラジオ体操が終わると、
2人で懸垂の回数を競った。
いつからか、懸垂仲間が増えた。
K君に挑戦する子、私に挑戦する子、様々だったが、
最後は、いつもK君と私の決勝戦になった。
次第に、K君が勝つようになった。
そんなある日、私は、
「ラジオ体操からの帰りが遅い」と、
兄姉から、こっぴどく叱られた。
そして、「明日からは、体操が終わったらすぐに帰ってこい」と、
もの凄い剣幕で言われた。
私は、それに従うしかなった。
翌朝から、懸垂をせずに家に戻った。
「K君に負けてばかりだがら、あいつ、懸垂やめたんだ。」
そんな噂が、聞こえてきた。
気にしないようにしながら、
急いで家に戻って、朝食を食べた。
悔しさが心に残った。
K君にではなく、事実とは違う噂に唇をかんだ。
その後、教員になるまで、
夏休みのラジオ体操に参加する機会はなかった。
▼ 時は、何十年も過ぎる。
私が最後に勤務した小学校には、幼稚園が併設されていた。
だから、園長を兼任した。
この園は、公立園としては珍しく、年長組の『お泊まり会』があった。
夏休み直前、1泊だが、幼稚園のホールに貸し布団を並べ、
親元を離れた5歳児が、一夜を過ごすのだ。
模擬縁日や肝試しで、夕食後を過ごすと、
泣きだす子もなく、次第に子ども達は眠りについた。
翌朝は、パジャマから着替え、洗面を済ませると、
全員で、散歩をしながら、近所の小公園に向かった。
目的は、ラジオ体操だ。
私も園児たちと一緒に幼稚園で朝を迎え、
その小公園へ行った。
念を押すが、年に1回のこと、
園児だけでなく、私も初めての体験だった。
ところが、この小公園では、春夏秋冬を通し、
毎朝、ラジオ体操が行われていると言うのだ。
その朝も、体操の服装やエプロン姿、
Tシャツ短パンなど思い思いの姿で、
近隣の方20数人が集まってきた。
主には、高齢者だが、馴染みの顔同士、朝の挨拶をしながら、
1台のラジオに向かい、体操の開始を待つ。
そこに、自転車で駆けつけたサラリーマンの背広姿が、
1人2人と加わる。
「いつものこと。」
「朝はこれで始まるのが、日課。」
そう言いながら、ラジオ体操の歌に合わせ、足踏みが始まる。
「ラジオ体操は、夏休みだけの行事。」
そんな認識だった恥ずかしさを、誰にも気づかれまいとする私。
そのそばで、『お泊まり会』でちゃんと朝を迎えられた誇らしさを胸に、
人まねをしながら体操をする園児たちがいた。
▼ 年に数回、東京へ行く。
最近は、宿泊先に錦糸町のロッテシティーホテルを利用することが多い。
『旅先ジョギング』と称して、時々だが、
朝の大横川親水公園と錦糸公園を走る。
おおよそ5キロのコースだが、思いのほか緑も多く、気持ちがいい。
通勤ラッシュ前、行き交う人の多くは地元の方で、
数人で散歩を楽しむ同世代が目に付く。
4月下旬のある朝、「最後の1キロを」と、錦糸公園の外周を走った。
時刻は6時半になろうとしていた。
公園内の広場に、沢山の人が集まっていた。
ラジオ体操をする人たちだと分かった。
その人数の多さに驚いた。
ゆうに200人は越えているだろう。
私はその人たちを横目に、ゆっくりとジョギングする。
時間とともにラジオ体操のアナウンスが、公園内の広場から流れてくる。
一斉に、その音に向いた人々が、体操の同じ動きを始める。
淡々とそして整然と、アナウンスとピアノが刻むリズムにあわせた動きが、
広場で続く。
私の走りは、そんな人々から少し離れていく。
でも、まだそこは公園の一角であった。
そこだけ、広場で体操する活気とは一線を引いた空気が流れていた。
わずか4人の、年齢のいった女性がいた。
広場に背を向け、自分たちで用意したラジオの方をむき、
体操をしていた。
4人に笑顔などなく、爽やかさとは無縁な、
重たい雰囲気があった。
走りながら、不思議な違和感を覚えた。
「どうして・・。どうしてこんな片隅で、4人して・・・」
やがて、「意地でも、広場の大勢とは、一緒に体操しない。」
そんな強い思いが、ありありと伝わってきた。
どんな動機がそうさせたのか、きっと彼女らなりの経過があるのだろう。
何か訳ありだろう。
しかし、桜の春の後、ツツジの赤が賑やかな都会のオアシスの朝である。
1日の始まりをラジオ体操からと集う人々がいる。
その清々しさの中、そこにだけ漂う異様な空気感に、
私は何度もため息を重ねた。
でも、そっと走り続け、その場を離れた。
「もう1度、溶け込むことの勇気と、楽しさを知ってください。」
そうつぶやいてみた。
▼ 住宅街の中に、伊達市が用意した公園とは名ばかりの、原っぱがある。
そこで、夏休みに、小学生を対象にしたラジオ体操が行われる。
年々その日数が減り、昨年度は1週間あまりだった。
「物足りない」と1人愚痴りながらも、
地元の子ども達とふれあえる貴重な機会と、私も参加している。
夏の早朝、北の軽い空気に包まれた体操の合間、
見上げる空の大きさに、度々心奪われた。
この時期だけでなく、毎朝、この大空の下で、
ラジオ体操ができたらいい。
『季節の移ろいの中でラジオ体操』
そんなフレーズに、無性に惹かれる日々をくり返す。
そろそろ本格的始動の時かな・・・。
見頃を迎えた 八重桜
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