ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

ラジオ体操の景色から

2018-05-19 18:23:59 | 思い
 ▼ 小学生の頃、夏休みの朝は毎日ラジオ体操があった。
出欠カードを首にさげ、校庭まで半分かけ足だった。
 私もそうだが、あの時、多くの子が、何故か下駄履きだった。
朝霧に包まれた下駄の音が、記憶の底に残っている。

 体操が終わると、我先にと前にいる6年生から、
カードに出席印を押してもらった。

 6年生になった時、私もそのハンコを押す係になった。
少し偉くなった気がして、ラジオ体操に行くのが、
それまでより楽しくなった。

 当時、私は高鉄棒にぶら下がるのが好きだった。
懸垂はもちろん、逆上がり、蹴上がりなどは難なくやった。
 
 カードの判押しが終わり、
人気のなくなった校庭で、高鉄棒によくぶら下がった。
 そこへ同じ組のK君がやってきた。

 2人一緒に、懸垂を始めた。
K君は、10回で手を離した。
 私は、12回でやめた。
それが始まりだった。

 以来毎日、ラジオ体操が終わると、
2人で懸垂の回数を競った。
 いつからか、懸垂仲間が増えた。
K君に挑戦する子、私に挑戦する子、様々だったが、
最後は、いつもK君と私の決勝戦になった。
 次第に、K君が勝つようになった。

 そんなある日、私は、
「ラジオ体操からの帰りが遅い」と、
兄姉から、こっぴどく叱られた。
 そして、「明日からは、体操が終わったらすぐに帰ってこい」と、
もの凄い剣幕で言われた。
 私は、それに従うしかなった。
翌朝から、懸垂をせずに家に戻った。

 「K君に負けてばかりだがら、あいつ、懸垂やめたんだ。」
そんな噂が、聞こえてきた。
 気にしないようにしながら、
急いで家に戻って、朝食を食べた。

 悔しさが心に残った。
K君にではなく、事実とは違う噂に唇をかんだ。
 
 その後、教員になるまで、
夏休みのラジオ体操に参加する機会はなかった。


 ▼ 時は、何十年も過ぎる。
私が最後に勤務した小学校には、幼稚園が併設されていた。
 だから、園長を兼任した。

 この園は、公立園としては珍しく、年長組の『お泊まり会』があった。
夏休み直前、1泊だが、幼稚園のホールに貸し布団を並べ、
親元を離れた5歳児が、一夜を過ごすのだ。

 模擬縁日や肝試しで、夕食後を過ごすと、
泣きだす子もなく、次第に子ども達は眠りについた。

 翌朝は、パジャマから着替え、洗面を済ませると、
全員で、散歩をしながら、近所の小公園に向かった。
 目的は、ラジオ体操だ。

 私も園児たちと一緒に幼稚園で朝を迎え、
その小公園へ行った。
 念を押すが、年に1回のこと、
園児だけでなく、私も初めての体験だった。

 ところが、この小公園では、春夏秋冬を通し、
毎朝、ラジオ体操が行われていると言うのだ。

 その朝も、体操の服装やエプロン姿、
Tシャツ短パンなど思い思いの姿で、
近隣の方20数人が集まってきた。

 主には、高齢者だが、馴染みの顔同士、朝の挨拶をしながら、
1台のラジオに向かい、体操の開始を待つ。
 そこに、自転車で駆けつけたサラリーマンの背広姿が、
1人2人と加わる。

 「いつものこと。」
「朝はこれで始まるのが、日課。」
 そう言いながら、ラジオ体操の歌に合わせ、足踏みが始まる。

 「ラジオ体操は、夏休みだけの行事。」
そんな認識だった恥ずかしさを、誰にも気づかれまいとする私。

 そのそばで、『お泊まり会』でちゃんと朝を迎えられた誇らしさを胸に、
人まねをしながら体操をする園児たちがいた。


 ▼ 年に数回、東京へ行く。
最近は、宿泊先に錦糸町のロッテシティーホテルを利用することが多い。

 『旅先ジョギング』と称して、時々だが、
朝の大横川親水公園と錦糸公園を走る。
 おおよそ5キロのコースだが、思いのほか緑も多く、気持ちがいい。

 通勤ラッシュ前、行き交う人の多くは地元の方で、
数人で散歩を楽しむ同世代が目に付く。

 4月下旬のある朝、「最後の1キロを」と、錦糸公園の外周を走った。
時刻は6時半になろうとしていた。
 公園内の広場に、沢山の人が集まっていた。
ラジオ体操をする人たちだと分かった。
 その人数の多さに驚いた。
ゆうに200人は越えているだろう。

 私はその人たちを横目に、ゆっくりとジョギングする。
時間とともにラジオ体操のアナウンスが、公園内の広場から流れてくる。
 一斉に、その音に向いた人々が、体操の同じ動きを始める。

 淡々とそして整然と、アナウンスとピアノが刻むリズムにあわせた動きが、
広場で続く。
 私の走りは、そんな人々から少し離れていく。

 でも、まだそこは公園の一角であった。 
そこだけ、広場で体操する活気とは一線を引いた空気が流れていた。

 わずか4人の、年齢のいった女性がいた。
広場に背を向け、自分たちで用意したラジオの方をむき、
体操をしていた。
 4人に笑顔などなく、爽やかさとは無縁な、
重たい雰囲気があった。
 
 走りながら、不思議な違和感を覚えた。
「どうして・・。どうしてこんな片隅で、4人して・・・」
 
 やがて、「意地でも、広場の大勢とは、一緒に体操しない。」
そんな強い思いが、ありありと伝わってきた。
 どんな動機がそうさせたのか、きっと彼女らなりの経過があるのだろう。
何か訳ありだろう。

 しかし、桜の春の後、ツツジの赤が賑やかな都会のオアシスの朝である。
1日の始まりをラジオ体操からと集う人々がいる。
 その清々しさの中、そこにだけ漂う異様な空気感に、
私は何度もため息を重ねた。
 でも、そっと走り続け、その場を離れた。

 「もう1度、溶け込むことの勇気と、楽しさを知ってください。」
そうつぶやいてみた。


 ▼ 住宅街の中に、伊達市が用意した公園とは名ばかりの、原っぱがある。
そこで、夏休みに、小学生を対象にしたラジオ体操が行われる。

 年々その日数が減り、昨年度は1週間あまりだった。
「物足りない」と1人愚痴りながらも、
地元の子ども達とふれあえる貴重な機会と、私も参加している。

 夏の早朝、北の軽い空気に包まれた体操の合間、
見上げる空の大きさに、度々心奪われた。
 この時期だけでなく、毎朝、この大空の下で、
ラジオ体操ができたらいい。

 『季節の移ろいの中でラジオ体操』
そんなフレーズに、無性に惹かれる日々をくり返す。
 そろそろ本格的始動の時かな・・・。
 

 


   見頃を迎えた 八重桜 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 研究授業が育てる | トップ | あの時代の都心区だから »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

思い」カテゴリの最新記事