▼ 顧問をしている東京都小学校児童文化研究会では、
毎年『東京都小学校連合学芸会』を開催している。
第54回になる今年は、12月20日(木)に、
オリンピック記念青少年総合センターカルチャー棟大ホールで、
行うことになっている。
都内の区や市を代表し、8~10校の児童が舞台狭しと、
渾身の演技を披露する。
毎回、演じる者、観る者、それぞれに感動がある。
学校内では得られない貴重な体験だ。
多忙を極める学校であるが、
このような機会を決して絶やさず、今後も継続してほしいと願っている。
さて、取り組み方に違いはあるが、大阪では
毎年2月に『大阪市こども演劇フェステイバル』が行われる。
これは、私たちの研究会と繋がりが深い
「大阪市小学校学校劇と話し方研究会」と、
大阪市立こども文化センターが主催している。
校長になってから、何度か大阪まで行った。
そして、大阪の子ども達が演じる劇に見入った。
ある年、ベテランの女性教員が、司会進行をしていた。
大阪弁を巧みに遣い、会場を盛り上げていた。
その上、参加者を明るい雰囲気に包みこむ秘策を、
彼女は持ち込んでいた。
それは、なんとも愛らしい動物のつり人形だった。
その人形を片手に彼女が登場するだけで、
会場は静まり、和やかな空気が流れた。
つり人形の仕草が、すごくかわいい。それに目がいった。
そして、彼女の話にうち解け、みんな笑った。
「素晴らしい」。
感激と共に、「これを取り入れたいなぁ。」と思った。
▼ その年の夏休みだった。
母の墓参りを済ませ、
その後、当時観光地として脚光を浴びていた小樽へ足を伸ばした。
人で賑わうお土産屋街を歩いた。
ある土産店の前で、呼び込みをする店員がいた。
何気なくその手元に目がいった。
思わず声をあげそうになるくらいだ。
両手に、ダチョウの子どもと小さなラクダのつり人形を、
ぶら下げていた。
思わず駆けより、店員に言った。
「そのつり人形、ほしい!」
大阪で司会の女性が手にして人形とは違う。
でも、愛らしさは負けてなかった。
きっとその店員が愛用している人形に違いない。
私は、旅のついでとばかり、無理を承知で店員に頼んだ。
店員は、人形をあやつりながら、あっさりと応じた。
「店の階段を2階まで上がったところの左棚にあります。
まだ、1つか2つなら残っていると思いますよ。」
「売っているの!?」
人をかき分けるようにして店に入った。
階段を駆け上がり、左の棚を探した。
店員が動かしていたダチョウとラクダが一体ずつ、
それぞれビニール袋に収まっていた。
高価でも構わないと思った。
でも、私の小遣いで買えた。
ホテルに戻るとすぐに、人形を動かしてみた。
ダチョウは二本足だった。
その足1本ずつと頭、計3本の糸でつながれていた。
ラクダは、4本の足と頭、計5本の糸だった。
ダチョウは、すぐに思うように動いてくれた。
しかし、ラクダは、練習を重ねても、うまくいかない。
5本糸には、ほとほと手をやいた。
▼ 夏休みが終わってすぐ、全校朝会があった。
「夏休み中に、素敵な出逢いがありました。
1日も早く皆さんに紹介したくて、この日を待っていました。」
そう言い終えると、私は一度朝礼台を降りた。
そして、ダチョウの子どものつり人形を手にして、
再び登壇した。
全校児童の目が、ダチョウの子どもに注がれた。
いつもは、無言で私の話を待つ子たちだが、
あちこちで指を差しながら、ひそひそ話を始めた。
校庭のザワザワがしばらく続いた。
何も言わず、壇上で、つり人形の足や頭を動かした。
シーンと静まり、全員の目が人形に注がれた。
「ダチョウの子どもです。かわいいでしょう。
これからは、時々こうして皆さんの前に登場します。
そこで皆さんにお願いがあります。
この子に名前をつけてください。」
校長室の前にポストを置いた。
1週間を区切って、名前を公募した。
毎日、10枚ほどの名前が投函された。
複数枚だが同じ名前カードが、2種類あった。
『ダーちゃん』と『ダッチャン』だった。
次週の全校朝会で2つの名前から1つを決めることにした。
「みんなの拍手が、大きかった方にします。」
結果は、「ダッチャン」が圧倒した。
こうして、ダチョウの子どものつり人形に名前がついた。
その年の秋、学芸会があった。
私は、ダッチャンをつれて、校長あいさつの舞台に上った。
ダッチャンは、中央のマイクまで歩いて、私に着いてきた。
子どもからも保護者からも、大きな拍手と歓声があった。
「ダッチャンも、みんなの劇を見て、
すごいすごいって声を上げていたよ。」
そう言うだけで、子ども達の表情が輝いた。
保護者も笑顔笑顔になった。
会場が沸いた。
ダッチャンは、一気に人気者になった。
一方、ラクダのつり人形だが、練習の甲斐なく、
うまく動かすことができなかった。
ずっと自宅の押し入れの中となった。
▼ 翌年、幼稚園が併設されている小学校へ異動になった。
4歳児と5歳児が通う幼稚園の園長を初めて兼任した。
すべてに戸惑った。
まずは入園式だ。
今までその式に列席したこともなかった。
園長としての挨拶がある。イメージがなかった。
ダッチャンの力を借りることにした。
まずは、小学校の入学式同様、
最初に来賓への謝意と保護者への祝意を伝えた。
その後は、入園児へのお祝いの言葉。
「みなさん、こんにちは。
園長先生です。今日からみなさんはサクラ組さんです。
楽しい楽しい幼稚園での毎日が、始まりました。
ご入園、おめでとうございます。
みなさんの入園をお祝いして、お家の方やお客様も来ています。
嬉しいですね、
実は、私のお友達も、みなさんのお祝いに来ました。」
そこまで話して、私は演台の下から、
ダッチャンを取りだし、前へ進んだ。
ダッチャンは、私と一緒に歩き、園児たちの前に立った。
最初に、歓声を上げたのは、保護者と来賓だった。
そして、年長の園児、先生たちと続いた。
入園児は、黙って見つめていた。
ダッチャンは、
「仲よくしようね。」「ケンカはダメ。」
「名前を呼ばれたら、ハイだよ。」
と私を通して話した。
その後は、私と一緒に園長席に戻った。
翌日から、ダッチャンは幼稚園の人気者になった。
「今度は、いつ会えるの?」
園児達から質問攻めにあった。
そこで、次のことを思いついた。
幼稚園では毎月、『お誕生日会』がある。
その時、ダッチャンが登場して、
お誕生日の子、一人一人と握手をするのだ。
園児達は、自分の誕生日会を心待ちするようになった。
そして、ダッチャンが手(足)を差し出し、
握手してくれる時を、ワクワクしながら待った。
その後の私は、ダッチャンのパワーを機会あるごとに借り、
小学校と幼稚園での日々を過ごした。
小さな川べりに咲いていた
毎年『東京都小学校連合学芸会』を開催している。
第54回になる今年は、12月20日(木)に、
オリンピック記念青少年総合センターカルチャー棟大ホールで、
行うことになっている。
都内の区や市を代表し、8~10校の児童が舞台狭しと、
渾身の演技を披露する。
毎回、演じる者、観る者、それぞれに感動がある。
学校内では得られない貴重な体験だ。
多忙を極める学校であるが、
このような機会を決して絶やさず、今後も継続してほしいと願っている。
さて、取り組み方に違いはあるが、大阪では
毎年2月に『大阪市こども演劇フェステイバル』が行われる。
これは、私たちの研究会と繋がりが深い
「大阪市小学校学校劇と話し方研究会」と、
大阪市立こども文化センターが主催している。
校長になってから、何度か大阪まで行った。
そして、大阪の子ども達が演じる劇に見入った。
ある年、ベテランの女性教員が、司会進行をしていた。
大阪弁を巧みに遣い、会場を盛り上げていた。
その上、参加者を明るい雰囲気に包みこむ秘策を、
彼女は持ち込んでいた。
それは、なんとも愛らしい動物のつり人形だった。
その人形を片手に彼女が登場するだけで、
会場は静まり、和やかな空気が流れた。
つり人形の仕草が、すごくかわいい。それに目がいった。
そして、彼女の話にうち解け、みんな笑った。
「素晴らしい」。
感激と共に、「これを取り入れたいなぁ。」と思った。
▼ その年の夏休みだった。
母の墓参りを済ませ、
その後、当時観光地として脚光を浴びていた小樽へ足を伸ばした。
人で賑わうお土産屋街を歩いた。
ある土産店の前で、呼び込みをする店員がいた。
何気なくその手元に目がいった。
思わず声をあげそうになるくらいだ。
両手に、ダチョウの子どもと小さなラクダのつり人形を、
ぶら下げていた。
思わず駆けより、店員に言った。
「そのつり人形、ほしい!」
大阪で司会の女性が手にして人形とは違う。
でも、愛らしさは負けてなかった。
きっとその店員が愛用している人形に違いない。
私は、旅のついでとばかり、無理を承知で店員に頼んだ。
店員は、人形をあやつりながら、あっさりと応じた。
「店の階段を2階まで上がったところの左棚にあります。
まだ、1つか2つなら残っていると思いますよ。」
「売っているの!?」
人をかき分けるようにして店に入った。
階段を駆け上がり、左の棚を探した。
店員が動かしていたダチョウとラクダが一体ずつ、
それぞれビニール袋に収まっていた。
高価でも構わないと思った。
でも、私の小遣いで買えた。
ホテルに戻るとすぐに、人形を動かしてみた。
ダチョウは二本足だった。
その足1本ずつと頭、計3本の糸でつながれていた。
ラクダは、4本の足と頭、計5本の糸だった。
ダチョウは、すぐに思うように動いてくれた。
しかし、ラクダは、練習を重ねても、うまくいかない。
5本糸には、ほとほと手をやいた。
▼ 夏休みが終わってすぐ、全校朝会があった。
「夏休み中に、素敵な出逢いがありました。
1日も早く皆さんに紹介したくて、この日を待っていました。」
そう言い終えると、私は一度朝礼台を降りた。
そして、ダチョウの子どものつり人形を手にして、
再び登壇した。
全校児童の目が、ダチョウの子どもに注がれた。
いつもは、無言で私の話を待つ子たちだが、
あちこちで指を差しながら、ひそひそ話を始めた。
校庭のザワザワがしばらく続いた。
何も言わず、壇上で、つり人形の足や頭を動かした。
シーンと静まり、全員の目が人形に注がれた。
「ダチョウの子どもです。かわいいでしょう。
これからは、時々こうして皆さんの前に登場します。
そこで皆さんにお願いがあります。
この子に名前をつけてください。」
校長室の前にポストを置いた。
1週間を区切って、名前を公募した。
毎日、10枚ほどの名前が投函された。
複数枚だが同じ名前カードが、2種類あった。
『ダーちゃん』と『ダッチャン』だった。
次週の全校朝会で2つの名前から1つを決めることにした。
「みんなの拍手が、大きかった方にします。」
結果は、「ダッチャン」が圧倒した。
こうして、ダチョウの子どものつり人形に名前がついた。
その年の秋、学芸会があった。
私は、ダッチャンをつれて、校長あいさつの舞台に上った。
ダッチャンは、中央のマイクまで歩いて、私に着いてきた。
子どもからも保護者からも、大きな拍手と歓声があった。
「ダッチャンも、みんなの劇を見て、
すごいすごいって声を上げていたよ。」
そう言うだけで、子ども達の表情が輝いた。
保護者も笑顔笑顔になった。
会場が沸いた。
ダッチャンは、一気に人気者になった。
一方、ラクダのつり人形だが、練習の甲斐なく、
うまく動かすことができなかった。
ずっと自宅の押し入れの中となった。
▼ 翌年、幼稚園が併設されている小学校へ異動になった。
4歳児と5歳児が通う幼稚園の園長を初めて兼任した。
すべてに戸惑った。
まずは入園式だ。
今までその式に列席したこともなかった。
園長としての挨拶がある。イメージがなかった。
ダッチャンの力を借りることにした。
まずは、小学校の入学式同様、
最初に来賓への謝意と保護者への祝意を伝えた。
その後は、入園児へのお祝いの言葉。
「みなさん、こんにちは。
園長先生です。今日からみなさんはサクラ組さんです。
楽しい楽しい幼稚園での毎日が、始まりました。
ご入園、おめでとうございます。
みなさんの入園をお祝いして、お家の方やお客様も来ています。
嬉しいですね、
実は、私のお友達も、みなさんのお祝いに来ました。」
そこまで話して、私は演台の下から、
ダッチャンを取りだし、前へ進んだ。
ダッチャンは、私と一緒に歩き、園児たちの前に立った。
最初に、歓声を上げたのは、保護者と来賓だった。
そして、年長の園児、先生たちと続いた。
入園児は、黙って見つめていた。
ダッチャンは、
「仲よくしようね。」「ケンカはダメ。」
「名前を呼ばれたら、ハイだよ。」
と私を通して話した。
その後は、私と一緒に園長席に戻った。
翌日から、ダッチャンは幼稚園の人気者になった。
「今度は、いつ会えるの?」
園児達から質問攻めにあった。
そこで、次のことを思いついた。
幼稚園では毎月、『お誕生日会』がある。
その時、ダッチャンが登場して、
お誕生日の子、一人一人と握手をするのだ。
園児達は、自分の誕生日会を心待ちするようになった。
そして、ダッチャンが手(足)を差し出し、
握手してくれる時を、ワクワクしながら待った。
その後の私は、ダッチャンのパワーを機会あるごとに借り、
小学校と幼稚園での日々を過ごした。
小さな川べりに咲いていた
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