▼ 今、伊達の小中学校は10日間程の夏休み中だ。
残念ながら、地域のラジオ体操はなくなった。
夏祭りやサマーイベントも軒並み中止である。
日本中、どこも同じだろう。
一つ一つの催しが、暮らしにメリハリをつけていた。
お盆の墓参りも同様だ。
それらが全て、コロナでくるってしまった。
世界が大きく変わる分岐点なのかも・・・。
「だから」と、「何かをどうかする」こともできやしない・・・。
せめて、どんな想いで見聞きし、何を記憶に刻むか、
一人の目撃者として、気概だけは忘れないでいようと思う。
さて、最近の私だが、やや調子がおかしい。
とにかく、『朝ラン』がダメだ。
いつも、心が揺れる。
2,3日おきに、5キロか10キロを走ってきた。
それが、危ういのだ。
確かに、この1ヶ月程天候不順だった。
それだけが言い訳ではない。
前夜、「明日は走ろう!」。
そう決めて、就寝する。
ところが、その通りにことが進まない。
目ざめても、その後のストレッチが済んでも、
まだ、ためらいが続く。
「今日はやめにして、明日にしようか。」
そんな想いが、いつまでも巡る。
ようやく自分を励まして走りだしても、
2キロ付近までは,うつむいたまま走る。
ようやく『朝ラン』が楽しくなるのは、
折り返しを過ぎてからだ。
「何故だ?」。わかっている。
やはり目標が大事なのだ。
例年なら、この時季は、
9月の『旭川ハーフマラソン』が意欲をかき立ててくれる。
それがないのだ。
それぞれの思いを持ってランナーが北都・旭川に集まる。
老若男女は違っても、みんな輝いて見える。
その中の1人でいることが嬉しい。
そして、自分のペースで1歩1歩進む。
みんな同じ方向を向いて、精一杯走る。
私も一緒に頑張る。
義姉妹の声援にも助けられ、
矢っ張り、完走したくなる。
そんなマラソン大会の楽しさを知った。
だから、『朝ラン』も続いてきた。
「なのに!なのに!」なのだ。
どうも気乗りしない。
「しかし・・、きっと・・、必ず・・、再び・・」。
いつかマラソン大会が開かれる。
まだまだ先かも・・・。
それでも、『継続は力なり』だ。
「老いてなどいられない!」。
今は、大会にまつわる出会いをふり返り、
明日からの『朝ラン』のエネルギーにしよう。
▼ 総合体育館のトレーニング室が音頭をとり、
『スマイルジョグだて』と名づけたマラソン仲間ができた。
最初の春、『伊達ハーフマラソン』に向けて、練習会があった。
予定外だったが、若い連中に混じって、
本番同様のハーフコースを走ることになってしまった。
当然、私はスローペースのグループだ。
経験豊富な女性ランナーがコーチになり、
4人で走った。
前後2人ずつ、並走した。
私と30歳代らしい女性が後方についた。
1キロ7分少々のラップを正確に刻み、コーチは
私たちをリードした。
坂道にかかると上りや下りの走法、
走行中に水を呑み込むコツなど、
走りながらコーチから教えてもらった。
その教えは、今も役立っている
さて、5キロを残した辺りで、コーチが言った。
「今日は別ですが、本番はここからペースを少し上げます。
もうみんなバテバテでしょう。
その時に、頑張って数人を追い抜くの。
すると力が湧いてきて、
ゴールまでいいペースで走り切れるから・・。」
感心して聞いていた私の横で、
そこまで一緒に走ってきた彼女が、
荒い息のまま、初めて声を上げた。
「私、抜かれてガックリする方だった。
今度は、絶対そうする。」
前方を見たまま、
晴れ晴れとした顔をした。
しかし、その後2回も、
それをやってのけるとは思いもしなかった。
▼ その日から2週間後が、本番だった。
全道から健脚が伊達に集まった。
活気があった。
コーチからのアドバイスをすっかり忘れ、
ただただ完走だけを目指した。
だから、1キロごとのペースを守って走ることを心がけた。
伊達ハーフマラソンコースは、10キロから15キロまでが上りだ。
次第に走力が落ちた。
上りが終わり、1キロが過ぎても、
ペースは遅いままで戻らなかった。
周りのランナーも、同じようにバテバテで走っていた。
その時だ。
「ワァ、追いついた!」。
張りのある女性の声が後ろから聞こえた。
2週間前、私と並んで走った彼女だった。
その走りには勢いがあった。
荒い息のまま、彼女は言った。
「もう、足、もげそう。
でも、何人も抜いてきた。
最後まで頑張れそう。」
私の返答など聞くこともなく、
彼女は走り去った。
ゴール後、会場に彼女がいた。
自己ベストだったと明るかった。
「足、もげると思ったけど、
最後を頑張れたから・・」。
相変わらず私は、終盤に失速したことを悔いていた。
▼ 同じ年の5月、洞爺湖マラソン大会で、
初めてフルマラソンに挑戦した。
彼女も、初めてエントリーしたと聞いていた。
31キロ過ぎの苦境を乗り越え、
ただただ1歩又1歩とゴールに向かって、粘った。
私の限界が間近だと思いつつ、
『ゴールまで3キロ』の標示を見た。
ここまで39キロも走ってきたのに、
「もう無理かも」と弱気になった。
その時だった。
「ワァ、追いついた!」。
張りのある女性の声が、後ろから届いた。
聞き覚えがあった。
「1歩1歩足を前へ!」。
それだけが全てだった私に、向けられた弾んだ声だ。
嬉しかった。
彼女は私と並ぶと、すぐに言った。
「もう、足、もげそう。でも、最後まで頑張る。
残り5キロから、何人も抜いてきたよ。」
彼女は、しばらく並走してくれた。
「ありがとう。先に行って。」
私が促すと、彼女はペースを上げ離れていった。
1人2人と追い抜く姿が見えた。
私に力が戻った。
「ここからだ。1人でも2人でもいい、
追い抜いてゴールするんだ。」
そんな気持ちになっていた。
完走したゴールの先で、
芝生にスラッとした足を投げ出した彼女がいた。
「足、もげなかったね。」
私が言うと、
「うん、また走っても、この足、付いているみたい。」
その日以降、彼女には会っていない。
転勤したと聞いている。
いつかどこかの大会で、今度は私が言う。
「ワッ、追いついた!」。
そして、「足、もげそう。」って、
必ず言う。
夏 ガクアジサイが 素敵!
※次回のブログ更新予定は 8月29日(土)です
残念ながら、地域のラジオ体操はなくなった。
夏祭りやサマーイベントも軒並み中止である。
日本中、どこも同じだろう。
一つ一つの催しが、暮らしにメリハリをつけていた。
お盆の墓参りも同様だ。
それらが全て、コロナでくるってしまった。
世界が大きく変わる分岐点なのかも・・・。
「だから」と、「何かをどうかする」こともできやしない・・・。
せめて、どんな想いで見聞きし、何を記憶に刻むか、
一人の目撃者として、気概だけは忘れないでいようと思う。
さて、最近の私だが、やや調子がおかしい。
とにかく、『朝ラン』がダメだ。
いつも、心が揺れる。
2,3日おきに、5キロか10キロを走ってきた。
それが、危ういのだ。
確かに、この1ヶ月程天候不順だった。
それだけが言い訳ではない。
前夜、「明日は走ろう!」。
そう決めて、就寝する。
ところが、その通りにことが進まない。
目ざめても、その後のストレッチが済んでも、
まだ、ためらいが続く。
「今日はやめにして、明日にしようか。」
そんな想いが、いつまでも巡る。
ようやく自分を励まして走りだしても、
2キロ付近までは,うつむいたまま走る。
ようやく『朝ラン』が楽しくなるのは、
折り返しを過ぎてからだ。
「何故だ?」。わかっている。
やはり目標が大事なのだ。
例年なら、この時季は、
9月の『旭川ハーフマラソン』が意欲をかき立ててくれる。
それがないのだ。
それぞれの思いを持ってランナーが北都・旭川に集まる。
老若男女は違っても、みんな輝いて見える。
その中の1人でいることが嬉しい。
そして、自分のペースで1歩1歩進む。
みんな同じ方向を向いて、精一杯走る。
私も一緒に頑張る。
義姉妹の声援にも助けられ、
矢っ張り、完走したくなる。
そんなマラソン大会の楽しさを知った。
だから、『朝ラン』も続いてきた。
「なのに!なのに!」なのだ。
どうも気乗りしない。
「しかし・・、きっと・・、必ず・・、再び・・」。
いつかマラソン大会が開かれる。
まだまだ先かも・・・。
それでも、『継続は力なり』だ。
「老いてなどいられない!」。
今は、大会にまつわる出会いをふり返り、
明日からの『朝ラン』のエネルギーにしよう。
▼ 総合体育館のトレーニング室が音頭をとり、
『スマイルジョグだて』と名づけたマラソン仲間ができた。
最初の春、『伊達ハーフマラソン』に向けて、練習会があった。
予定外だったが、若い連中に混じって、
本番同様のハーフコースを走ることになってしまった。
当然、私はスローペースのグループだ。
経験豊富な女性ランナーがコーチになり、
4人で走った。
前後2人ずつ、並走した。
私と30歳代らしい女性が後方についた。
1キロ7分少々のラップを正確に刻み、コーチは
私たちをリードした。
坂道にかかると上りや下りの走法、
走行中に水を呑み込むコツなど、
走りながらコーチから教えてもらった。
その教えは、今も役立っている
さて、5キロを残した辺りで、コーチが言った。
「今日は別ですが、本番はここからペースを少し上げます。
もうみんなバテバテでしょう。
その時に、頑張って数人を追い抜くの。
すると力が湧いてきて、
ゴールまでいいペースで走り切れるから・・。」
感心して聞いていた私の横で、
そこまで一緒に走ってきた彼女が、
荒い息のまま、初めて声を上げた。
「私、抜かれてガックリする方だった。
今度は、絶対そうする。」
前方を見たまま、
晴れ晴れとした顔をした。
しかし、その後2回も、
それをやってのけるとは思いもしなかった。
▼ その日から2週間後が、本番だった。
全道から健脚が伊達に集まった。
活気があった。
コーチからのアドバイスをすっかり忘れ、
ただただ完走だけを目指した。
だから、1キロごとのペースを守って走ることを心がけた。
伊達ハーフマラソンコースは、10キロから15キロまでが上りだ。
次第に走力が落ちた。
上りが終わり、1キロが過ぎても、
ペースは遅いままで戻らなかった。
周りのランナーも、同じようにバテバテで走っていた。
その時だ。
「ワァ、追いついた!」。
張りのある女性の声が後ろから聞こえた。
2週間前、私と並んで走った彼女だった。
その走りには勢いがあった。
荒い息のまま、彼女は言った。
「もう、足、もげそう。
でも、何人も抜いてきた。
最後まで頑張れそう。」
私の返答など聞くこともなく、
彼女は走り去った。
ゴール後、会場に彼女がいた。
自己ベストだったと明るかった。
「足、もげると思ったけど、
最後を頑張れたから・・」。
相変わらず私は、終盤に失速したことを悔いていた。
▼ 同じ年の5月、洞爺湖マラソン大会で、
初めてフルマラソンに挑戦した。
彼女も、初めてエントリーしたと聞いていた。
31キロ過ぎの苦境を乗り越え、
ただただ1歩又1歩とゴールに向かって、粘った。
私の限界が間近だと思いつつ、
『ゴールまで3キロ』の標示を見た。
ここまで39キロも走ってきたのに、
「もう無理かも」と弱気になった。
その時だった。
「ワァ、追いついた!」。
張りのある女性の声が、後ろから届いた。
聞き覚えがあった。
「1歩1歩足を前へ!」。
それだけが全てだった私に、向けられた弾んだ声だ。
嬉しかった。
彼女は私と並ぶと、すぐに言った。
「もう、足、もげそう。でも、最後まで頑張る。
残り5キロから、何人も抜いてきたよ。」
彼女は、しばらく並走してくれた。
「ありがとう。先に行って。」
私が促すと、彼女はペースを上げ離れていった。
1人2人と追い抜く姿が見えた。
私に力が戻った。
「ここからだ。1人でも2人でもいい、
追い抜いてゴールするんだ。」
そんな気持ちになっていた。
完走したゴールの先で、
芝生にスラッとした足を投げ出した彼女がいた。
「足、もげなかったね。」
私が言うと、
「うん、また走っても、この足、付いているみたい。」
その日以降、彼女には会っていない。
転勤したと聞いている。
いつかどこかの大会で、今度は私が言う。
「ワッ、追いついた!」。
そして、「足、もげそう。」って、
必ず言う。
夏 ガクアジサイが 素敵!
※次回のブログ更新予定は 8月29日(土)です
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