先週、体調がやっと回復に向かった。
ところが、自治会に大きな課題があり、
関係する役員29人に声をかけ、会議を開催した。
まだ、完治していなかったが、
会長が欠席する訳にはいかなかった。
会議は、2時間半に及んだ。
疲れた。
そして翌日には、別件で市役所に出向き、
住民からの要望を伝え、行ったり来たり。
忙しく動き回った。
すっかり体力を消耗した。
案の定、夕食もそこそこに床についた。
次の日は、終日横になり、眠り続けた。
でも、まだ会長として求められた案件がある。
キャンセルすれば、その分予定が詰まるだけ、
無理をして、頑張るしかない。
こんな時こそ、楽しかったことを思い出し、
エネルギーにすることだ。
『DIARY 24年10月・11月』でも記したが、11月に8日間も東京へ行った。
その日々を振り返ることに・・・。
① 周年式典・祝賀会に出席
9月に地元小学校の150周年記念式典があった。
学校運営協議会委員として、参列した。
150年と言う大きな節目だが、
歴代校長は、3代前までしか式典に呼ばれなかった。
ところが、嬉しいことに、
私が退職した小学校からは、存命歴代校長全員に
90周年式典の案内状が届いた。
なので、11月の90周年式典には、
私を含め5名の元気な歴代校長が出席した。
懐かしい先生や保護者、地域の方々などと挨拶を交わし、
学校の現況を知るだけでも嬉しいのに、
こんなことがあった。
校庭改修や校舎増築などがあり、
今までとは受付場所が変わり、若干戸惑っていた私に、
同じタイミングで受付を済ませた女性が、声をかけて来た。
「わざわざ北海道からですか?」
顔に見覚えがあったが、すぐには思い出せなかった。
「えぇ・・、昨日、飛行機で・・」
女性はすぐに察してくれた。
「S町会のDです」
残念だが、まだ思いだせなかった。
それでも、その場を切り抜けようと、
「ああ、Dさんでしたね。ご無沙汰しています」
軽く会釈した。
「先生、全然変わりませんね。
お元気そうで、安心しました」
その口調と表情から次第にDさんを思い出した。
「私ですか。いや、年とりました」
ホッとした表情で、そう応じた矢先だった。
「私、ずっと先生のファンでした。
あら、ごめんなさい。今もそうです。
ファンです」。
「私のファン・・!」
突然のことで、対応できなかった。
「毎月届く学校だよりを読んで、いつも・・」
そこまで言うと女性は一礼し、
足早に、式場へ向かっていった。
思いがけない贈り物だった。
幸せな気持ちが、式典と祝賀会を終えても残っていた。
② 日本一富士山に近いゴルフ場
ゴルフを覚えてまもなく、
同世代の教頭4人で、毎月1回のゴルフ会を始めた。
それは、私が伊達に移住するまで続いた。
その中の1人が、5年前に生まれ故郷の富士市に戻った。
そして、3年前になるだろうか。
両親が残した実家をリニューアルし、古民家カフェを始めた。
「いつかは、訪問するね」と約束しながら、
コロナ禍でもあり、足が遠のいていた。
そして、今回やっと、東京から新幹線・こだまで新富士駅に下車。
出迎えた彼の車で、古民家カフェ『F倶楽部』へ。
ご夫妻で用意する1日1組限定のランチをいただいた。
夕食までは、これまた彼の車で富士市内観光。
田子の浦の工場群や茶畑を見て回った。
至るところから富士山が見えていいはずなのに、この日は「残念!」。
空は、分厚い雲に覆われていた。
さて、市内のホテルに泊まった翌日だが、
彼と家内、私の3人でゴルフを計画していた。
予約してもらったゴルフ場は、
『日本一富士山に近い』が売りだった。
早朝、ホテルのカーテンを開くと、
道を挟んだビルの上に、
大きな富士山の頂上が赤く朝日に染まっていた。
思わず「おぉ-!」と声をあげた。
「こんな富士山を見ながらゴルフか!」
ワクワクした。
ところが、彼が運転する車でゴルフ場に向かうと、
富士山は、次第に雲に覆われ始めた。
「晴れてると、ここからも富士山がよく見えるんだ」
彼は、そんなことを度々言った。
約1時間のドライブで、クラブハウスに到着。
下車してすぐに、「見て見て!」。
彼の声に促された。
上空の雲間に、巨大な富士山がそびえていた。
富士山は、すそ野を広げた雄大な美しさに、
思わず「綺麗!」と声が出るのが常だ。
ところが、このときは「すげぇー!」と、
私は歓声を上げていた。
間近にせまる富士は、ゴツゴツと猛々しい山肌で、
しかも、険しい勾配でそびえ立っていた。
ラウンド中も、雲に邪魔されたが、
時折雲間からの姿は、まさに荒々しい富士だった。
日本一富士山に近いゴルフ場から垣間見た富士には、
穏やかな神々しさとは無縁だった。
それよりも想像を越え、
私を力づけても、まだ有り余る力強さであった。
帰り際、もう一度振り返り、富士を見上げた。
やっぱり再び「すげぇ-」と言っていた。
雪道 烏が食べ残した柿
ところが、自治会に大きな課題があり、
関係する役員29人に声をかけ、会議を開催した。
まだ、完治していなかったが、
会長が欠席する訳にはいかなかった。
会議は、2時間半に及んだ。
疲れた。
そして翌日には、別件で市役所に出向き、
住民からの要望を伝え、行ったり来たり。
忙しく動き回った。
すっかり体力を消耗した。
案の定、夕食もそこそこに床についた。
次の日は、終日横になり、眠り続けた。
でも、まだ会長として求められた案件がある。
キャンセルすれば、その分予定が詰まるだけ、
無理をして、頑張るしかない。
こんな時こそ、楽しかったことを思い出し、
エネルギーにすることだ。
『DIARY 24年10月・11月』でも記したが、11月に8日間も東京へ行った。
その日々を振り返ることに・・・。
① 周年式典・祝賀会に出席
9月に地元小学校の150周年記念式典があった。
学校運営協議会委員として、参列した。
150年と言う大きな節目だが、
歴代校長は、3代前までしか式典に呼ばれなかった。
ところが、嬉しいことに、
私が退職した小学校からは、存命歴代校長全員に
90周年式典の案内状が届いた。
なので、11月の90周年式典には、
私を含め5名の元気な歴代校長が出席した。
懐かしい先生や保護者、地域の方々などと挨拶を交わし、
学校の現況を知るだけでも嬉しいのに、
こんなことがあった。
校庭改修や校舎増築などがあり、
今までとは受付場所が変わり、若干戸惑っていた私に、
同じタイミングで受付を済ませた女性が、声をかけて来た。
「わざわざ北海道からですか?」
顔に見覚えがあったが、すぐには思い出せなかった。
「えぇ・・、昨日、飛行機で・・」
女性はすぐに察してくれた。
「S町会のDです」
残念だが、まだ思いだせなかった。
それでも、その場を切り抜けようと、
「ああ、Dさんでしたね。ご無沙汰しています」
軽く会釈した。
「先生、全然変わりませんね。
お元気そうで、安心しました」
その口調と表情から次第にDさんを思い出した。
「私ですか。いや、年とりました」
ホッとした表情で、そう応じた矢先だった。
「私、ずっと先生のファンでした。
あら、ごめんなさい。今もそうです。
ファンです」。
「私のファン・・!」
突然のことで、対応できなかった。
「毎月届く学校だよりを読んで、いつも・・」
そこまで言うと女性は一礼し、
足早に、式場へ向かっていった。
思いがけない贈り物だった。
幸せな気持ちが、式典と祝賀会を終えても残っていた。
② 日本一富士山に近いゴルフ場
ゴルフを覚えてまもなく、
同世代の教頭4人で、毎月1回のゴルフ会を始めた。
それは、私が伊達に移住するまで続いた。
その中の1人が、5年前に生まれ故郷の富士市に戻った。
そして、3年前になるだろうか。
両親が残した実家をリニューアルし、古民家カフェを始めた。
「いつかは、訪問するね」と約束しながら、
コロナ禍でもあり、足が遠のいていた。
そして、今回やっと、東京から新幹線・こだまで新富士駅に下車。
出迎えた彼の車で、古民家カフェ『F倶楽部』へ。
ご夫妻で用意する1日1組限定のランチをいただいた。
夕食までは、これまた彼の車で富士市内観光。
田子の浦の工場群や茶畑を見て回った。
至るところから富士山が見えていいはずなのに、この日は「残念!」。
空は、分厚い雲に覆われていた。
さて、市内のホテルに泊まった翌日だが、
彼と家内、私の3人でゴルフを計画していた。
予約してもらったゴルフ場は、
『日本一富士山に近い』が売りだった。
早朝、ホテルのカーテンを開くと、
道を挟んだビルの上に、
大きな富士山の頂上が赤く朝日に染まっていた。
思わず「おぉ-!」と声をあげた。
「こんな富士山を見ながらゴルフか!」
ワクワクした。
ところが、彼が運転する車でゴルフ場に向かうと、
富士山は、次第に雲に覆われ始めた。
「晴れてると、ここからも富士山がよく見えるんだ」
彼は、そんなことを度々言った。
約1時間のドライブで、クラブハウスに到着。
下車してすぐに、「見て見て!」。
彼の声に促された。
上空の雲間に、巨大な富士山がそびえていた。
富士山は、すそ野を広げた雄大な美しさに、
思わず「綺麗!」と声が出るのが常だ。
ところが、このときは「すげぇー!」と、
私は歓声を上げていた。
間近にせまる富士は、ゴツゴツと猛々しい山肌で、
しかも、険しい勾配でそびえ立っていた。
ラウンド中も、雲に邪魔されたが、
時折雲間からの姿は、まさに荒々しい富士だった。
日本一富士山に近いゴルフ場から垣間見た富士には、
穏やかな神々しさとは無縁だった。
それよりも想像を越え、
私を力づけても、まだ有り余る力強さであった。
帰り際、もう一度振り返り、富士を見上げた。
やっぱり再び「すげぇ-」と言っていた。
雪道 烏が食べ残した柿
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