ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

教職に就いてすぐ (2)

2018-02-09 21:58:10 | 教育
 教職1年目は、5年生を担任した。
私は、まったく未熟な指導に終始した。
 授業では、子ども中心の展開ができず、
一方的に進めるばかりだった。
 それではダメだと気づいても、
授業改善の方法が分からなかった。

 そんなことの打開策の1つとして、
いや、そうではなく、
今できることは何かと、手探りした結果、
私は、B5版の小さな学級通信『わっか』を、
毎日発行することにした。

 当時は、ガリ版印刷だった。
3ミリ方眼のロウ原紙に、
その日の授業や子どもの様子などを、鉄筆で書き、作成した。
 作業は、4畳半のアパートで、夕食後に、
学生時代から使っていた小さな折りたたみ式の座卓で行った。

 1日を振り返り、生き生きとした子どもの姿、
授業の至らなさ、指導の曖昧さなどから、1つを記事にした。
 『毎日、夕食の後、家族で「わっか」を読んでます。』
『学校の様子を話さない子ですが、
主人も私も、「わっか」を頂いて助かっています。』
 そんな声が届き、私は勇気づけられた。

 ある日、調子に乗ってしまい、
学級通信の片隅に、こんな一文を載せた。
 『学校まで、徒歩で30分以上かかります。
自転車なら、10分位なのに!』

 2つめのエピソードは、この文がきっかけになった。

 その学級通信の翌日、放課後だった。
保護者の1人から、職員室に電話があった。
 「先生、ウチに使ってない自転車があるんですけど、
どうですか。空気を入れれば、まだ乗れますよ。」

 私は、すぐに反応した。
礼もそこそこ、その申し出に甘え、
退勤時間を待って、保護者宅を訪ねた。

 そのお宅は、毎日往復している通勤路の途中にあった。
牛乳屋さんを営んでいた。
 明るいお母さんが、迎えてくれた。
早速、店の裏手に置いてある自転車を見せてくれた。

 その自転車を見た瞬間、私は一瞬棒立ちになった。
それは、明らかに毎朝牛乳配達に使っていたものだった。

 車体は黒塗り、ハンドルは巾が広く、
荷台はすごく大きかった。
 その上、車体を固定するスタンドが、
転倒防止用で二股になっていた。
 重たい牛乳ビンの入った箱を支えるためだと分かった。
タイヤも、これまた太いのだ。

 見慣れていた、
今で言うところの『ママチャリ』からは、ほど遠かった。
 業務用自転車そのものなのだ。

 「先生、これでよかったら、使って下さい。
あげますよ。」
 その善意をこばむことなどできなかった。

 早速、近くの自転車屋で空気をいれ、
自宅に乗って帰った。
 息が切れた。
それまでに乗ったどんな自転車より、何倍も重かった。

 通勤路のほとんどは、平坦なアスファルト舗装だった。
ところが、途中に1つだけ、
ゼロメートル地帯の下町に、橋が架かっていた。
 当然、その橋も周りの堤防も、周囲より随分高く、
そこに続く道は急傾斜になっていた。
 
 毎日、朝と夕方、
その坂道を黒い牛乳配達用自転車をこいで上った。

 平坦な道でも、重たい自転車である。
それで上る橋までの坂道は、
どんなに慣れでも苦痛だった。
 立ちこぎで橋までたどり着くと、息切れは尋常でなかった。
暑い日は、一気に汗が噴き出した。
 向かい風の日は、怒りが先になった。

 確かに、自転車で10数分の通勤にはなった。  
でも、30分かかってでも、
徒歩通勤がいいと思い直した。
 ところが、それはできなかった。

 学校までの往復は、
必ず、その牛乳屋の保護者宅前を通るのである。
 朝と夕、頂いた自転車で通らなければ、
申し訳が立たない気がした。

 「いや、あの自転車重たくて、歩く方が楽で・・・。」
再び、歩き通勤に切り替えた理由を、
正直に言うことなど、決してできなかった。

 もう、雨の日だけを、心待ちした。
自転車通勤じゃなくていい日は、
その時だけなのだ。

 それでも、自分の気持ちを隠し、私は、
時折店先にいる牛乳屋の明るいお母さんに笑顔を作り、
そこを通り過ぎた。

 そんな通勤から半年余りが過ぎた頃だ。

 突然だが、お父さんの転勤で、
1週間後に転出する子がいた。
 私にとって、教え子との初めての別れだった。
最後の日、みんなでいろいろ工夫し、
お別れ会を盛大に行った。
 
 その2,3日前だ。
その子のお母さんが、転出の手続きに来校した。

 帰り際、お世話になったお礼がしたいと言い出した。
「先生、何か希望の物がありましたら、言ってください。」
 そんな申し出を、しきりに辞退する私に、
「じゃ、何か主人と相談します。」
 そう言って、立ち去った。

 まさかその品が、新車の『ママチャリ』だなんて、
その時、想像などできなかった。

 お別れ会が終わり、その子は下校していった。
次の学校に、早く慣れてほしいと、
それだけを願いながら、見送った。

 下校から小1時間が過ぎただろうか、
その子のお母さんが、職員室に顔を出した。
 ていねいな挨拶の後、私を玄関まで誘った。
そこに、真新しい購入したばかりの自転車があった。 
 サドルは、まだビニールをかぶっていた。
 
 「先生、明日から、これ使ってください。
あの自転車、先生、可愛そうで。」
 ビックリした。思わぬ贈り物だった。
でも、受け取る訳にはいかなかった。

 「こんな高価なもの、頂くことできません。
それに、あの自転車で十分です。」
 私は、見栄を張った。

 「いいんです。気にしないで、受け取ってください。
主人も、大賛成してくれたんですから、あれじゃって・・。
是非、これに乗ってください。」
 お母さんは、遠慮がちに、言葉を選びながらそう言った。

 こうなったらと、私は、牛乳屋さんから譲り受けたこと、
その手前もあることなど、隠さずにお話しした。
 すると、牛乳屋さんへ出向き、
新車を贈ることを伝え、快諾を得ているとの、返事が戻ってきた。
 もう、私は、好意に素直に応じるしかなくなった。

 その日の退勤から、新しい自転車にまたがった。
あの橋も、スイスイ上った。

 翌朝、牛乳屋さんの前に、あの明るいお母さんがいた。
私は、言い訳しようと、自転車を止めた。

 「よかったね、先生。あの自転車、先生にあげてみたけど、
大変そうで気の毒だったから、ホッとしました。」
 一気に、そう言って、ニコッとしてくれた。

 急に肩が軽くなった。
「ありがとうございます。」
 自転車をスイスイとこぎ、学校へ走った。

 12月にボーナスを貰ってから、
お礼の品を、厳選して送った。





   冬の青空 軒先のつらら 

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