猫住職の「般にゃん心経」 ~猫猫寺・開運ミュージアム ③
1400年前、トン国の猫目マサコ三蔵は、にゃん悟空マチャキ、二シ八戒、さごシローらを従えた苦難の旅の末、にゃんどから経典を持ち帰った。
それが法要で必ず唱えられる「般にゃん心経」である。
龍猫山 猫猫寺のご本尊、大日猫来坐像。
「なんだ!ブタか!」と思った人は必ず、地獄に落ちようぞ。
猫住職の「般にゃん心経」 ~猫猫寺・開運ミュージアム ③
1400年前、トン国の猫目マサコ三蔵は、にゃん悟空マチャキ、二シ八戒、さごシローらを従えた苦難の旅の末、にゃんどから経典を持ち帰った。
それが法要で必ず唱えられる「般にゃん心経」である。
龍猫山 猫猫寺のご本尊、大日猫来坐像。
「なんだ!ブタか!」と思った人は必ず、地獄に落ちようぞ。
「猫のバーテンダー」 ~猫猫寺・開運ミュージアム ②
「一日の終わりに、カクテルでひとときのやすらぎを如何?」
「それなら、心に響く一杯をシェイクしてくれ。」
「マティーニ?ネグローニ?それとも、血の香りの、ブラッディ・マウス・メアリー?」
「いいね。でも、あてはあれにしてくれ。」
「チキン?チーズ? あ~いつものね。」
「そう、”ねこまんま”。鰹節はたっぷりにゃ~!」
猫猫寺・開運ミュージアム ① ~何にゃん?にゃんにゃん寺にゃん!
京都市左京区八瀬に招喜猫宗 総本山 猫猫寺(にゃんにゃんじ)がある。ご本尊は大日猫来(だいにちにゃんらい)様。
築100年の古民家を寺院風にした店内すべてが猫アートの美術館。
ネコ好きにはたまらないだろう。どちらかというと、犬好きの私もたまらにゃい!
この際、猫の手も借りて開運しましょう!!とのことにゃん。
タイガーマスクならぬ、キャットマスク。
沼津港・深海水族館 ③ ~深い深い海の底で原始に還える
深い深い海に沈めば、原始生物だったころに戻れる。
ゆらゆらと海底を漂えば、人間だったころさえ懐かしくなる。
あんなことがあった。ああすればよかった。
だけど、それはもう、どうでもいいこと。
沼津港・深海水族館 ② ~「冷凍シーラカンス」と「絶食?ダイオウグソクムシ」
3憶5千万年前から姿を変えずに深海で生き続けている「生きる化石」シーラカンス。
はるか昔に絶滅したと思われていたが、1938年、アフリカのコモロ諸島で発見され、全世界から「世紀の大発見」と呼ばれた。
現在ではワシントン条約で商取引が規制されているが、沼津港・深海水族館では規制前に日本の調査隊が捕獲した冷凍2体とはく製3体を展示している。
別名は「シーラカンス・ミュージアム」。
冷凍シーラカンス個体は世界中でもここにある2体だけという貴重なもの。
常時マイナス20度に保たれた冷凍専用ケースで保存されている。
メキシコの深海800mに棲む世界最大のダンゴムシの仲間「ダイオウグソクムシ」は、最大で50センチにもなる。
絶食しているわけでなく、何年も餌を食べないでも生きられるそう。
実際は食欲も旺盛で海底の動物の死骸や弱った生き物など何でも食べる。
メガマウスは水深200ⅿ付近に生息する幻の深海ザメで、生態には不明点が多い。
名前の由来にもなっている『大きな口』でプランクトンなどの小さな生き物を海水ごと口に入れ、濾して食べていると考えられている。
この「メガマウス」は、2019年1月に沼津港・深海水族館近くの牛臥海岸にて打ち上げられた個体の剥製標本。
リュウグウノツカイの剥製。大地震の前に浅瀬に現れるという伝説があるので、近海で捕獲のニュースにはドキッとする。
サケガシラ
古代生物のレプリカも多数、展示されている。ダンクルオステウス、デボン紀の巨大生物。
今回はメンダコには会えなかったのが残念だった。
神秘的な海底火山がある深海の世界を垣間見た。
沼津港・深海水族館 ① ~駿河湾のDEEPなアドベンチャー
世界で唯一の深海に特化した水族館が「沼津港・深海水族館」である。
最深部は2,500mという日本一深い湾「駿河湾」沿いの特性を生かし、捕獲も輸送も難しい深海生物を常時100種類以上も見られる。
一般に水深200mよりも深い場所を深海と呼ばれているが、そこを起点に光合成ができなくなり、生態も変わるという。
地元の漁師さんと提携し、底引き網漁の船をチャーターして、水族館スタッフ自らが深海生物を捕獲に行くのも深海水族館の特徴の一つだ。
駿河湾は急深のため、漁場までが近く、捕獲してすぐに戻って来られるため、輸送時間が短くて済む。
駿河湾で捕獲された生物を集めた「駿河湾大水槽」では駿河湾に生息する世界最大のカニ「タカアシガニ」が出迎えてくれる。
深海に生息する発光魚「ヒカリキンメダイ」の深海のプラネタリウム。
伊豆・松崎の「入江長八美術館」〝漆喰芸術の殿堂〟 ~伊豆半島紀行 ⑨
幕末から明治にかけて活躍した松崎町出身の鏝絵(こてえ)の第一人者、入江長八の作品を収蔵するミュージアムである。
鏝絵(こてえ)とは、左官で使う鏝で絵を描いたもので、そんなアートがあること自体、知らなかった。
〝漆喰芸術の殿堂〟とも云われる「入江長八美術館」は建物の前衛的かつ独創的な佇まいからして見応えがある。
左官名工の魂である鏝を祀る「鏝塚」。
長八美術館に隣接する民芸館も素敵だ。
松崎・岩科学校の千羽鶴 ~伊豆半島紀行 ⑧
明治13年(1880年)に完成した「なまこ壁」と社寺風建築の「岩科学校」は伊豆地区最古の学校建築物である。
バルコニーのある洋風デザインがレトロでお洒落な印象で、松本の旧開智学校などに次ぐ古いものとして国の重要文化財に指定されている。
階上客室の西の間の欄間には入江長八によってほどこされた千羽鶴が、一羽一羽形を変えて描かれており、まるで壁面より抜け出てくるかのようだ。
伊豆 松崎・なまこ壁の町並み ~伊豆半島紀行 ⑦
松崎町は、伊豆半島西海岸南部に位置し、西は駿河湾に臨み、東には天城山系の山々を配し、コンパクトにまとまった小さな町。
町役場のキャッチフレーズ「花とロマンの里」「日本で最も美しい村」があながち、誇張とは思えない情緒ある街だった。
特に「なまこ壁の町並み」は、松崎の風情を代表する景観。
「なまこ壁」とは、壁面に四角い平瓦を並べて張り、その継ぎ目を漆喰で海の生き物「なまこ」のように盛り上げるスタイルからその名称がついた。
江戸時代に防火、防風を目的として普及したが、老朽化や建て替えなどで全国的にも希少となっているのだが、松崎町には、まだ多数、現存している。
インパクトのあるデザインの時計塔がある「中瀬邸」は明治20年(1887年)に呉服問屋として財を成した豪商・依田直吉の邸として建てられた。
呉服店の屋号が「中瀬」だったため、中瀬邸と呼ばれており、現在は伊豆半島ジオパークビジターセンターや観光案内所、無料休憩所、民俗資料館となっている。
松崎町では数々のロケが行われたことでも知られている。
駿河湾越しの富士山・西伊豆 ~伊豆半島紀行 ⑥
石廊崎から海岸線沿いに少し下ったところ南伊豆・下流にある「民宿 坂下」さん。
”海女と漁師の宿” がキャッチフレーズだけあって、すぐ目の前が海岸。
シンプルでリーズナブルながら、海鮮料理のおいしさには定評がある宿。(1泊2食、何と8000円)
日の出も素晴らしかった。
朝食もおいしくて、ほっこりする宿。
今日は西海岸沿いに北上、松崎町を目指す。
駿河湾越しに、久々の富士山を遠望する。
断崖絶壁の石廊崎 ~伊豆半島紀行 ⑤
石廊崎(いろうざき)は伊豆半島最南端の岬で、海底火山が生み出した高さ100mもの断崖絶壁が続く。
相模湾と遠州灘の怒濤を受ける絶壁、その海岸線の多くは、海底火山から噴出した火山灰や溶岩からできているため、海の中に岩山が見られ、それらは長年の波の浸食によって険しい地形になっている。
岬の先端付近には灯台、その先には石室神社(いろうじんじゃ)と熊野神社の祠(ほこら)がある。
訪れた日はもの凄い突風で吹き飛ばされそうになりながら、岩に這いつくばるようにして岬を廻った。
あいあい岬は夕陽の名所でもある。
下田・ペリーと龍馬の足跡 ~伊豆半島紀行 ④
1854年(嘉永7年)、日本開国を要求するペリー艦隊の黒船来航により「日米和親条約」の締結に至り、下田が日本で初めての開港場となった。
ペリー提督上陸地から一行の応接所となった了仙寺までの道のりは「ペリーロード」と呼ばれている。
数々の歴史の波に翻弄された港町だったが、なまこ壁の続く町並みや南国風の佇まいなど、のんびりした風情が印象に残った。
街中にある宝福寺に坂本龍馬の大きな像があり、龍馬ファンとしては嬉しかった。
1863年(文久三年)、偶然にも土佐藩主・山内容堂が投宿していた。
これも偶然に龍馬を伴って下田に来港した勝海舟による取り成しで龍馬の脱藩の罪を免除されたことが後の龍馬の飛躍の基になった。
宝福寺には「唐人 お吉」の墓所がある。
「まぼろし博覧会」 ② ~見てはいけない「キモ可愛くて怪しい夢空間」
夢かうつつか幻の「まぼろし博覧会」に、もの悲しさを感じるのは「盛者必衰」の無常観が漂っているから。
また懐かしさを感じるのは深層心理に潜む想い出たちの片鱗があるから。
できるなら、ここには行かない方がいい。
見てはいけない「キモ可愛くて怪しい夢空間」は夢の中まで追いかけてくる。
もっとも、「人は見てはいけない」と言われると余計、見たくなるものだが。
伝説のセーラちゃんに会えなかったことが少し心残りだ。
「まぼろし博覧会」 ① ~カオスとデカダンス(退廃)の異次元ワールド
伊豆高原に「まぼろし博覧会」という世にも奇妙な博物館がある。
いや博物館なのか、テーマパークなのか、シアターなのか、既存のカテゴリーには当てはまらない。
つまりは行き場を失ったかつての花形スターが、ガラクタとなって辿り着いた「カオスとデカダンス(退廃)の異次元ワールド」といったところか。
NHKの「ドキュメント72時間」などで放映されてから、俄然、注目を浴びるようになった。
もと、熱帯植物園だったようで甲子園球場とほぼ同じくらい広大な敷地にある。
伊豆高原 「青い風ガーデン」と 城ヶ崎海岸 ~伊豆半島紀行 ③
伊豆高原のリゾート地にお洒落なペンション「青い風ガーデン」がある。
かつては「青い風ユースホステル」として、全国的にも人気のユースホステルであったが時代の波には逆らえず、数年前からペンションとして再スタートされていた。
生粋の元ホステラーとしては、是非とも訪れるべき宿でもあった。
ガーデンというだけあって、手入れの行き届いた庭園に包まれた外観に、わずかだがオーシャンビューもできる。
シーズンにはもっと華やかになるだろう。(下、アルバムより)
オーナーさんはお若いころ、自転車で日本一周したという旅のツワモノだ。
館内にはご主人手作りというステンドグラスが煌めいていた。オーナーさんのキルトのパッチワークも秀逸だ。
リーズナブル(素泊まり4500円‣時価)かつ寛げる宿ということで、当ブログの「心の宿」シリーズにカテゴライズさせていただいた。
東伊豆の名所、城ヶ崎海岸も近く、温泉も多い好立地の宿である。
城ヶ崎海岸は約4000年前、大室山が噴火した時に流れ出した溶岩によってできた。
有名な門脇の吊り橋には足がすくむ。
断崖に立つ門脇埼灯台。
伊豆大島を遥かに望む。