ばくのメモ帳

『ばくのお宿』管理人の西みつのり、略して西みつのメモ帳です。ホームページに書き切れない雑多な情報を綴ります。

『七つ池』の由来など その3

2020年07月04日 | 銚子

以前のブログ「『七つ池』の由来など その2」で、現在残っている池の名称を推定しました。

千葉県『農業用ため池データベース』(令和2年3月31日現在)には4つの池が載せられています。

七つ池蒜藻堰(ひるもせき)長塚町4丁目3404 堤高6.8m 堤頂長60.0m 総貯水量14.8千㎥

七つ池中池(なかいけ)長塚町4丁目3417 堤高11.6m 堤頂長65.0m 総貯水量37.6千㎥

七つ池新堰(にいぜき)長塚町4丁目2572 堤高1.8m 堤頂長48.0m 総貯水量6.9千㎥

七つ池上池(かみいけ)長塚町4丁目4018 堤高5.1m 堤頂長50.0m 総貯水量37.5千㎥ 

この内容から、次のように推定しました。

一番北、入ってすぐの場所にあるのが「上池」、まん中が「中池」、そして一番南側が「蒜藻堰」、道路をはさんだ所に「新堰」ではないでしょうか。「岩ゼキ」は「蒜藻堰」に吸収されたように思います。

この推定が完全に間違っていました。

ため池整備事業に携わった方から話を聞くことができました。七つ池のパンフレットの地図に当てはめてみると、


一番入口に誓い、北側の池が「蒜藻堰」でした。次が「中池」、その奥が「上池」です。一番奥、南側の池は現在はありません。

蒜藻堰から道をはさんだところが「岩堰」その隣、東側が「新堰」でした。「岩堰」はため池工事の結果、水路になり、現在のデータベースには載っていません。

『西銚子町誌』では、七つ池の名称を「七ッ池とは、字、塚子森の溜池、これは、岩ゼキのすぐ下にありしが、今は、田地と変じたり。これと、岩ゼキ、ヒルモゼキ、中ゼキ、上ゼキ、江戸ゼキ、新池の七箇を総称したる名にして・・・」としています。

最初になくなった「塚子森の溜池」は岩ゼキの「すぐ下」にありました。「下」がどの方角なのかわからないのですが、北側の利根川よりか、池の南側になると思います。「字、塚子森」とのことなので、旧字の場所がわかれば、場所の特定もできるかも知れません。

現在は消失した一番奥、南側の池は、残る「江戸ゼキ」ということになります。

これで池の名称については、一応特定することができました。そこで、改めての疑問です。正徳の昔、治兵衛が最初に作った池は、どの池だったのでしょうか。また、治右衛門が次に作った池はどの池なのでしょうか。ぜひ特定したいですね。

「七つ池」に関する資料をもう一つ見つけました。

「月刊 銚子観光ニュース 創刊号」です。発行所は銚子観光協会、昭和27(1952)年4月5日の発行でした。


七つ池に関する記事を抜き出してみます。


 「昨年秋市観光課で七ッ池に櫻樹五百本を植えたが、このうち今春花の咲く木は二百本であった。冬も過ぎ愈々木々芽ぐむ頃となって状況を調査した所、五百本全部根がつき二百本の櫻は皆花の芽がふくらんでいるのに力を得て、十二日から三日間位、櫻祭を催そうと計画を進めている。」

銚子市では、七ッ池を銚子観光新名所の一つとする計画で、2ページの「本協会の事業計画」でも、「四、観光行事開催」のトップは、新名所櫻の公園「七ッ池」の櫻祭となっています。

なお、「コース見取図」に池は五つで、一番南の江戸ゼキ(推定)は描かれていません。古い住宅地図などを見ると、上池(上ゼキ)が二つに分かれている地図もあります。江戸ゼキは上ゼキと一体になったということでしょうか。


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