ばくのメモ帳

『ばくのお宿』管理人の西みつのり、略して西みつのメモ帳です。ホームページに書き切れない雑多な情報を綴ります。

銚子電鉄ガタガタ『オール銭薄』

2021年12月15日 | 銚子電鉄
12月9日(木)、銚子電鉄犬吠駅です。「銚電マンシール」の「オール銭薄」が補充されていました。品切れが続いていたので、久しぶりです。


向かって左側の2台は「銚電マンシール」の第3弾、右側は上下とも「オール銭薄」です。



12回挑戦しました。その結果です。


7種類がダブりなしで、5枚がダブりでした。

ダブりが多いのは相変わらずですが、驚いたのは第1弾の「ボンビー」シリーズが1枚も出なかったことです。


全20種類のうち半分は「ボンビー」シリーズのはずなので、かなり確率が悪いですね。

「オール銭薄」を回すのは、これで3回目です。今回の新入手は3枚でした。

これまでの結果です。

10月12日、1回目

10月28日、2回目

残るはあと6枚でしょうか。完集まではまだ時間がかかりそうです。

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12月9日、銚子電鉄犬吠駅

2021年12月12日 | 銚子電鉄
12月9日(木)、犬吠テラステラスから銚子電鉄犬吠駅に来ました。雲は厚く、風は強いです。


入口のガラス戸が12月1日の暴風雨で破損し、応急処置が施されています。


こんなことは初めてだそうです。

少し前、11月24日(水)の犬吠駅です。



11月24日の弧廻手形


犬吠駅構内へは、普段使われていないホーム側の入口から入ります。





この日の弧廻手形


「ぬれ煎餅プレミアム」や「銚子電鉄のかりんとう」を購入。「ピーナッツ木の葉パン」もありました。


木曜日だったので、たい焼きの売店も営業中



「黒鯛」のカレー味とチョコレート味を購入しました。おいしいです。



この日の目的だった『袖山里穂写真集 アイドル車掌から運転士へ』を購入


袖山里穂さん2冊目の写真集です。

最初の写真集、『銚子電鉄アイドル車掌 袖山里穂』


撮影は2冊とも山岸伸先生です。

銚子電鉄ガタガタ「オール銭薄」を回した結果は次回に。


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犬吠テラステラス

2021年12月11日 | 銚子
12月9日(木)、犬吠テラステラスと銚子電鉄犬吠駅に行ってきました。犬吠テラステラスの目的は、昼食のパンの購入と「アマガミファンアート展」です。

もうクリスマス仕様ですね。


アマガミファンアート展は、12月1日~26日まで犬吠テラステラスの2階で開催されています。





具緒さんの作品も展示されていました。

11月30日までは具緒さんの「ふさのはじっこ」が展示されていました。会期中にもう一度見たいと思い、11月24日(水)にも犬吠テラステラスに来ました。




アトリエ高野さんのクリアファイルです。2022年カレンダーのクリアファイルがあったので購入



12月9日(木)は前日から暴風が吹き荒れていましたが、11月24日(水)はよい天気でした。



そして、最後はいつも「銚子灯台コーラ」です。


よくかき混ぜて


おいしい。大好きです。


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みなもと太郎先生『ぱんだちゃん』

2021年12月05日 | みなもと太郎
もう4年も前になりますが、2017年11月4日、神田神保町で開催されていた、みなもと太郎先生の「画業50周年原画展」に行って来ました。




この原画展については当時のブログで報告しています。

みなもと太郎原画展

先生の作品を整理する中で、改めて調べてみたい項目がありました。原画展でも展示されていた「ぱんだちゃん」です。



1976年ころの幼年誌『おともだち』に掲載されていました。この作品はまったく見たことがありません。

原画展で販売されていた複製画についても、最近入手しました。


先生の幼年誌、学年誌への連載は作品数も多く、掲載期間も長期間に及んでいることが多いです。

その中で『おともだち』は講談社の幼年向けの雑誌で、創刊は1972年10月号でした。現在も発行されており、「2歳から4歳向け入園準備月刊誌」です。(講談社ホームページ)

国立国会図書館で遠隔複写を繰り返しながら、作品の全貌をつかもうとしました。国会図書館の所蔵は1973年1月号からです。1972年は所蔵されていません。

1973年1月号





1972年は雑誌の所蔵がないため調査できていませんが、オークションで12月号にみなもと作品の掲載を見た記憶があります。また、るりたんが「ことしもよろしくね。」と言っていることから、創刊号からの掲載と推定しています。

同年2月号の編集後記、「おかあさまへ・・・・・・「おともだち」より」には、みなもと先生に関する記述がありました。

「おともだち」の「ぱんだちゃん」について一言

作者のみなもと太郎先生は幼児ものがはじめてなので、小さい子に「ぱんだちゃん」の絵を見せては研究していらっしゃいますが、ぱんだちゃんが失敗ばかりするのが残念でたまらないそうです。「こんどは、どじをふまないぱんだちゃんをかきたい。」と、みなもと先生ははりきっていらっしゃいます。ご期待ください。

「ぱんだちゃん」はオールカラーで、3ページが基本でした。原画展で「1976年ころ」とあったので、そこから調べ始めたのですが、考えていたよりはるかに長期連載で、終了は1978年8月号でした。

1978年8月号




連載当初の昭和48年(1973年)というと、みなもと太郎先生は、『週刊少女フレンド』で「ふたりは恋人」、『なかよし』で「ドロボウちゃんシリーズ」を連載、『希望の友』で「レ・ミゼラブル」を掲載するほか、『週刊少年マガジン』、『ヤングコミック』などで多彩な作品を掲載していました。

先生の作品の全貌をつかむには、調査はまだまだこれからです。

『みなもと太郎まんが館』、更新しました。

みなもと太郎まんが館



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バロン吉元先生『賭博師たち』新発売

2021年12月02日 | バロン吉元
リイド社からバロン吉元先生の『賭博師たち』が発売されました。コンビニを中心にした販売です。油断していると、すぐ入手できなくなるので、昨日ローソンで購入してきました。



リイド社 2021年12月14日 初版第1冊発行

コンビニコミックといっても、432ページもある分厚いコミックスです。企画・協力はエミリー・吉元さん。

収録作品は、「賭博師たち」、「かあちゃんと馬」、「まくリ屋」、「勝負師金ちゃん」、「パチンコ先生」、「ポーカーフェイス」、「ギャンブル村」、「麻雀バカ」、「パチンコ先生こんにちは」、「くりからもんもん」、「しん坊」、「副将」、「あるストリッパーのギャンブル人生」の13編です。

掲載誌は『週間漫画アクション』でした。収録作品の中で最初に掲載されたのは「かあちゃんと馬」で昭和44年5月15日号、最後は「あるストリッパーのギャンブル人生」で、昭和45年5月21日号でした。

「柔侠伝」第一話の『週間漫画アクション』への掲載は同年6月11日号だったので、本当に直前までの掲載でした。

手塚治虫先生は、「バロン吉元氏は、・・・ギャンブルものシリーズで地味な研鑽をつづけ、いまは「柔侠伝」という明治ものをかいていますが、その背景をなす時代考証と、ヒューマニズムにあふれた物語構成とはりっぱなものです。」と評価していました。(『COM』昭和46年4月号)

雑誌掲載時は「ギャンブル・シリーズ」として連載されました。今回のリイド社版にはサブタイトルにも「ギャンブル・シリーズ」は入っていません。コミックス化されたときのタイトルは「賭博師たち」とされることが多いです。

最初のコミックス化は、漫画アクションコミックス『賭博師たち』でした。収録作品は12作品で、すべてギャンブル・シリーズです。B6判で昭和45年6月1日の発行です。 


次は定番のアクションコミックス、「賭博師たち」として全3巻の刊行です。




第1巻の発行は昭和47年10月30日、第2巻が昭和48年1月15日、第3巻が昭和54年11月15日でした。第3巻にはギャンブル・シリーズ以外の作品が収録されています。

1986年(昭和61年)には、アクション・コミックス・デラックス版が刊行されました。収録作品はほぼ同じです。




1995年(平成7年)には翔泳社名作MANGA選書として『賭博師たち』が刊行されました。A5判となり、7作品を収録しています。


後にP-PRESSからカバーを変えて再刊されました。発行日等も同じで、収録作品も同じです。


2008年(平成20年)には、朝日新聞出版の「シリーズ昭和の名作マンガ」の1冊として刊行されました。


ギャンブル・シリーズから全11話が収録されており、「バロンの取材メモ」、「バロン吉元インタビュー」も収録されています。

バロン吉元先生の初期の傑作である『賭博師たち』が再刊されるのはうれしいですね。


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