大分の栗田弘一さんの Facebook に大分市剣八幡にまつられている絵馬「波奈之丸入港図」の写真が掲載されていた。栗田さんにお願いして転載させていただいたが、まるで自分が見て来たような錯覚を起こすほどの迫力だ。機会があればぜひ一度見に行きたい。また、御舟唄の復元が実現し、実際に聴くことができる日が来ることを願ってやまない。
郷土史家の大平五雄先生は「ふるさと寺子屋」の中で次のように紹介している。
■大分に残る"肥後の文化財"
最大の難所「滝室坂」を越え、街道を行くと、大分に入る。ここで豊後街道は肥後街道と名前を変える。野津原町今市には石畳が当時のままの姿で残っている。手入れの行き届いた実に見事なものだ。
野津原をすぎると、ついに九州の終着駅"鶴崎"。一行は船に乗って瀬戸内海へとむかった。ここには、細川氏築建の剣神社があり、"細川船団"の絵馬「波奈之丸入港図」や絵巻物がまつられている。"波奈之丸"とはいかなる大波もどうすることもできない、という意味で、航海の無事を祈願してつけられた。また、行列を描いた絵巻物は非常に貴重な逸品。神社に現存する唯一のものである。
一説によると、清正は、熊本に来る前からどこを領地にもらおうか、目安をつけていたそうである。"参勤交代の時、便利なように"という理由で、天草とひきかえに、久住・野津原・鶴崎を手に入れた。
そのため大分では今なお加藤清正の人気が高く、様々な"肥後の文化財"も大切に保存されている。熊本ではまず見られない逸品も数多く現存している。感謝の気持ちをもつとともに、私達熊本の人間もその姿勢を大いに見習いたいものである。
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郷土史家の大平五雄先生は「ふるさと寺子屋」の中で次のように紹介している。
■大分に残る"肥後の文化財"
最大の難所「滝室坂」を越え、街道を行くと、大分に入る。ここで豊後街道は肥後街道と名前を変える。野津原町今市には石畳が当時のままの姿で残っている。手入れの行き届いた実に見事なものだ。
野津原をすぎると、ついに九州の終着駅"鶴崎"。一行は船に乗って瀬戸内海へとむかった。ここには、細川氏築建の剣神社があり、"細川船団"の絵馬「波奈之丸入港図」や絵巻物がまつられている。"波奈之丸"とはいかなる大波もどうすることもできない、という意味で、航海の無事を祈願してつけられた。また、行列を描いた絵巻物は非常に貴重な逸品。神社に現存する唯一のものである。
一説によると、清正は、熊本に来る前からどこを領地にもらおうか、目安をつけていたそうである。"参勤交代の時、便利なように"という理由で、天草とひきかえに、久住・野津原・鶴崎を手に入れた。
そのため大分では今なお加藤清正の人気が高く、様々な"肥後の文化財"も大切に保存されている。熊本ではまず見られない逸品も数多く現存している。感謝の気持ちをもつとともに、私達熊本の人間もその姿勢を大いに見習いたいものである。
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