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われわれ熊本人には遠い話のように聞こえるが、どっこい、実はとても関係が深いのである。潮来の船頭たちが唄う舟唄がもとになったと言われる「潮来音頭」に対し、「潮来甚句」は宮城県の「塩釜甚句」が伝わったものだという。江戸時代、明暦の大火(1657年)以後、幕府は奥州各藩から米を買い付るようになり、伊達藩の米を積んだ千石船が盛んに潮来へ入って来た。そして一緒に伝わったのが「塩釜甚句」。この「塩釜甚句」が何を隠そう、もとはと言えば、海運に乗って塩釜へ伝わった「牛深ハイヤ節」なのである。つまり、「潮来甚句」と「牛深ハイヤ節」は親戚筋に当るというわけだ。芸能文化の歴史を辿ると実に面白い話にいくつも出くわすのである。
※右の絵は「潮来図誌」より