「禿」といえば、歌舞伎舞踊の「羽根の禿」や「春興鏡獅子」の中の「胡蝶」に登場するような、遊女の小間使いをする童女のことを思い浮かべる。
ところでこの「禿」という字は「かむろ」または「かぶろ」とも読むし、「はげ」とも読む。なんでそうなのか、僕自身も以前から不思議に思っていたが、ネット上でもこの話題が散見される。というわけで、今回少し考察を加えてみた。
まず「禿」という字を分解してみると上半分の「禾(のぎ)」という部首。これは「禾部(かぶ)」といって、イネ科のアワの穂が垂れる様子に象ったものだという。そして下半分は「儿(にんにょう・ひとあし)」だから、合わせると髪の垂れ下がった人を表すと考えたらよいだろう。つまり、「はげ」を表す意味はどこにもない。それではなぜ「はげ」とも読むようになったのか。
そもそも「かむろ・かぶろ」という文字が文献に表れるのは鎌倉時代に書かれた「平家物語 巻一 禿髪の段」が最初だと言われる。3年前のNHK大河ドラマ「平清盛」にも登場したが、清盛の策で、14~16歳頃の少年を300人揃え、髪を「禿」に切り揃え、赤い直垂(ひたたれ)を着せて京の市中に送り込んだスパイキッズのような話だ。彼らのトレードマークだった「禿」の髪形は、前髪ぱっつんであとは肩のあたりで切り揃えていたらしい。つまり「おかっぱ頭」である。これが後の世になって遊女見習の童女が「おかっぱ頭」だったことから「禿」と呼ばれるようになった由来ともなったわけである。
しかし、「禿」がいつから「はげ」の意味も併せ持つようになったのか。これはどうも時代はハッキリしないが、少年たちの髪形が単なる「おかっぱ頭」から、頭頂を剃る「中剃り」の習慣が普及してからのようだ。「中剃り」は烏帽子や兜を冠る時にむれないようにしたり、後には髷のすわりをよくしたりするのが目的だったようだが、これが「禿」イコール「頭頂の中剃り」つまり「はげ」となった始まりではなかったかと思われる。
江戸時代の中期以降になると遊女の髪形が派手になるにつれ、禿たちの髪形も「おかっぱ頭」から、髷を結った「禿嶋田」という髪形に変わって行ったそうである。
「▼羽根の禿」
2012.4.7 熊本城本丸御殿中庭・桜の宴。花童あかね(小5)、花童ゆりあ(小3)
「▼胡 蝶」
2015.2.1 水前寺成趣園能楽殿・きもの月間。花童あかね(中1)、花童ゆりあ(小5)
ところでこの「禿」という字は「かむろ」または「かぶろ」とも読むし、「はげ」とも読む。なんでそうなのか、僕自身も以前から不思議に思っていたが、ネット上でもこの話題が散見される。というわけで、今回少し考察を加えてみた。
まず「禿」という字を分解してみると上半分の「禾(のぎ)」という部首。これは「禾部(かぶ)」といって、イネ科のアワの穂が垂れる様子に象ったものだという。そして下半分は「儿(にんにょう・ひとあし)」だから、合わせると髪の垂れ下がった人を表すと考えたらよいだろう。つまり、「はげ」を表す意味はどこにもない。それではなぜ「はげ」とも読むようになったのか。
そもそも「かむろ・かぶろ」という文字が文献に表れるのは鎌倉時代に書かれた「平家物語 巻一 禿髪の段」が最初だと言われる。3年前のNHK大河ドラマ「平清盛」にも登場したが、清盛の策で、14~16歳頃の少年を300人揃え、髪を「禿」に切り揃え、赤い直垂(ひたたれ)を着せて京の市中に送り込んだスパイキッズのような話だ。彼らのトレードマークだった「禿」の髪形は、前髪ぱっつんであとは肩のあたりで切り揃えていたらしい。つまり「おかっぱ頭」である。これが後の世になって遊女見習の童女が「おかっぱ頭」だったことから「禿」と呼ばれるようになった由来ともなったわけである。
しかし、「禿」がいつから「はげ」の意味も併せ持つようになったのか。これはどうも時代はハッキリしないが、少年たちの髪形が単なる「おかっぱ頭」から、頭頂を剃る「中剃り」の習慣が普及してからのようだ。「中剃り」は烏帽子や兜を冠る時にむれないようにしたり、後には髷のすわりをよくしたりするのが目的だったようだが、これが「禿」イコール「頭頂の中剃り」つまり「はげ」となった始まりではなかったかと思われる。
江戸時代の中期以降になると遊女の髪形が派手になるにつれ、禿たちの髪形も「おかっぱ頭」から、髷を結った「禿嶋田」という髪形に変わって行ったそうである。
「▼羽根の禿」
2012.4.7 熊本城本丸御殿中庭・桜の宴。花童あかね(小5)、花童ゆりあ(小3)
「▼胡 蝶」
2015.2.1 水前寺成趣園能楽殿・きもの月間。花童あかね(中1)、花童ゆりあ(小5)