今日、母の代理で玉名市大浜町の母の実家に盆のお参りに行った。大浜橋たもとの「清正公枠」が、護岸工事の後、どうなったか確認していなかったので、ついでに見て来た。「清正公枠」というのは加藤清正が治水対策のために築造したと伝わる護岸のための石積みの構造物のことで、一般的には「石刎(いしはね)」といわれるものだ。この「石刎」は菊池川だけではなく、熊本県内の他の河川でもあちこちで見ることが出来る。また治水技術としては「石刎」だけではなく、「杭刎(くいはね)」や遊水地として「轡塘(くつわども)」(久津和土井とも)などが数多く築造されたという。熊本県水俣市出身の民俗学者・谷川健一の著書「加藤清正:築城と治水」には次のように記されている。
―― 安政二年(1855)に 菊池川絵図方御用懸の井上英右衛門によって作成された「菊池川全図」によれば、菊池川河口より上流14.5kmに位置する八の字堰で有名な白石堰までの区間に、石刎が右岸に14基、左岸に17基、杭刎が右岸に47基、左岸に53基が築造され、最も長い石刎 で48間、杭刎で114間であることが判明した。また、「明治以前日本土木史」によればこの区間に轡塘が8ヶ所築造されている。――
僕が幼い頃の夏、菊池川河口のこの辺りは、干潮時には広い砂浜が出現し、カニやえびや小魚などと戯れながら半日を過したものだ。久しぶりに見た「清正公枠」はそのほとんどがコンクリートに埋まり、息苦しそうに見えた。
▼護岸工事後の河岸の様子
▼先端部分だけをのぞかせた清正公枠
▼護岸工事前の清正公枠
―― 安政二年(1855)に 菊池川絵図方御用懸の井上英右衛門によって作成された「菊池川全図」によれば、菊池川河口より上流14.5kmに位置する八の字堰で有名な白石堰までの区間に、石刎が右岸に14基、左岸に17基、杭刎が右岸に47基、左岸に53基が築造され、最も長い石刎 で48間、杭刎で114間であることが判明した。また、「明治以前日本土木史」によればこの区間に轡塘が8ヶ所築造されている。――
僕が幼い頃の夏、菊池川河口のこの辺りは、干潮時には広い砂浜が出現し、カニやえびや小魚などと戯れながら半日を過したものだ。久しぶりに見た「清正公枠」はそのほとんどがコンクリートに埋まり、息苦しそうに見えた。
▼護岸工事後の河岸の様子
▼先端部分だけをのぞかせた清正公枠
▼護岸工事前の清正公枠