わが町京町の西端、かつて西方寺丁と呼ばれた一角に、草創期の日本映画をリードした牛原虚彦監督の旧居跡があります。現在は集合住宅が建ち、痕跡は何も残っていませんが、上熊本方面へ下る西方寺坂を通る度、牛原監督が活躍した時代の日本映画に思いを致しています。
牛原監督は旧制中学済々黌、五高を経て東京帝国大卒。映画監督を志し、大正9年(1920)松竹蒲田撮影所に入社します。「山暮るる」で監督デビュー後に渡米、ハリウッドで喜劇王チャールズ・チャプリンに学びます。帰国後は「彼と田園」「陸の王者」などのヒット作で名女優田中絹代を世に送り出すなど、草創期の日本映画に足跡を残しました。
現在、監督のお孫さんにあたる牛原陽彦氏が開設しておられる「牛原虚彦」名のフェイスブック(下記参照)があります。旧居跡の正確な位置をお尋ねしたところ、懇切丁寧に教えていただきました。

牛原虚彦監督の旧居跡

熊本市内でも指折りの急坂・西方寺坂

チャップリンと牛原虚彦監督
牛原監督は旧制中学済々黌、五高を経て東京帝国大卒。映画監督を志し、大正9年(1920)松竹蒲田撮影所に入社します。「山暮るる」で監督デビュー後に渡米、ハリウッドで喜劇王チャールズ・チャプリンに学びます。帰国後は「彼と田園」「陸の王者」などのヒット作で名女優田中絹代を世に送り出すなど、草創期の日本映画に足跡を残しました。
現在、監督のお孫さんにあたる牛原陽彦氏が開設しておられる「牛原虚彦」名のフェイスブック(下記参照)があります。旧居跡の正確な位置をお尋ねしたところ、懇切丁寧に教えていただきました。

牛原虚彦監督の旧居跡

熊本市内でも指折りの急坂・西方寺坂

チャップリンと牛原虚彦監督