
現在、全国高校野球選手権熊本県予選の熱戦が繰り広げられている。40年近く前に他界した僕の叔父は、昭和初期に九州学院の野球部で活躍した。叔父が尋常小学校を卒業して特待生として九学に入学した昭和2年(1927)、夏の甲子園出場をかけた県大会の決勝戦(宇土戦)が雨のため順延となったが、試合日が日曜日(安息日)となるためやむを得ず棄権したという珍記録が残っている。1年生だった叔父はまだ出場機会はなかったと思うが、いったいどんな気持だったのだろう。その叔父はキャッチャーとしてメキメキ頭角を現し、最上級生となった頃は県下随一のキャッチャーと評価されていたらしい。九学を卒業後は、当時、優秀な若手を集めていた熊本のノンプロチーム「オール熊本」の一員として熊本市役所に勤務した。その後、先輩に誘われて鳥栖鉄道管理局に移籍し、当時最強と言われた門司鉄道管理局の一員としても活躍したようである。