平安時代の閨秀歌人、檜垣嫗にまつわる伝説が熊本にはいくつか残っていますが、その中の一つに、白川べりの、今の蓮台寺辺りの草庵から、篤く信仰する岩戸観音へ閼伽の水を供えるため、水桶を担いで四里の道を日参したと伝えられます。室町時代に世阿弥によって創作された能「檜垣」のモデルでもあります。世阿弥の能では檜垣は百歳に及ぶと思しき老女として登場しますが、日本古代中世文学の研究家である妹尾好信教授(広島大学)の研究論文「桧垣説話と『桧垣嫗集』」によれば、「後撰集」に選ばれている
「年ふればわが黒髪も白河の みづはくむまで老いにけるかも」
という歌について、旧知の藤原興範と白川辺りで再会した時詠んだとされるこの檜垣の歌は、その時挨拶として詠まれた当意即妙の歌なのであって、決して実際に彼女が「みずはぐむ」老女であったわけではなく、女盛りを過ぎた年齢になったことを誇張して言ったまでで、実際の年齢は三十代かせいぜい四十歳くらいだったのではないかという説をたてています。
となると、岩戸観音へ向かう険しい山道を、水桶を担いで登っていた檜垣は、実はまだ三十代だったのかもしれません。そう考えますと、水をこぼしこぼし登ったという「檜垣のこぼし坂」(熊本市西区松尾町平山)のイメージもずいぶん違ったものになりそうです。後に檜垣は、岩戸観音の近くの山下庵に移り住みますが、むべなるかなといった感じです。
下の映像「檜垣水汲をどり」は「2013年春のくまもとお城まつり」における「くまもとをどり」の一演目として創作された舞踊曲です。作詞・作曲を杵屋六花登さん、作調と振付を中村花誠さんが担当しています。能「檜垣」の老女とは大きく異なり、若く美しい水汲女たちが華やかに舞い踊ります。
▼檜垣のこぼし坂(熊本市西区松尾町平山)
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▼檜垣水汲をどり
「年ふればわが黒髪も白河の みづはくむまで老いにけるかも」
という歌について、旧知の藤原興範と白川辺りで再会した時詠んだとされるこの檜垣の歌は、その時挨拶として詠まれた当意即妙の歌なのであって、決して実際に彼女が「みずはぐむ」老女であったわけではなく、女盛りを過ぎた年齢になったことを誇張して言ったまでで、実際の年齢は三十代かせいぜい四十歳くらいだったのではないかという説をたてています。
となると、岩戸観音へ向かう険しい山道を、水桶を担いで登っていた檜垣は、実はまだ三十代だったのかもしれません。そう考えますと、水をこぼしこぼし登ったという「檜垣のこぼし坂」(熊本市西区松尾町平山)のイメージもずいぶん違ったものになりそうです。後に檜垣は、岩戸観音の近くの山下庵に移り住みますが、むべなるかなといった感じです。
下の映像「檜垣水汲をどり」は「2013年春のくまもとお城まつり」における「くまもとをどり」の一演目として創作された舞踊曲です。作詞・作曲を杵屋六花登さん、作調と振付を中村花誠さんが担当しています。能「檜垣」の老女とは大きく異なり、若く美しい水汲女たちが華やかに舞い踊ります。
▼檜垣のこぼし坂(熊本市西区松尾町平山)

▼檜垣水汲をどり