徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

六段の調(ろくだんのしらべ)を聴きながら

2019-10-24 20:33:44 | 音楽芸能
 先週行われた玄宅寺舞踊会で花童・水前寺組の三人(まい・あい・ひなた)が「六段の調」を舞った。曲を聴きながら、夏目漱石の句をふと思い出した。

  春雨の隣の琴は六段か(明治31年)

 大江村(新屋敷)に住んでいた頃の作らしく、春雨そぼ降る中、近隣から筝の「六段の調」が聞こえてくる何とも風情を感じさせる一句だ。

 「六段の調」といえば、17世紀半ばに活躍した音楽家八橋検校の作曲と伝えられる。しかし、その原曲はキリスト教音楽である「グレゴリオ聖歌『クレド』」だという説がある。八橋検校の時代には既にキリスト教が禁止されているのでそれは考えにくいという反論もあるが、クレド原曲説者は「だからこそ隠れキリシタンは歌詞のないオラショ(しのび唄)の一つとして密かに伝承していたのだ」という。
 ところで、今日の「ドレミ音階」は、紀元前、古代ギリシャの数学者ピタゴラスの発見に始まる。そして、今、われわれが聞いているドレミの音とは少しずれている。中世ヨーロッパの音楽は「ピタゴラス音律」で演奏されていて、その代表的な例の一つが「グレゴリオ聖歌」だという。「六段の調」の系譜を辿って行くと紀元前までさかのぼるのだろうか。
※上の写真は大江村の家と漱石夫妻


「六段の調」を舞う左からひなた、まい、あい(音源が使用不可のため画像のみ)