徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

観音坂の後悔

2021-08-23 21:05:31 | 
 先日、観音坂からの風景について記事を書いたが、実は観音坂を通る度に、後悔の念に駆られる一つの思い出がある。あれは7年前の秋のことだった。
 その日、僕は京陵中学校での熊本市長選挙の投票を終え、わが家の方へ歩いていた。その道は明治29年4月13日、第五高等学校に赴任した夏目漱石が人力車で通った道である。京陵中学校のテニスコートのフェンス沿いに「すみれ程の小さき人に生まれたし」という有名な漱石の句碑が立っている。この句碑の前でカメラを構えている80歳前後と思しき老婦人に気づいた。背中にリュックを背負っていたので「観光客かな」と思いながら通り過ぎ、京町本丁の四つ角で信号待ちをしていると、追いついて来たその老婦人が「壷川小学校はどちらの方向になりますか?」と。僕は壷川小学校まで歩くのは大変かなと思い、「バスで行かれたらどうですか。ここから二つ目ですよ」と言った。しかし、老婦人は「壷川小学校は幼い頃通っていたので歩いて行きたいのです。」とおっしゃる。それじゃ途中までご一緒しましょうと歩き始めた。道々、熊本にいたのは戦前の6年間で、京町1丁目に住んでいて壷川小学校に通ったこと、その後、父親の転勤で熊本を離れたことなどを話された。そして、「たしか道の左側に刑務所があった」とおっしゃった。京町拘置所のことだとわかった。おそらく観音坂を通学していたらしい。しかし、既に新坂をだいぶ進んでいたので、今さら観音坂へ回るのは大変だと思い、とにかく新坂を下って壷川小学校を目指すことを勧めて別れた。彼女は丁寧にお礼を述べて去って行った。家に着いてしばらくの後、彼女にとって懐かしい子供時代の思い出の地・熊本を訪れるのは、おそらくこれが最後なのだろうと思うと、なぜ、遠回りしてでも通学していた観音坂へ連れて行ってあげなかったのだろうと悔やんだ。
 一期一会という言葉は知っていたのに、嗚呼・・・


観音坂