昭和28年(1953)の「6.26水害」からやがて70年となる。熊本県内だけでも563名の死者・行方不明者を出す大災害は、当時小学2年生だった僕にとって未だに強烈な思い出となっている。わが家は高台なので浸水の恐れはなかったが、裏庭の崖崩れの危険にさらされた。6月26日朝の熊本市内のまるで海のような光景は今でも鮮明に覚えている。新坂の上から眺める坪井から子飼方面は、あちこちに屋根の部分だけが水面から顔をのぞかせ、その上に救助を待つ人々の姿が見え、川舟が何艘か行き交っていた。そして水が引いた後は夏の暑い太陽が照りつけ、残された汚泥が強烈な悪臭を発した。わが家には家を失った知人一家が避難してきて、ただでさえ狭い家で窮屈な生活が1ヶ月ほど続いた。
10年前、「6.26水害から60年」のブログ記事を書いた時、熊本にも再び大災害がしのびよっているような気がするという趣旨の記事を書いたが、その3年後、熊本地震に見舞われた。下の3枚の写真を見比べていると大災害に襲われるたびに立ち直ってきた熊本の歴史に感慨を覚える。

1953年6月、水害直後の「通町筋電停」付近

60年後。2013年6月の「通町筋電停」付近

70年後。2023年6月、今日の「通町筋電停」付近
10年前、「6.26水害から60年」のブログ記事を書いた時、熊本にも再び大災害がしのびよっているような気がするという趣旨の記事を書いたが、その3年後、熊本地震に見舞われた。下の3枚の写真を見比べていると大災害に襲われるたびに立ち直ってきた熊本の歴史に感慨を覚える。

1953年6月、水害直後の「通町筋電停」付近

60年後。2013年6月の「通町筋電停」付近

70年後。2023年6月、今日の「通町筋電停」付近