徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

龍馬と四時軒

2023-06-22 20:59:14 | 歴史
 沼山津の知人宅を訪問した帰り、近くの「四時軒」を訪ねた。熊本地震で被災し、今年の2月復旧したばかりだが、実に13年ぶりの訪問だ。「四時軒」というのは幕末維新の開明思想家として知られる横井小楠旧居のことである。幕末ここには多くの志士たちが訪れているが、中でも最も興味深いエピソードを残しているのが坂本龍馬である。龍馬はここを三度訪れている。

 一度目は1864年2月、幕命で勝海舟とともに長崎に向かう途中、熊本城下に入った龍馬は、勝海舟の命を受け、宿舎の新町本陣(御客屋)から踵を返すように沼山津の四時軒へ向かい蟄居謹慎中の小楠に金子を届けている。
 二度目はその2ヶ月後、長崎からの帰りに再び四時軒を訪れ、小楠から依頼されていた小楠の甥二人と門弟一人を神戸海軍操練所へ連れて行っている。
 三度目はその翌年、1865年5月のことで、薩長連合実現に奔走していた頃、薩摩から長州に向かう途中、鹿児島の米ノ津から船で熊本にやって来て四時軒に寄っている。夜を徹しての酒宴談義で第二次長州征伐について激論が戦わされ、遂には口論になったという。その後二人は会うことがなかった。

 その二度目の訪問の際、小楠宅で一夜を明かした龍馬を、八丁馬場まで送ってもらうよう小楠が隣人に依頼したという。その隣人が「時々わからない言葉で話していた」と龍馬について語っている。
 また、三度目の訪問は鹿児島の米ノ津から船で来ているので前回、前々回とは別のルートで来ているようで、川尻に着いたとすれば、5月下旬という季節も考えると、舟運を使ったのではという説もあるらしい。現在の秋津川は舟で上れるような川ではないが、当時、有数の港だった川尻から加勢川を経て、支流の秋津川まで舟で入れる水量があったというから、帆掛け舟での加勢川遡上説もあり得るような気がする。


四時軒の座敷から飯田山を望む


今日はここちよい風が座敷を吹き渡っていた


四時軒の南門(秋津川側)


秋津川の両岸には草が生い茂り四時軒内からは水面が見えないが、今日も変わらず清流が流れていた。