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栗を味わいながら、やっと秋らしい気候になるのかななどと考えていると、ふと明治・大正期に流行った「さいこどん節」に、栗を歌った一節があったことを思い出した。
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「はやり歌さいこどんどん 新板」(明治19年発行)より
〽人はみめよりナア 心ににしき
栗は見かけに よらぬあぢ
ズイトコキャ エカイデモ かまことない
サイコドン サイコドン サイコドンドン
ササ サイコドンドン
栗は見かけに よらぬあぢ
ズイトコキャ エカイデモ かまことない
サイコドン サイコドン サイコドンドン
ササ サイコドンドン
つまり、栗は見かけは悪いが味の良さは格別。人も見た目ではなく内面で評価しなくてはいけないと唄う。しかし、別の意味もあるようだ。お座敷唄は決して品のいい唄ばかりではなく、艶歌も多かったのである。
▼「さいこどん節」の熊本バージョン「肥後の俵積出し唄」