今年も鶴屋百貨店で現在行われている「大京都展」で京都の舞妓さんの舞披露を見た。祇園東の満彩尚(まさなお)さんが「もみじの橋」「萩桔梗」「祇園小唄」の三曲を舞った。司会者とのトークでは、振袖の肩上げと袖上げの由来、髪型のおふくと割れしのぶの使い分け、だらりの帯に入った家紋の話などが披露された。
だらりの帯の家紋は、かつて12,3歳の舞妓さんがいた頃、お座敷で眠ってしまうことがよくあったため、連れて帰る先がわかるようにと置屋の家紋を入れる慣習が始まったという。その話を聞きながら、高浜虚子の随筆「漱石氏と私」の中の「京都で会った漱石氏」という一節を思い出した。漱石が明治40年(1907)に職業作家として初めて朝日新聞に連載した「虞美人草」を執筆するため京都に滞在していた頃、虚子に誘われ、祇園の一力で舞妓さんたちと雑魚寝をした一夜の話が綴られている。その時の舞妓さんたちも13歳だそうなのできっと眠かったのだろう。

舞を披露した祇園東「まん」の舞妓・満彩尚さん

だらりの帯の下端には置屋まんの家紋が
だらりの帯の家紋は、かつて12,3歳の舞妓さんがいた頃、お座敷で眠ってしまうことがよくあったため、連れて帰る先がわかるようにと置屋の家紋を入れる慣習が始まったという。その話を聞きながら、高浜虚子の随筆「漱石氏と私」の中の「京都で会った漱石氏」という一節を思い出した。漱石が明治40年(1907)に職業作家として初めて朝日新聞に連載した「虞美人草」を執筆するため京都に滞在していた頃、虚子に誘われ、祇園の一力で舞妓さんたちと雑魚寝をした一夜の話が綴られている。その時の舞妓さんたちも13歳だそうなのできっと眠かったのだろう。

舞を披露した祇園東「まん」の舞妓・満彩尚さん

だらりの帯の下端には置屋まんの家紋が
高浜虚子「漱石氏と私」の中の「京都で会った漱石氏(一部)」




ありゃ、ぱっと写真だけ見て、私はザ・わらべのベテランのお嬢さんかと思いました(汗)
なるほど着物も醸し出す雰囲気も違いますね!
「振袖の肩上げと袖上げ」って京のみやびやさんで見ましたが、こんな工夫があったとは。
「髪型のおふくと割れしのぶの使い分け」
ひゃーっ、私のこの人生では縁がなかったものでこの髪結いにはお金がかかってそうな・・・。
>連れて帰る先がわかるようにと置屋の家紋を入れる慣習が始まったという。
なんだか日本文化の歴史解説そのものみたいです。
>だらりの帯の下端には置屋まんの家紋が
まるで、動くお人形さんですね。
高浜虚子「漱石氏と私」、興味深く拝見しました。
文学ってこんな所からも生まれるのですね!
有難うございました。
京都の花街はよくテレビでも紹介されますが、置屋、お茶屋、仕出し屋、髪結い等々、分業が確立しているそうですからそれぞれが伝統を担う気概をお持ちなんでしょうね。
舞妓は総合芸術の作品みたいなもので、まさに動くお人形さんだと思いますよ!(^^)!
祇園に身を置いて祇園を舞台とする文学作品を物した作家は何人もいますが、遊蕩文学と批判された時期もあったようです。