昨日、熊本も「春一番」が吹いたと報じられました。そして今日は気持悪いくらいの暖かさ。予報されていた雨もほとんど降らず、日中は気温が22℃にも達し、まるで4月中旬以降のよう。この分で行くと、3月20日という桜開花予想もだいぶ早まるかもしれません。ただ、桜の名所である熊本城は桜の老木の伐採が進められており、今年はちょっぴり寂しい花見になるかもしれません。
過年度の桜の風景を並べてみました。
▼東都上野花見之図・清水堂(歌川広重)
東京在勤中、何度か花見に訪れた上野の山は花見の名所。この絵は上野の山の華やかな花見風景を描いた歌川広重(1797-1858)の「東都上野花見之図」です。下の「長唄 元禄花見踊」にも唄い込まれた「清水堂」下あたりの風景が描かれています。
▼長唄 元禄花見踊
この唄が作られたのは明治時代に入ってからですが、上野が桜の名所となったのは、三代将軍徳川家光の頃で、元禄時代(1688-1704)には、数ある江戸名所の中でも随一の人気を誇っていたそうです。豪華絢爛な時代の空気がよく表現されています。
過年度の桜の風景を並べてみました。
▼東都上野花見之図・清水堂(歌川広重)
東京在勤中、何度か花見に訪れた上野の山は花見の名所。この絵は上野の山の華やかな花見風景を描いた歌川広重(1797-1858)の「東都上野花見之図」です。下の「長唄 元禄花見踊」にも唄い込まれた「清水堂」下あたりの風景が描かれています。
▼長唄 元禄花見踊
この唄が作られたのは明治時代に入ってからですが、上野が桜の名所となったのは、三代将軍徳川家光の頃で、元禄時代(1688-1704)には、数ある江戸名所の中でも随一の人気を誇っていたそうです。豪華絢爛な時代の空気がよく表現されています。
2024年2月12日 桜の馬場城彩苑わくわく座 舞踊団花童&はつ喜
桜の伐採に伴い、補植やひこばえに期待するしかありませんが、だいぶ年数がかかりそうですね。
過年度の写真は一番上など10年ほど前ですので、当時はこんなハイヒールが流行っていたなと懐かしくなります(笑)
人力車は熊本城でのイベント時の写真ですが、割りと風景にマッチしていますね。
結婚式の前撮りはよく桜の時季に行われていますが、この写真に写っている桜も今は1本しか残っていないと思います。
上野は私が行った30数年前の花見は風情も何もない、ただ混みあっているだけの場所でした。
元禄花見踊は舞踊団花童の本旨である歌舞伎舞踊ですが、江戸中期の小町踊風に演出してあります。
昨日の朝の歩きはジャパーの下のセーターも脱ぎ歩いていたんですが、暑くて左手にジャンアパー、右手にこうもり傘を持って歩いていたら知人に笑われてしまいました。
予報によると、もう一度冬が来るとか・・・。
>ただ、桜の名所である熊本城は桜の老木の伐採が進められており、今年はちょっぴり寂しい花見になるかもしれません。
それは残念なことですね!
>過年度の桜の風景を並べてみました。
うひゃー、桜の花もさることながら3人の女の子の真ん中の子のヒールの高いこと。
全体の身なりから言って、アンバランスな気がします(汗)
人力車の和装は桜並木に似合いますね。
お~、お~、お~!
結婚前のカップルでしょうか?
最高の記念ですね。
>この絵は上野の山の華やかな花見風景を描いた歌川広重(1797-1858)の「東都上野花見之図」です。
これが日本の伝統的な光景ですね。
>上野が桜の名所となったのは、三代将軍徳川家光の頃で、元禄時代(1688-1704)には、数ある江戸名所の中でも随一の人気を誇っていたそうです。
桜の歴史を初めて知りました。
>桜の馬場城彩苑わくわく座 舞踊団花童&はつ喜
はつ喜さんの表情、手と足(表現が分かりませんが)の舞に酔いしれました。
有難うございました。